第42話:YOU CAN'T UNRING A BELL
適合テストは、三日連続で行われた。
亘一の身体を計測する機器が、異常値を吐き出し続けた。神経接続の応答速度。脳波パターンの同期率。予測演算の精度。
全てが、理論値を超えていた。
「……98.9パーセント」
セラ・ウェインライトが、端末から目を離さずに呟いた。その声には、驚きと――何か別の感情が混ざっていた。
「通常、初回接続で70パーセントを超えれば優秀です。90を超えるのは、数百人に一人」
亘一は、コックピットシートに固定されたまま、天井のセンサーアレイを見上げていた。微細な電極が頭皮に密着し、思考の波を拾い続けている。
息苦しさは、ない。
痛みも、ない。
でも――
何か、おかしい。
REMNESISのコックピットは、まるで自分の身体の延長のように感じられた。計器の配置を見なくても分かる。操縦桿に触れる前から、その重さと反応速度が予測できる。
知っている。
初めて乗る機体なのに。
「朝霧中尉」
セラの声が、外部スピーカーから響いた。
「違和感は?」
「……ありません」
亘一は、正直に答えた。
「むしろ、ありすぎて分からないくらいです」
セラは、何も言わなかった。
ただ、端末に何かを記録している。
亘一は、自分の手を見た。グローブに包まれた指。でも、その指が――誰のものか分からなくなる瞬間があった。
自分の手なのか。
それとも、機体の手なのか。
境界が、曖昧になっていく。
「接続、解除します」
セラの声と同時に、インターフェースが切れた。
途端に――
喪失感。
何かが、引き剥がされたような。
亘一は、思わず息を呑んだ。
「……っ」
「大丈夫ですか?」
「……ええ」
嘘だった。
大丈夫じゃない。
でも、何が大丈夫じゃないのか、説明できない。
コックピットから降りる。足が、少しだけふらついた。
セラが、心配そうに近づいてくる。
「無理はしないでください。高適合は、身体への負荷も大きい」
「分かってます」
亘一は、REMNESISを見上げた。
巨大な機体が、静かに佇んでいる。
――昼休み。
昴は、食堂で亘一と向かい合っていた。
トレーには、いつもの献立。でも、亘一はほとんど手をつけていなかった。
「……食えよ」
昴が、小さく言った。
「体力、落ちるぞ」
「ああ……」
亘一が、フォークを手に取る。でも、また置いた。
「……なあ、スバル」
「ん?」
「俺、何かおかしいのかな」
昴は、眉を寄せた。
「どういう意味だ?」
「REMNESISに乗ると、全部が自然なんだ。初めてのはずなのに、知ってるみたいに」
亘一が、自分の手を見た。
「まるで、最初から俺用に作られてたみたいに」
昴は、何も言えなかった。
継承計画のこと。
朔のこと。
全部、繋がっている気がした。
「……気のせいじゃないか?」
昴が、できるだけ軽く言った。
「お前、天才だし。適応が早いだけだろ」
亘一は、小さく笑った。
「そうだといいんだけど」
でも、その笑顔は――不安を隠しきれていなかった。
二人は、それ以上何も言わなかった。
食堂の喧騒だけが、空虚に響いていた。
――夕方。
昴は、日和の部屋を訪ねた。
ドアの外に、いつものように監視員が立っている。もう、慣れてしまった光景。慣れたくなかったのに。
ノックすると、日和が出てきた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「……ちょっと、話したくて」
部屋に入る。小さな部屋。ベッドと机と、小さな窓。
日和が、お茶を淹れてくれた。
二人は、向かい合って座った。
「……日和」
昴が、湯呑みを両手で包んだ。
「この前、『嘘つかない』って約束したよな」
「うん」
「だから、正直に言う」
昴が、日和の目を見た。
「俺、今すごく苦しい」
日和の表情が、少しだけ歪んだ。
「……何があったの?」
「言えない」
昴が、首を振った。
「でも、苦しい。止められないことが、どんどん進んでいく」
日和は、何も言わなかった。
ただ、昴の手に、自分の手を重ねた。
温かかった。
でも――
その温かさが、逆に昴を追い詰めた。
正直になったことで、日和を巻き込んでしまっている。
嘘をついていた方が、まだ良かったのかもしれない。
「……お兄ちゃん」
日和が、小さく言った。
「私、何もできない」
その声が、震えていた。
「ここにいるだけで。監視されて、自由に動けなくて。お兄ちゃんが苦しんでても、何もできない」
昴は、日和の顔を見た。
涙が、溢れそうになっている。
「私、逃げ道にもなれないんだね」
その言葉が、昴の胸に刺さった。
「……そんなことない」
「ある」
日和が、強く言った。
「お兄ちゃんが正直に話してくれるのは嬉しい。でも、私は何もできない。ただ、聞くだけ」
昴は、何も言えなかった。
日和の言う通りだった。
正直になることで、距離は縮まった。
でも、同時に――日和の無力感を、露わにしてしまった。
「……ごめん」
昴が、小さく言った。
「謝らないで」
日和が、涙を拭った。
「私が、弱いだけだから」
「弱くない」
「弱いよ」
日和が、笑った。
でも、その笑顔は――悲しかった。
昴は、日和を抱きしめた。
妹の身体が、小さく震えている。
「……ありがとう」
昴が、呟いた。
「聞いてくれて」
日和は、何も言わなかった。
ただ、昴の背中に手を回した。
二人は、しばらくそのままでいた。
でも――
何も、解決しなかった。
ただ、痛みを共有しただけ。
日和は、逃げ道にならなかった。
むしろ、正直になったことで――互いの無力感が、より深く刻まれただけだった。
――その夜。
昴は、基地の廊下を歩いていた。
独房のある区画。
マリアがいる。
足が、止まった。
会いたい。
でも、会えない。
「もう来ないで」
あの言葉が、まだ耳に残っている。
昴は、扉を見つめた。
――何を、伝えたいんだろう。
何を、言いたいんだろう。
分からない。
でも――
会いたい。
昴は、扉の前に立った。
ノックしようとして――
手が、止まった。
(……駄目だ)
(俺には、何も言えることがない)
昴は、手を下ろした。
そして――
扉に、額を押し当てた。
冷たい金属の感触。
その向こうに、マリアがいる。
でも、届かない。
どれだけ近くにいても、届かない。
「……マリア」
小さく、呟いた。
誰にも、聞こえない声で。
答えは、返ってこない。
ただ、沈黙だけが――
昴を、包んでいた。
――起動前夜。
午前二時。
亘一は、REMNESISの格納庫にいた。
照明は落とされ、非常灯だけが機体を照らしている。巨大な影が、天井まで伸びていた。
誰もいない。
技術者たちは、既に撤収している。
明日の起動に備えて、休んでいる。
でも、亘一は眠れなかった。
だから、ここに来た。
機体を、見上げる。
REMNESISは、静かに佇んでいた。
でも――
その沈黙が、何かを語っている気がした。
亘一は、足場を登った。
機体の装甲に、手を置く。
冷たい金属の感触。
でも――
その奥に、何かが眠っている気がした。
温度。
鼓動。
呼吸。
「……朔」
呟いた。
答えは、返ってこない。
でも――
その瞬間。
微かに、電子音が鳴った。
ピッ――
心電図のような、規則的な音。
いや、心臓の鼓動のような。
亘一の背筋が、凍りついた。
「……まさか」
もう一度、装甲に手を置く。
でも、何も聞こえない。
静寂だけが、戻ってきた。
気のせいだったのか。
それとも――
亘一は、機体から手を離した。
そして――
小さく、呟いた。
「お前なら、どうしてたかな?」
機体は、何も答えない。
ただ、そこに在る。
でも――
鐘は、もう鳴ってしまった。
元には、戻せない。
亘一は、格納庫を出た。
扉が、静かに閉まる。
暗闇の中で――
REMNESISは、眠っている。
いや――
眠っているふりを、している。
そして――




