第38話:AFTER THE STORM COMES THE CALM
ヤヒロの葬儀が、三日後に行われた。
基地内の墓地。
小さな墓標が、立てられた。
八尋丈一郎、と刻まれている。
整備班の連中が、集まっていた。
みんな、泣いていた。
昴も、そこにいた。
亘一も、日和も。
黒瀬が、前に立った。
「……八尋は、最後まで仲間を守った」
黒瀬の声が、静かに響いた。
「彼の勇気を、忘れてはならない」
黒瀬が、敬礼した。
全員が、敬礼した。
そして――
一人ずつ、墓標の前に花を置いていった。
昴の番が来た。
昴は、花を置いた。
そして――
小さく、呟いた。
「……ヤヒロ、ありがとう」
昴の声が、震えた。
「お前がいなかったら、俺、VEGAに乗れなかった」
昴は、墓標を見つめた。
「お前の分まで、俺、頑張る」
昴は、敬礼した。
そして――
去った。
――葬儀が終わった後。
昴は、整備区画に戻った。
ヤヒロの作業台が、空っぽだった。
工具も、私物も、全部片付けられていた。
昴は、その作業台を見つめた。
――もう、ヤヒロはいない。
あの笑顔も、あの声も、もう聞けない。
昴は、作業台に手を置いた。
冷たかった。
整備班の他の連中も、静かに作業していた。
誰も、笑っていなかった。
誰も、喋っていなかった。
ただ、黙々と、作業を続けていた。
――嵐の後の静けさ。
でも、それは平穏じゃなかった。
心が、摩耗していく静けさだった。
昴は、VEGAの整備を続けた。
でも――
心が、どこか別の場所にあった。
ヤヒロのことを、考えていた。
マリアのことも、考えていた。
全部、混ざり合っていた。
『スバル』
PQの声が、優しかった。
「……何?」
『少し、休んだら?』
「……休めない」
昴が、答えた。
「休んだら、考えちゃうから」
『……考えることは、悪いことじゃない』
「でも、辛い」
昴の声が、震えた。
「ヤヒロのこと、考えると、辛い」
PQは、何も言わなかった。
ただ、そこにいてくれた。
昴は、整備を続けた。
手を動かし続けた。
それしか、できなかった。
――その頃。
マリアは、独房の隅で、膝を抱えていた。
明かりは、落としていた。
遠くから、かすかに、葬送の気配が流れてくる気がした。気のせいかもしれない。
廊下を歩く誰かの足音が、いつもよりも静かだった。基地の空気が、一人分、薄くなっていた。
マリアは、昨日の日和の顔を思い出していた。
涙で濡れた頬。しゃくりあげる喉。それでも自分を抱きしめてくれた、細い腕。
あの子にとって、ヤヒロは家族のような人だったのだろう。
整備班の人々も、昴も、みんなそうだ。
失って、嘆いて、それでも記憶を消さずに、抱えて生きていこうとする。
Aionでは、ありえないことだった。
悲しみは、CIPで綺麗に取り除ける。
忘れることが救済だと、マリアは教わってきた。
それなのに、この人たちは――
泣きながら、ちゃんと覚えている。
覚えたまま、明日も息をしようとしている。
マリアの胸が、苦しくなった。
その苦しさは、他人のものではなかった。
自分のものだった。
――知っている、この痛み。
透が、病院のベッドで、最後に笑った時。
彼方が、八十年の時間を閉じて、マリアの腕の中でゆっくりと冷たくなっていった時。
マリアも、あの人たちと同じ側にいた。
泣きじゃくって、縋りついて、それでも止められない時間を、ただ、見ていることしかできなかった。
マリアは、両手で顔を覆った。
――もう、嫌だ。
言葉にならない声が、胸の底から漏れた。
あの痛みを、もう一度味わうのは、嫌だ。
二度で、充分だった。
三度目は、絶対に耐えられない。
マリアは、自分が分かっていた。
スバルを好きになり始めている自分を、ちゃんと分かっていた。
気づけば、独房の暗闇の中で、あの人のことばかり考えている。
どんな顔で笑うのか。
どんな声で自分の名前を呼ぶのか。
それを想像するたびに、胸の奥が温かくなって――
その直後に、凍りつく。
温かくなるということは、また失うということだ。
好きになるということは、また失うということだ。
マリアは、決意を、もう一度、取り戻さなければならなかった。
三度目の人生を、軍に入って始めた、あの時の決意を。
――殺す。
自分の手で、殺す。
そうすれば、失う前に、終わる。
透の時のように、彼方の時のように、向こうから奪われるのではない。
自分で、終わらせる。
そうやって、自分の中から「スバル」を消す。
消してしまえば、第四の再会は来ない。
恐怖も、喪失も、ここで止まる。
元の生活に、戻れる。
不死のまま、更新を繰り返し、誰にも執着せず、ただ時間だけを流していく、あの静かな日々に。
それが、唯一の出口だった。
そのはずだった。
――なのに。
扉越しに届いた、昨日のあの声が、まだ耳の奥に残っていた。
『お前のせいじゃない』
『戦争のせいだ』
マリアは、唇を噛んだ。
どうして、そう言えるのだろう。
誰かを責めたくて仕方なかったはずの人が、独房の前まで来て、責めるどころか、慰めていった。
――透と、同じだ。
――彼方と、同じだ。
その優しさに触れるたびに、心が柔らかくなる。
柔らかくなって、殺意が鈍る。
だめだ、とマリアは思った。
鈍らせてはいけない。
あの優しさこそが、罠だ。
あの優しさを受け入れてしまえば、また同じ場所に戻ってしまう。
愛して、失って、壊れて、また――
その繰り返しから、抜け出さなければならない。
マリアは、両手を握りしめた。
爪が、掌に食い込んだ。
――殺せる?
静かな問いが、胸の奥で立ち上がった。
本当に、あの人を、自分の手で殺せる?
マリアは、答えられなかった。
決意と、迷いが、同じ場所にあった。
強く決意するほど、同じだけ、揺らいだ。
好きだった。
たぶん、もう、どうしようもなく好きだった。
好きだから、終わらせたかった。
好きだから、殺さなければならなかった。
でも――
好きだから、殺せる気が、しなかった。
マリアは、暗闇の中で、小さく笑おうとした。
笑ったつもりだった。
でも、喉から漏れたのは、泣き声だった。
涙が、零れた。
拭わなかった。
拭ってしまえば、決意まで、一緒に拭い取られてしまう気がした。
――殺す。
何度も、心の中で繰り返した。
殺す。
殺す。
殺す。
その言葉の中に、どれほどの「好き」が混ざっているか、マリアは、見ないことにした。
見てしまえば、動けなくなる。
動けなくなれば、また、失う。
だから、見ない。
暗闇の中で、マリアは、一人で座っていた。
泣き続けた。
決意しながら、迷い続けた。
――その夜。
日和は、亘一と一緒にいた。
基地の展望室。
星が、見えていた。
二人は、静かに星を見つめていた。
日和が、口を開いた。
「……亘一さん」
「……ん?」
「私、怖い」
日和の声が、震えた。
「また、誰かが死ぬんじゃないかって」
亘一は、日和の手を握った。
「……大丈夫」
「……大丈夫じゃない」
日和が、亘一を見た。
「お兄ちゃんも、亘一さんも、戦ってる」
日和の目に、涙が浮かんでいた。
「いつ、死ぬか分からない」
亘一は、何も言えなかった。
――確かに、そうだ。
戦場では、いつ死ぬか分からない。
それが、現実だった。
でも――
亘一は、日和を抱きしめた。
「……俺は、死なない」
「……約束できる?」
「できない」
亘一が、正直に答えた。
「でも、全力で生きる」
亘一の声が、真剣だった。
「日和のために」
日和は、亘一の胸に顔を埋めた。
そして――
泣いた。
亘一は、日和を抱きしめ続けた。
――二人は、戦争の中で、必死で生きていた。
愛する人を、守るために。
自分を、守るために。
それしか、できなかった。




