第22話:魂の記憶
夜が来た。
二つの月が、紫色の空に浮かんでいる。一つは青白く、もう一つは淡い橙色。地球の月とは違う。異世界の月だ。
昴は、VEGAの隣に座って、その月を見上げていた。
マリアは、少し離れた岩陰に座っている。背中を向けている。話しかけてこない。
沈黙が、二人を包んでいた。
風が吹く。乾いた風。砂の匂いがする。
昴は、非常用の水筒を取り出した。VEGAの備蓄から。水、三日分。食料、五日分。
それで、持つのか。
救助が来るまで。
『スバル、大丈夫?』
PQの声が、イヤモニから聞こえた。
「……ああ」
『嘘。心拍が高い。まだ、RB-1の副作用が残ってる』
昴は、苦笑した。
「……バレたか」
頭が、まだ痛い。視界の端に、時々ノイズが走る。身体が、重い。
RB-1とRB-3の同時使用。その代償は、予想以上に重かった。
『ごめん』
PQの声が、申し訳なさそうだった。
『僕が、無理を言った』
「謝るな」
昴は、首を振った。
「あれで、生き延びた。正しい判断だった」
『でも、君は――』
「生きてる」
昴が、PQの言葉を遮った。
「それで、十分だ」
PQは、何も言わなかった。
ただ、温かい沈黙が流れた。
昴は、マリアの方を見た。
背中が、小さく見える。震えているように見える。
寒いのか。
それとも――
昴は、立ち上がった。
「……おい」
マリアが、振り返った。
月明かりに照らされた顔。疲れている。でも、美しい。
昴は、また胸が詰まるのを感じた。
この感覚、なんだ。
「寒くないか」
昴が、聞いた。
マリアは、少しだけ驚いた顔をした。
「……平気」
「嘘だろ。震えてる」
昴は、自分のジャケットを脱いだ。
「これ、使え」
マリアは、ジャケットを見つめた。
そして――
「……いらない」
冷たく、拒絶した。
昴は、眉を寄せた。
「なんで?」
「敵だから」
マリアの声が、震えた。
「敵から、優しくされたくない」
昴は、何も言えなかった。
そうだ。
敵だ。
この人は、敵だ。
昴は、ジャケットをまた着た。
「……そうか」
二人は、また沈黙した。
――マリアは、背中を向けたまま、涙を流していた。
優しい。
透と同じ。彼方と同じ。
敵なのに、優しい。
やっと会えたのに、気づいてもらえない。
こっちは、ずっと探してた。
ずっと、苦しんでた。
声を追って、帯域の指紋を追って、何年も。
やっと会えた。
顔を見た。
間違いない。
あの優しい目。あの声。
スバルだ。
透の、生まれ変わり。
彼方の、生まれ変わり。
でも――
気づいてもらえない。
ただの敵として、見られている。
それが、悔しかった。
悲しかった。
苛立った。
人の気も知らないで。
こっちが、どれだけ――
マリアは、拳を握った。
泣くな。
今、泣いたら、負けだ。
マリアは、涙を拭った。
――PQは、VEGAのシステムの中で、考えていた。
スバルの反応。
マリアを見たときの、あの動揺。
あれは、何だったのか。
PQは、スバルの脳波を解析した。
そして――
見つけた。
スバルの潜在意識の中に、何かがある。
記憶。
でも、スバル自身の記憶じゃない。
もっと古い。
もっと深い。
――前世の記憶?
PQは、震えた。
そんなものが、あるのか。
生まれ変わり。
魂の記憶。
科学的には、ありえない。
でも、スバルの脳波は、嘘をつかない。
マリアを見たとき、潜在意識が反応した。
懐かしい、という感覚。
知っている、という感覚。
それは、スバル自身も気づいていない。
でも、確かにある。
PQは、迷った。
スバルに、教えるべきか。
でも――
危険だ。
潜在意識の記憶を無理に引き出せば、人格が崩壊する可能性がある。
スバルの精神が、壊れる。
それは、避けなければならない。
PQは、決めた。
今は、触れない。
スバルを、守る。
それが、PQの役割だ。
でも――
この秘密を、いつまで隠せるのか。
PQには、分からなかった。
――夜が、深くなった。
昴は、眠れなかった。
身体は疲れている。でも、頭が冴えている。
マリアのことが、頭から離れない。
あの顔。
あの声。
なんで、あんなに心が揺れたんだ?
敵なのに。
初めて会ったのに。
昴は、目を閉じた。
そして――
夢を見た。
――白衣を着た男が、笑っている。
優しい笑顔。
誰だ。
知らない顔だ。
でも、懐かしい。
男が、手を伸ばす。
昴の頬に、触れる。
上から下へ。ゆっくりと。
温かい。
――そして、夢が変わった。
絵を描く男。
長い髪。柔らかい目。
また、誰だ。
知らない。
でも、懐かしい。
男が、また昴の頬に触れる。
同じ仕草。
上から下へ。
――昴は、目を覚ました。
汗をかいていた。
心臓が、バクバクと跳ねている。
「……何だ、今の」
『スバル?』
PQの声が、心配そうだった。
「……夢を見た」
『どんな?』
「……知らない人が、出てきた。二人」
昴は、額の汗を拭った。
「でも、懐かしい気がした」
『……そう』
PQの声が、沈んだ。
「PQ、これって――」
『分からない』
PQが、即答した。
『でも、今は考えないで。休んで』
昴は、何か引っかかった。
PQが、何か隠している。
でも、今は追求する気力がなかった。
「……分かった」
昴は、また目を閉じた。
でも、眠れなかった。
――翌朝。
昴は、マリアの機体を確認しに行った。
大破していた。推進器が完全に焼け焦げている。装甲が割れている。コックピットも、半壊している。
「……これ、もう飛べないな」
『うん。完全に全損』
PQが、答えた。
『マリアは、VEGAで移動するしかない』
昴は、VEGAを見た。
VEGAも損傷している。でも、まだ動ける。推進器の出力は30%まで落ちているが、移動はできる。
「……マリア」
昴が、呼んだ。
マリアが、振り返った。
「……何?」
「お前の機体、もう動かない」
昴が、説明した。
「VEGAで、移動するしかない」
マリアは、眉を寄せた。
「……どうやって?」
「VEGAの手のひらに、乗ってもらう」
昴が、VEGAを指した。
「VEGAなら、お前を運べる」
マリアは、少しだけ考えた。
そして――
「……分かった」
――その日から、二人の奇妙な共存が始まった。
VEGAの手のひらに、マリアが座る。
昴は、VEGAのコックピットから、マリアを見下ろす。
物理的な距離は、近い。
でも、心の距離は、遠かった。
昴は、水と食料を配分した。
マリアは、黙って受け取った。
会話は、最低限。
でも、昴は時々、マリアを見た。
マリアも、時々、VEGAを見上げた。
二人の視線が、交差する。
そして、すぐに逸らす。
――二日目の夜。
昴は、VEGAの手のひらで眠っているマリアを見た。
月明かりに照らされた顔。穏やかな寝顔。
綺麗だな、と思った。
そして――
また、胸が詰まった。
なんで、こんなに気になるんだ。
敵なのに。
『スバル』
PQの声が、静かに響いた。
「……何?」
『……何でもない』
PQは、何か言いたそうだった。
でも、言わなかった。
昴も、それ以上聞かなかった。
――マリアは、目を閉じたまま、考えていた。
VEGAの手のひら。
温かい。
機械なのに、温かい。
スバルが、操縦している機体。
それが、マリアを運んでいる。
守っている。
昔と、同じ。
透も、彼方も、いつもマリアを守ってくれた。
今も、同じ。
でも――
気づいてもらえない。
マリアは、涙が零れそうになるのを、必死に堪えた。
もう少し。
もう少しだけ、我慢しよう。
いつか、気づいてくれる。
いつか――
――三日目の朝。
昴とマリアは、岩陰から、人影を見つけた。
青みがかった肌。大きな目。
Sih――Nivaran。
この星の住人。
その中の一人が、二人に近づいてきた。
「……落ちてきた人たち?」
流暢な英語。女性の声。
昴は、警戒しながら答えた。
「……ああ」
「私はTala。この星の住人」
タラが、二人を見た。
「あなたたちは?」
「天城昴。Genea Accordの――」
「旗は、要らない」
タラが、手を上げて昴を制した。
「ここでは、旗を持ち込まない。それが、ルール」
昴は、眉を寄せた。
マリアも、困惑している。
タラが、説明した。
「No Flags(旗を持ち込まない)。Signal Quarantine(回線封印)。Life Debt(命は借り物)」
タラの声が、淡々としていた。
「これが、この星のルール。従えないなら、去れ」
昴とマリアは、顔を見合わせた。
そして――
頷いた。
「……従う」
「よろしい」
タラが、少しだけ表情を緩めた。
「では、来て。居住区へ案内する」
――こうして、昴とマリアの、NIVARAでの日々が始まった。
敵同士が、同じルールの下で生きる。
奇妙な共存。
でも、その中で、何かが変わり始めていた。
二人とも、まだ気づいていない。
でも、確かに――
何かが、動き始めていた。




