第4話 王城の王
巨大な城門を前に、真人は足を止めた。
王都の中心にそびえる王城。
長い年月を耐え抜いてきた灰色の城壁には無数の傷跡が刻まれていたが、その姿は今なお揺るぎない威厳を放っている。
城門の前には、槍を携えた二人の衛兵が立っていた。
真人が近づくと、そのうちの一人が静かに手を上げる。
「止まれ。」
真人も足を止め、一礼した。
「王にお会いしたく参りました。」
衛兵は真人を見つめる。
「陛下への面会は、誰にでも許されるものではない。」
「用件を聞こう。」
真人は落ち着いた声で答えた。
「確認したいことがあります。」
「確認?」
「はい。」
「この世界がおかしくなり始めた時期について、お聞きしたいのです。」
衛兵は眉をひそめた。
「世界がおかしくなった時期……?」
「何を言っている。」
「そのような話を陛下へ取り次ぐことはできん。」
真人はそれ以上何も言わなかった。
「承知しました。」
短く答え、その場で静かに待つ。
相手には役目がある。
それを無視して押し通すことに意味はない。
しばらく沈黙が流れた、その時だった。
「何事だ。」
城壁の上から、よく通る低い声が響く。
衛兵たちは一斉に背筋を伸ばした。
「陛下!」
真人も顔を上げる。
城壁の上に立つ一人の男と目が合った。
堂々とした体格。
深紅の外套をまとい、その姿だけで王と分かる威厳がある。
しかし、その眼差しは鋭いだけではなかった。
国を案じ続けてきた者だけが宿す、深い憂いがそこにはあった。
「騒ぎの理由を聞こう。」
王の問いに、衛兵が頭を下げる。
「この者が陛下への面会を求めております。」
「理由は。」
「『世界がおかしくなり始めた時期について、お聞きしたい』とのことです。」
一瞬。
王の表情が変わる。
真人へ向ける視線が鋭さを増した。
「……その男の名は。」
「まだ伺っておりません。」
真人は一歩前へ出る。
「榊真人と申します。」
「陛下に、お聞きしたいことがあります。」
王はしばらく真人を見つめ続けた。
やがて静かに口を開く。
「通せ。」
衛兵が驚いたように顔を上げる。
「しかし陛下。」
「構わぬ。」
王は真人から目を離さない。
「その問いを口にした理由を、余も聞きたい。」
重い音を響かせながら、王城の門がゆっくりと開いていく。
真人は一礼すると、その先へ足を踏み入れた。
王との対面は、もう目前だった。
王城の中は、不思議なほど静かだった。
磨き上げられた石の床。
高い天井を支える幾本もの柱。
豪華な造りではあるが、必要以上の装飾はない。
民の暮らしが苦しい今、王自身も贅沢を慎んでいることが、その空間から伝わってきた。
衛兵に案内され、真人は大きな扉の前で立ち止まる。
「陛下、お連れしました。」
「入れ。」
重厚な扉がゆっくりと開く。
部屋の奥には、一人の男が立っていた。
深紅の外套をまとい、静かな眼差しで真人を見つめている。
「余が、この国の王――エリオスだ。」
真人は胸に手を当て、一礼した。
「榊真人と申します。」
エリオスはゆっくりとうなずく。
「先ほど、お前は『世界がおかしくなり始めた時期』と言ったな。」
「なぜ、そのようなことを聞く。」
真人は少しだけ間を置いて答えた。
「確認したかったからです。」
「確認?」
「はい。」
「この世界では、多くの人が異変そのものには気付いています。」
「ですが、その始まりがいつだったのかを知る人がいるのか、確かめたかったのです。」
エリオスは腕を組み、真人から目を離さない。
「……なるほど。」
「では逆に聞こう。」
「お前には、この世界がどう見えている。」
真人は正直に答えた。
「まだ分かりません。」
「ですが、一つだけ確信していることがあります。」
「この異変は、偶然ではありません。」
「必ず原因があります。」
部屋に静寂が落ちる。
やがてエリオスは、静かに息を吐いた。
「その答えは、余も十年以上探し続けている。」
「学者を集めた。」
「賢者にも調べさせた。」
「神官にも祈らせた。」
「だが、誰一人として原因を突き止められなかった。」
その声には諦めではなく、悔しさが滲んでいた。
「井戸は枯れ、畑は実らず、魔道具は止まる。」
「民は日に日に苦しくなる。」
「それでも、余には何もできなかった。」
真人は王の言葉を最後まで聞いた。
責任から逃げた王ではない。
できることは、すべてやってきた王だ。
だからこそ、原因だけが分からない。
真人は静かに口を開く。
「陛下。」
「もう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」
「申してみよ。」
「『未納』という言葉に、心当たりはありますか。」
エリオスはわずかに眉を動かした。
「……未納?」
その言葉をゆっくりと繰り返す。
「いや。」
「余は初めて聞く言葉だ。」
真人は小さくうなずいた。
(やはり、この世界には存在しない概念か。)
エリオスは真人をまっすぐ見据える。
「その『未納』とは何だ。」
「それが、この世界の異変と関係しているのか。」
真人はすぐには答えなかった。
まだ、自分の考えが正しいという確証はない。
「現時点では、推測です。」
「ですが、確かめる方法はあります。」
エリオスの表情が引き締まる。
「……その方法を聞かせてもらおう。」
真人は静かにうなずいた。
「はい。」
「まずは、事実を一つずつ確認するところから始めます。」
エリオスは真人を見据えたまま、静かに問いかける。
「事実を確認する、と言ったな。」
「何を確認するつもりだ。」
真人は落ち着いた口調で答えた。
「世界がおかしくなった原因です。」
「推測だけで結論を出すことはできません。」
「事実を積み重ね、その先にある答えを見つけます。」
エリオスは小さく息を吐いた。
「学者たちも似たようなことを言った。」
「だが、誰一人として答えには辿り着けなかった。」
真人は首を横に振る。
「私が調べたいのは、知識ではありません。」
「現場です。」
「現場……?」
「はい。」
「世界がおかしくなっている場所を、一つずつ確認していきます。」
エリオスは少しだけ目を細めた。
その言葉は、今まで聞いてきた学者や賢者の話とは違っていた。
机の上で理論を組み立てる者ではない。
自ら現場へ足を運び、事実を集めようとしている。
そんな印象を受けた。
「なるほど。」
エリオスはゆっくりとうなずく。
「では、お前は余に何を望む。」
真人は少しだけ考え、答えた。
「今は一つだけです。」
「この十年で、特に異変が大きかった場所を教えてください。」
エリオスは迷うことなく口を開いた。
「ある。」
「王都の北に、大きな貯水湖がある。」
「昔は王都中へ水を送っていた湖だ。」
「だが今では、水位が年々下がり続けている。」
「学者も魔法使いも原因は分からなかった。」
真人は静かにその話を聞いていた。
頭の中で、一つの考えが形になり始める。
(まずは、その湖を確認しよう。)
世界帳簿が何を示すのか。
自分の考えが正しいのか。
その答えは、現場にあるはずだ。
エリオスは真人へ向かって静かに言う。
「榊真人。」
「余はまだ、お前の話を信じたわけではない。」
「だが、お前は事実を見ようとしている。」
「それだけは分かった。」
「結果を見せてくれ。」
真人は深く一礼した。
「必ず、確認してまいります。」
エリオスは力強くうなずく。
「よい。」
「王都北の貯水湖への立ち入りを許可する。」
「必要があれば、門兵には余の名を伝えておく。」
真人は再び頭を下げる。
「ありがとうございます。」
その瞬間だった。
真人の視界に、小さな文字が静かに浮かび上がる。
【新たな調査対象を確認しました】
【推奨調査対象】
王都北貯水湖
真人は誰にも気付かれないよう、その文字を見つめる。
(やはり……。)
(世界帳簿も、そこを示している。)
彼は静かに拳を握った。
答えは、もう目の前まで来ているのかもしれない。
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次回『枯れゆく貯水湖』




