第11話 王の側近
翌朝。
真人は王城の前に立っていた。
昨日見た数字が、頭から離れない。
未納魔力――二千八百六十。
だが、それだけでは監査はできない。
必要なのは証拠だ。
真人はゆっくりと王城へ足を踏み入れた。
「おはようございます。」
入口に立っていた兵士へ声を掛ける。
「おはようございます、榊真人殿。」
兵士は軽く頭を下げた。
「陛下から、城内への立ち入りは許可されています。」
「ありがとうございます。」
真人は一礼し、城内へ進む。
目指すのは、王城の資料室だった。
王へ提出された報告書。
現場から届けられた記録。
まずは、その内容を確かめる。
思い込みでは動かない。
それが真人の監査だった。
資料室の扉を開けると、壁一面に書棚が並んでいた。
棚には年代ごとに整理された報告書が、隙間なく収められている。
「さて……。」
真人は最も新しい報告書へ手を伸ばした。
そこから、静かな監査が始まった。
真人は机に報告書を並べ、一枚ずつ目を通していく。
北の貯水湖。
西門周辺。
農地の水路。
どの報告書も丁寧にまとめられていた。
だが、どれも同じ結論で終わっている。
『異常なし。』
『対応済み。』
『問題なし。』
真人は一枚の報告書を手に取り、目を細めた。
北の貯水湖。
昨日、自分が見た光景とは違う。
住民たちは水不足に困っていた。
それなのに、この報告書には、
『水位に大きな変化なし』
と記されている。
「……。」
真人は報告書を机へ戻した。
次の一枚。
さらにその次。
同じような記述が続いていた。
異常があっても、小さく書き換えられている。
まるで、王へ届く頃には問題が小さく見えるように。
真人は静かに息を吐いた。
「まずは、確かめよう。」
まだ結論を出すには早い。
この報告書が、どこで、誰によってまとめられたのか。
そこまで確認して初めて、事実になる。
真人は報告書の最後のページへ視線を落とした。
報告書の末尾には、提出までの流れが記されていた。
現場担当者。
各地区の責任者。
そして最後に――王直属の側近。
真人は別の日の報告書も開く。
同じだった。
さらにもう一冊。
やはり最後は王直属の側近の確認印で終わっている。
「……。」
真人は静かに【完全査定】を発動した。
淡い文字が報告書の上に浮かぶ。
【完全査定】
対象:報告書
状態:内容改変あり
改変箇所:三か所
真人は改変された部分へ目を向ける。
現場で書かれた文字と、あとから書き加えられた文字。
インクの色は同じでも、魔力の痕跡は違っていた。
『深刻な水不足』
その一文は、
『一時的な水位低下』
へと書き換えられている。
別の報告書にも同じ痕跡があった。
『至急対応が必要』
それは、
『経過観察』
へと改められていた。
真人は報告書を閉じる。
「報告そのものが、書き換えられている。」
これで一つ目の証拠はそろった。
だが、まだ足りない。
書き換えた理由。
そして、それが世界の異変とどうつながるのか。
そこまで確かめて初めて、監査へ進める。
真人は資料室を後にした。
向かった先は、王都北の貯水湖だった。
昨日まで干上がりかけていた湖は、水面を少しずつ取り戻している。
湖畔では、住民たちが安堵した表情で水を汲んでいた。
「助かったよ。」
「ようやく水が戻ってきた。」
真人は近くにいた老人へ声を掛ける。
「失礼します。」
「この辺りの水不足は、いつ頃から続いているんですか。」
老人は湖を見つめながら、ゆっくりとうなずいた。
「もう十年近くになるかのう。」
「最初は少し水位が下がった程度じゃった。」
「誰も大したことじゃないと思っとった。」
老人は苦笑する。
「じゃが、年を追うごとに少しずつ悪くなっていってな。」
「ここ数年は井戸まで枯れ始めた。」
「畑も思うように育たん。」
「何度も役所へ伝えたんじゃ。」
「そのたびに『異常はありません』『経過を見守ります』と言われて終わりじゃった。」
真人は静かにうなずく。
「ありがとうございます。」
老人へ礼を言い、その場を離れる。
現場で聞いた話と、王城で見た報告書。
二つはまったく違っていた。
真人は湖へ視線を向ける。
「……これで二つ。」
現場の声と報告書は一致していない。
あとは、その理由を本人から聞くだけだった。
真人は王城へ戻ると、王直属の側近へ声を掛けた。
「少し、お時間をいただけますか。」
側近は穏やかな笑みを浮かべる。
「構いませんが、何か。」
「確認したいことがあります。」
人気の少ない廊下へ移ると、真人は静かに切り出した。
「王へ提出される報告書を書き換えていませんか。」
側近の表情は変わらない。
「何をおっしゃるのです。」
「私は事実をまとめて陛下へお届けしているだけです。」
真人は一枚の報告書を差し出した。
「この報告書です。」
「現場では『深刻な水不足』と記されています。」
「ですが、王へ提出された報告書では『一時的な水位低下』へ書き換えられていました。」
側近は首を振る。
「何かの見間違いでしょう。」
真人はもう一枚、さらにもう一枚と机へ並べた。
「こちらもです。」
「こちらも。」
「すべて、あなたの確認印のあとに内容が変わっています。」
静かな声だった。
責める口調ではない。
ただ、事実だけを積み重ねていく。
側近の顔から笑みが消えた。
「……。」
真人は最後の一枚を置く。
「現場の証言も確認しました。」
「十年前から異変は続いていた。」
「何度も役所へ訴えた。」
「ですが、王へ届いた報告は違っていました。」
沈黙が流れる。
やがて側近は拳を震わせ、小さく笑った。
「……そこまで調べたのですか。」
その笑いは、諦めに近かった。
「そうです。」
真人は答える。
「だから、お聞きします。」
「なぜ、報告を書き換えたのですか。」
側近は俯いたまま動かない。
肩が小さく震えている。
そして次の瞬間、堰を切ったように声を荒らげた。
「仕方なかったんだ!」
「全部……全部、この国のためだった!」
苦しげな叫びが廊下に響く。
「陛下は民のこととなれば、ご自身のことなど顧みない!」
「眠る時間も削り、食事すら後回しにして現場へ向かおうとなさる!」
「これ以上、国中の異変まで抱えさせるわけにはいかなかった!」
息を荒げながら、側近は続ける。
「だから私が止めた!」
「深刻な報告は私で止めた!」
「私が処理すれば済むと思った!」
「そうすれば陛下は民を守ることだけに集中できると……本気でそう信じていた!」
目には涙が浮かんでいた。
「だが、何も止められなかった……。」
「異変は広がり続けた。」
「私は……私は、間違っていた。」
真人は静かに口を開く。
「あなたが国を思っていたことは分かります。」
「ですが――」
その時だった。
「もう、そのくらいでよい。」
廊下の奥から、静かな声が響いた。
二人が振り向く。
そこには、いつから聞いていたのか、エリオス王が静かに立っていた。
エリオス王はゆっくりと二人のもとへ歩み寄った。
側近は顔を上げるなり、その場に膝をつく。
「陛下……。」
「申し訳、ございません……。」
声は震え、頭は深く垂れたままだった。
エリオス王は責めることなく、その姿を見つめる。
「顔を上げよ。」
静かな声だった。
だが、側近は首を横に振る。
「上げられません。」
「私は……陛下を欺いておりました。」
「民を守ると言いながら、真実を隠しておりました。」
エリオス王は小さく息を吐く。
「お前は、私を思ってやったのだろう。」
側近の肩が大きく震えた。
「……はい。」
「これ以上、ご負担を増やしたくありませんでした。」
「異変は私が処理すればいい。」
「そう思い続けてきました。」
「ですが、私には何もできなかった……。」
涙が床へ落ちる。
エリオス王は目を閉じ、静かに言った。
「お前の気持ちは分かった。」
「だからこそ、私はお前を責めることはできん。」
そして真人へ向き直る。
「榊真人。」
「どうか……彼を責めないでやってくれ。」
「すべての責任は、王である私にある。」
「私がもっと早く気付いていれば、このようなことにはならなかった。」
真人は静かに首を横に振った。
「陛下。」
「私は、誰かを責めるためにここへ来たのではありません。」
一歩、側近の前へ進む。
「ですが。」
「世界のために、監査は行わなければなりません。」
廊下に静寂が落ちた。
エリオス王は目を閉じたまま、しばらく動かなかった。
やがてゆっくりと目を開き、苦しげにうなずく。
「……そうか。」
「それがお前の役目なのだな。」
真人も静かにうなずいた。
「はい。」
「世界のためです。」
エリオス王は側近へ視線を向ける。
その眼差しには悲しみはあっても、恨みはなかった。
「受けよう。」
「それがお前にも、この世界にも必要なことなら。」
側近は静かに目を閉じ、小さくうなずいた。
「……お願いいたします。」
真人は静かに側近の前へ立った。
「監査を開始します。」
側近は逃げなかった。
目を閉じたまま、小さくうなずく。
「……はい。」
真人はゆっくりと右手をかざす。
「【完全査定】」
淡い文字が視界に浮かび上がる。
【対象】
王直属の側近
【監査結果】
未納魔力 2,860
未納発生原因
長年にわたる報告書改変による世界循環阻害
監査条件 達成
真人は表示を最後まで確認する。
これで迷いはない。
証拠はそろった。
事実も確認した。
真人は静かに息を吸う。
「これより。」
「世界のために徴収します。」
側近はまっすぐ真人を見つめる。
「お願いします。」
その声に、もう迷いはなかった。
真人は静かに右手を差し出す。
「――【徴収】」
その瞬間。
側近の体から淡い光がゆっくりとあふれ出した。
光は天井へ昇り、王城を包むように広がっていく。
廊下を流れていた重苦しい空気が、少しずつ軽くなった。
窓から差し込む陽の光も、どこか明るさを取り戻したように見える。
エリオス王はその光景を静かに見つめていた。
側近は胸に手を当て、小さく息をつく。
「……こんなにも、心が軽い。」
真人は右手を下ろした。
「終わりました。」
側近はゆっくりと頭を下げる。
「ありがとうございました。」
その言葉は、監査を受けた者としてではない。
一人の人間としての、心からの感謝だった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
静寂を破ったのは、エリオス王だった。
「……私は、王失格だな。」
自嘲するように小さく笑う。
「民のことばかり見ていたつもりだった。」
「なのに、一番近くで私を支えてくれていたお前の苦しみに、何一つ気付けなかった。」
側近は慌てて首を振る。
「違います!」
「悪いのは私です!」
「陛下に知られたくなくて、私が勝手に――」
エリオス王は静かに手を上げ、その言葉を制した。
「いや。」
「王とは、すべての責任を負う者だ。」
「お前一人に背負わせてしまった時点で、それは私の責任でもある。」
側近は唇をかみ締め、うつむく。
エリオス王は真人へ向き直った。
「榊真人。」
「先ほど、私は彼を庇おうとした。」
「だが、それは間違いだった。」
「私情で、お前の務めを止めようとしてしまった。」
真人は静かに答える。
「大切な家臣を守りたいと思うのは、当然のことです。」
エリオス王はゆっくりと首を横に振る。
「それでも、世界のために必要なことまで止めてはならなかった。」
「今日、お前に教えられた。」
王は深く頭を下げた。
「ありがとう。」
「この国だけでなく、この世界を守ろうとしてくれて。」
真人は静かに首を横へ振る。
「私は、自分の役目を果たしただけです。」
エリオス王は穏やかに微笑んだ。
「だからこそ、お前を信じられる。」
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世界帳簿
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世界健全率 3.3% → 3.8%
魔力循環率 5.9% → 6.8%
世界幸福度 8.2% → 8.6%
魔王軍支配率 94%
監査済み地域 1/128
世界監査機能 停止
未納総額 計測不能
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王城の上空に浮かぶ巨大な帳簿は、静かにその数字を書き換えていく。
誰もその存在には気付かない。
ただ一人、真人だけがその変化を見つめていた。
世界は、ほんの少しだけ前へ進んだ。
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監査記録 No.0011
案件名:王城
監査対象:王直属の側近
結果:徴収完了
備考:報告書改変による世界循環阻害を解消
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次回『新たな監査』




