第三話 魔法少女、降臨
ドォン、と夕暮れの公園の静寂を破壊して、眩い桃色の光が炸裂した。
「うわっ!?」
「なんだぁっ!?」
つい、たった今まで薫の華奢な身体を我が物顔で羽交い絞めにしていた男が、直撃した光の衝撃波に思わず短い悲鳴を上げる。
次の瞬間、まるで大型トラックに正面から撥ね飛ばされたかのように、男の巨体が後方へと派手に吹き飛んだ。
「ぐぇっ!?」
男は地面を何度も無様に転がり、雑草の上へと叩きつけられて気絶した。
当の薫自身、自分の身に何が起きているのか全く理解できていなかった。ただ、身体の奥底、魂の髄から、世界を丸ごと作り替えてしまいそうなほど熱い何かが一気に溢れ出してくるのを感じていた。
きらきらと輝く桃色の光粒子が、薫の身体へと激しく絡みつく。
見慣れた男子生徒の制服が光に溶けて消失し、代わりに編み上げられていくのは、あまりにも場違いな意匠だった。
大きなリボン。
幾重にも重なる純白のフリル。
ふわりと風に揺れるパステルピンクのレーススカート。
そして、ニーソックス。
その手には、おもちゃ屋の棚から飛び出してきたような、ハートのレリーフが施された可憐なステッキ。
眩い閃光が、ゆっくりと収束していく。
光の残滓のただ中に立っていたのは――。
「え……」
間違いなく、遠野薫だった。
正確には、どこからどう見ても、お姫様のような格好をさせられた、可憐極まりない『魔法少女』姿の薫だった。
数秒の、完全な静寂。
そして。
「や、やだぁぁぁっ! 見ないでぇぇぇっ! 全国一斉に見ないでぇぇぇっ!!」
耳まで真っ赤に染め上げた薫の悲鳴が、公園中に響き渡った。
「お前、なんだその格好……!?」
地面に膝をついたままの悟が、あまりの異常事態に痛みを忘れて驚愕の声を上げる。
「言わないで悟くん! 見ちゃダメぇぇぇっ!!」
薫は顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め上げ、涙目で両手を使って必死にスカートの裾を押さえながら、その場にちんまりとしゃがみ込んだ。
死にたい。今すぐ消え去りたい。できれば地球の裏側までマッハで貫通するような大穴を掘って、その中に永遠に引きこもりたい。
なぜ、よりによって悟の前なのか。なぜ、よりによって学年次席の藤崎までここにいるのか。なぜ、下品な不良男たちの前でこんな羞恥プレイを課されなければならないのか。最悪だった。自分の人生の中で、文句なしにブッチギリで最悪の瞬間だった。
「かわいい……❤」
ぽつり。男たちに羽交い絞めにされていることすら忘れたように、彼女はうっとりと薫を見つめている。
「藤崎さん!?」
「うん。信じられないくらいかわいい」
「こんな状況で何言ってるの!? いやいやいやいや、おかしいでしょ!?」
なぜこの危機的状況でそんな限界オタクのような余裕があるのか、薫の常識的な脳では本気で理解が追いつかなかった。
だが、男たちはそんな薫の乙女(?)の事情など知る由もない。
「なんだこいつ……」
「新手のコスプレか?」
「魔法少女ごっこかよ。アニメの見過ぎなんだよガキが!」
下卑た笑い声が静まり返った公園に響く。
薫の細い肩が、びくりと恐怖で震えた。
怖い。恥ずかしい。今すぐお家に帰って毛布に包まりたい。
だが、男たちはじりじりと距離を詰めてくる。リーダー格の男が、汚い手を伸ばして薫の肩を強引に掴んだ。
「ひゃっ!?」
薫は嫌悪感から、反射的に全力で身体を捻った。
その瞬間。肩を掴んでいた男の身体が、突如として真横へ吹き飛んだ。
「ぎゃあああっ!?」
三メートル、いや五メートルは優に飛んだ。男はゴミ袋のように地面へ叩きつけられ、白目を剥いて動かなくなる。
誰一人として動かなかった。
男たちは口を半開きにしたまま、吹き飛ばされた仲間と薫を何度も見比べている。
当の薫も、自分の手を見つめたまま硬直している。
「え……?」
身体を捻っただけだ。何をしたのか、自分でもさっぱり分からない。
だが、男たちはその異能の解明を待ってはくれなかった。仲間を二人やられ、顔色を変えて怒鳴り散らす。
「ふざけんな、この化け物が!」
「囲め! やっちまえ!」
複数人の大男が、怒号を上げながら一斉に四方から襲い掛かってくる。
「ひぃっ、無理ぃぃぃっ!」
薫は脱兎のごとく、全力で逃げ出した。
飛んだ。跳ねた。
転びそうになった。慌てて立て直した。
しゃがんで避けた。
本人はただ必死に逃げ惑っているだけだったが、その身体能力はすでに人間の域を遥かに凌駕していた。薫が超高速でジタバタとステップを踏むたびに、突進してきた男たちだけが勝手に勢い余って互いに正面衝突し、雑草の上へと無様に転がっていく。
「痛ぇっ! 何してんだてめぇ!」
「捕まえろって言ってんだろ!」
「ひぃぃぃっ、来ないでぇぇぇっ!」
目尻に涙が滲む。
必死に逃げ回るたび、涙で視界がぐにゃりと歪んだ。
トラックをも吹き飛ばせそうな怪力はある。弾丸をもかわせそうな異常なスピードもある。
だが、中身はどこまでも、あの気弱で真面目な遠野薫のままだった。
戦うなんて恐ろしい真似、できるわけがない。羞恥と恐怖に震えながら、ただハイスピードでジタバタと逃げ回るのが精一杯だった。
その時だった。
――チリン。
脳内に直接響くような、冷徹で気品のある電子通知音。
手の中のスマホが、禍々しいまでの輝きを放ち始める。
【Magical Transfer】
戦闘適性を再評価しました。
心理障壁の除去、および出力の最大化が必要です。
モードチェンジを実行します。
プリンセスモード ➔ クイーンモード
「え……?」
溢れ出した桃色の光が、一瞬にして猛烈な熱量を孕んだ『紅蓮の炎』の色へと変色していく。
薫の身体を包む衣装が、瞬く間に再構成されていった。
過剰だった純白のフリルが削ぎ落とされ、代わりに黒と深紅を基調とした、荘厳で息を呑むほど美しいドレスがその華奢な身を包む。
頭上には、茨と薔薇を模した漆黒の王冠。
そして手にあるのは、世界のすべてを平伏させるための、黒薔薇が妖艶に咲き誇る重厚な王笏。
世界から、一切の風が消えた。
同時に、薫の胸の奥から、さっきまでの狼狽や恥じらい、恐怖といった『人間の弱さ』が綺麗さっぱりと消失していく。
代わりに芽生えたのは、脳を麻痺させるほどの、圧倒的な万能感。
すべてを掌の上で転がすことができるという、絶対的な支配者の確信だった。
ゆっくりと、薫の美しい瞳を持つ瞼が細められる。
逃げ回っていた男たちを見る。
――ただの、取るに足らない羽虫だった。
藤崎を見る。
――ずいぶんと、楽しそうにこちらを見ている。
そして、傷だらけの悟を見る。
――あら、とても、かわいそう。
「誰だ、てめぇ! さっきのやつはどこ行った?!」
男たちが薫を睨みつける。
薫は、その冷徹な光を宿した瞳で男たちを見下し、妖艶に、残酷に微笑んだ。
「だれの許可を得て……」
静かな、だが鼓膜を直接震わせるような重低音の声。
それだけで、公園の空気そのものがガタガタと凍りついた。
「その下品な瞳を、こちらへ向けているのですか?」
「な、なんだと……てめぇ……」
男の一人が思わず一歩後ずさった。
ナイフを握る手が、小刻みに震えている。
「だれの許可を得て、その汚い声で私の耳を汚しているのですか?」
薫は、黒薔薇の王笏を低く傾け、傲慢に言い放った。
「おだまりなさい」
言葉の一つ一つが、絶対の法としてその場を支配していく。
「は?」
横で見ていた悟だけが、脳の処理が完全に追いつかず、素の抜けた声を漏らした。あの日、自分の腕の中で「朝比奈くん、優しいから……」と泣きそうに笑っていたネコが、今、ゴミを見るような目で男たちを睥睨している。
その事実が、彼の脳をバグらせていた。
「かっこいい……❤」
藤崎玲奈だけが、その特等席でさらに目をキラキラと輝かせていた。
「うるせぇぇぇっ! 舐めてんじゃねぇぞ、このアマがァ!」
恐怖に耐えかねた男の一人が、狂ったように叫びながらナイフを抜いて突進してくる。
「そう……」
薫は、心底愚かな害虫を見るように冷たく目を細めた。
「なら、身体に教えて差し上げましょう。分不相応な、その首の、正しい位置を」
王笏を、ゆっくりと天へと掲げる。
「ひざまずきなさい」
そして、冷酷に振り下ろした。
「――『服従』」
王笏の先から、禍々しい紅蓮の波動が波紋のように広がった。
突進していた男たちの身体が、その光を浴びた瞬間にビキリと完全に硬直する。
「な、っ……!?」
「う、動か、ねぇ……なんだこれ、勝手に……っ!」
次の瞬間。
五人の男たちの膝が、まるで糸を同時に切られた操り人形のように、激しく地面へと叩きつけられた。自らの意思とは無関係に、強制的に平伏させられたのだ。
ヒールをコツ、コツと鳴らしながら、薫はその中の一人の前へと優雅に歩み寄る。
ドレスの裾から覗く、黒タイツに包まれた美しい靴先を、男の顎の下へと無慈悲に添えた。
無理やり顔を上げさせられた男の顔は、恐怖で真っ青に染まっている。
「良い子ね」
少しだけ首を傾げ、三日月状の口元をさらに吊り上げて薫は笑う。
「選ばせてあげる。忠誠か……」
ふわりと弧を描いていた口元はそのままに、その上の瞳から、一切の光がフッと消失した。瞬きすら忘れ、ガラス玉のように平坦になった双眸が、ただじっと男の顔を射抜く。
「死か……」
その、冷徹な表情と絶対的な威圧感を前に、男はガチガチと歯を鳴らした。
やがて、絶望に涙を流しながら、差し出された薫の靴のつま先へと、貪るように縋り付き、口付けを落とした。
「あぁ……」
薫は満足そうに、恍惚とした笑みを浮かべてその様子を見下ろした。完全に、女王の愉悦だった。
「いいわ。許してあげる。……けれど、今後二度と、私の視界に入ることを許しません」
王笏が、払うように一閃される。
「消えなさい。すぐに」
『服従』の呪縛が解けた瞬間、男たちは一斉に、文字通り蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃぃぃっ! 化け物だ!」
「助けてくれぇぇぇ!」
男たちは、転がるようにして公園の闇へと逃げ去っていった。
後に残されたのは、夕暮れの静寂だけ。
その静まり返った公園の中で、薫はゆっくりと振り返った。
カツ、カツ、とヒールの音を静かに響かせながら、傷だらけで泥まみれの悟へと歩み寄る。
そして、その絶対強者であったはずの男を冷徹に見下ろしながら、艶然と微笑んだ。
「大丈夫かしら?」
その声音に、悟は喉を鳴らし、思わず息を呑んだ。
同じ顔だった。同じ声だった。
だが、完全に別人だった。いつも守られる側。檻に閉じ込められ、啼かされているだけの華奢なネコだったはずなのに。
喉が乾く。
視線を逸らせない。
傷口の痛みすら忘れたまま、悟はただ薫を見上げていた。
「お前……」
悟の口から、かすれた声が漏れる。
「本当に、薫……なんだよな……?」
薫は、ただ当然だと言うように、王笏を胸元に抱いて妖しく微笑むだけだった。
「ええ。もちろん」
夕暮れの冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。
傷だらけの身体で見上げる悟の胸の奥で、今まで経験したことのない未知の熱い衝撃が、静かに、だが確実に目を覚まそうとしていた――。




