9.AIでは無い理由
後日、本田先輩から洗い直しの進捗について連絡が入った。
「まず、山中だが、アリバイが確定した。完全にシロだ。コンビニ隣のガソリンスタンドの防犯カメラに、彼女の姿がはっきりと記録されていた」
「次に時田だが、AIでは起こり得ないような独自の変換ミスが複数見つかった。しかも資料の後半に行くほど入力ミスが増えている。つまり、資料は間違いなく当日、彼が『自分で入力したもの』だ。だが、白奈が疑った『事前に汎用的な資料を作っておけた可能性』まではまだ否定しきれていない」
「それから村上の線だが、白奈の仮説に基づいて確認してみた。……実は、村上の個人的な愛車は、ホンダの三輪バイク……ジャイロなんだ。ピザの配達なんかでよく使われる、屋根付きのやつだ。あの積載量なら、ボウガンを組み立てたまま運ぶことも可能だろう」
先輩はそこで一度言葉を切り、悔しそうに舌を鳴らした。
「だが、残念ながら排気量五十シーシーの原付一種じゃ、そもそも高速道路に乗れないんだ。呉羽PAに事前に隠しておくこと自体が物理的に不可能なんだよ。盗難車の線も洗ったが、一宮から富山までの全PA・SAに、該当する不審車両の形跡はなかった。そのため、現状の捜査本部としては『時田が一番怪しい』という流れに傾いている」
◇
勤務を終え、私たちは寮に帰宅した。
いつものようにサンの散歩の準備をし、いざ連れ出そうと玄関口に立ったとき、白奈がぽつりと、呟くように話し始めた。
「……私、時田さんは犯人じゃない気がするなぁ」
いつになく声が沈んでいる。私が手を止めて振り返ると、白奈は眉を下げて溜息をついた。
「どうしてよ。本田先輩は、事前の作り置きの可能性を追うって言っていたじゃない」
「だって、資料の後半に行くほど入力ミスが増えてるんでしょ? それって、本当に徹夜で残業して、どんどん頭が働かなくなって、効率が落ちてたってことじゃん。……私、余計なこと言って、本田先輩に変な先入観を与えちゃったかなぁ」
自分の直感が的外れだったかもしれないと、珍しく落ち込んでいる。
私は少しの間考え、サンの首輪に散歩用のリードをカチリと繋いだ。
そして、白奈をまっすぐ見据えたまま、静かに言った。
「ねえ、浜。……ちょっと遠いけど、呉羽PAの付近まで散歩に行かない?」
私はリードを短く持ち直し、隣の同期を見やった。白奈は「えーっ」と露骨に嫌そうな顔をする。
「遠くない? 足パンパンになっちゃうよぉ。私、自転車で行っていい?」
「……わかったわ。置いていかれないようについてきなさいよ」
結局、私とサンが夜道を走り、白奈がその横を自転車でゆっくり漕ぐという、妙な隊列で私たちは出発した。
街灯がまばらになり、住宅街の喧騒が遠のいていく。聞こえるのは、サンの「ハッ、ハッ」という規則正しい息遣いと、白奈の自転車が立てる小さなチェーンの音だけだ。私は呼吸を整えながら、隣を走る白奈を意識する。
私は思いつかなかった。ETCは車のアリバイであって、人間のアリバイではない、ということ。
私は思いつかなかった。時田は『今日殺そう』と計画していたのではなく、耐え難いパワハラを受けた『その瞬間』に引き金を引いたのだという視点を。
見方を変えるとは、こういうことか。私には到底、及ばない領域だ。
勉強も運動も適当。なのに、あんな鋭い視点で事件の急所を衝いてみせる。
私は彼女が嫌いだ。……いや、違う。
彼女の隣で、必死に『正しい努力』を積み上げている自分が、たまらなく惨めに思えるから、私は彼女を遠ざけたいのかもしれない。
「ねぇ、黒音」
白奈がペダルを止めて、惰性で進みながら私を見た。
「でもなんで、わざわざこんな夜中に呉羽PAまで行くの?」
「……自分の目で確かめたいだけよ。車のアリバイと人間のアリバイを切り離した、その先にあるものを」
私は前を見据えたまま答える。
「あんたの『適当な思いつき』が、本田先輩を動かした。もし外れていたら、先輩の顔に泥を塗ることになる。それを確認するのは、バディとしての私の責任でしょ」
「ふーん。黒音ってば、本当に私のこと大好きだよねぇ」
「……黙りなさい。逮捕するわよ」
「あはは、怖い怖い!」
白奈の軽い笑い声が、遠くから響く高速道路の走行音に溶けていく。
私たちは、事件の核心――そして、互いの得体の知れない感情が渦巻く闇の中へと、足を踏み入れようとしていた。




