76.誰かに言った
事故の経緯と現金の紛失について内容をまとめ、私は調書を上司に渡した。
その後、交番に戻る。
「ねぇ、黒音」
白奈が声をかけてきた。
「何?」
「たぶん、誰かに言ってるよ」
「何を?」
「七百五十万円を持ってること」
白奈は椅子を回しながら言った。
「『嫁とディーラーと……』って、途中で悩んでたもん」
「……そうか? 思い出してただけじゃないの。
そのあと、『奥さんとディーラーだけ?』って聞いたとき、はっきり『はい』って答えたよね」
白奈が腕を組む。
「うーん、何か思い出したけど言えないって感じだったんだよね」
「言えない誰か……?」
「そのうち、『解決しました』とか言って、被害届を取り下げてきたりするかもね」 「それはそれで、気になるな」
「でしょ?」
白奈はそう言って、事故記録のファイルをもう一度開いた。
◇
その日の夜。
私たちはいつもの喫茶店にいた。
本田先輩も一緒だった。
「白奈は相変わらず、なんでも事件やミステリーにしたがるな」
本田先輩は呆れたようにカップを置いた。
「犯人が、七百五十万円を奪うために交通事故を起こしたとでも言いたいのか?」
「それは、まだわかんないけど」
「もし本当に狙って盗るつもりなら、翌日わざわざ事故を起こす必要なんてないだろ。
七百五十万円を下ろしたのは事故の前日だ。
狙うなら、その前日のうちに動く方がずっと確実だ」
「……あ」
「わざわざ翌日、事故を起こして、その時に現金を持っている保証もない。
しかも本人が生きていて、現金がなくなったと警察に届け出る。
面倒なリスクばっかりじゃないか」
「確かに……」
「それに、事故証明書にも、保険会社の聴取記録にも、加害者と被害者は『初対面』とはっきり書かれてる。
二人は、本当に赤の他人なんだよ」
「……」
「だから俺は、事故と七百五十万円の紛失は、別の話だと思うけどな」
私は黙ってコーヒーを飲んだ。
確かに、その通りだった。
だが――白奈のこういう時の勘は、これまで一度も外れたことがない。




