75.消えた現金
数日後。 事故で意識を失っていた男性が、ようやく意識を取り戻した。
そして退院前、富山西交番を訪れた。
「実は……事故の日に、現金を持っていたんです」
「現金?」
「はい。七百五十万円です」
私は思わず顔を上げた。
「事故のあったあの日、私はトヨタのアルファードを買うために、現金七百五十万円を持っていたんです」
男性は、少し疲れた顔で話した。
「でも、病院で意識を取り戻したとき、いつの間にやら、そのお金がなくなっていて……事故現場も一生懸命探したんですけど、見当たらなくて」
「わかりました。詳しく伺います」
私は書類を用意した。
「念のため、事故の加害者の方にも確認しますね。ちなみに、七百五十万円はどのような形で持っていたのですか?」
「カバンです。黒い手持ちカバン」
私は事故当日の現場を思い返す。
「……ありました」
「え?」
「確かに、あなたのそばに黒いカバンが落ちていました」
「はい。でも、中身の現金だけがなくなっているんです」
「カバンは見つかっているのに、中身の現金だけがない、ということですね」
私は男性の顔を見た。
「その状況ですと、単なる紛失というより、盗難の可能性が高いと思います。
盗難届として処理させていただいてもよろしいですか」
「……はい。お願いします」
「わかりました。盗難届を提出いたします」
「その現金は、銀行から?」
「ええ。事故の前日に銀行から引き出しました」
「で、事故のあった日にディーラーへ向かっている最中に事故に遭った?」
「はい」
私はペンを止めた。
「それを知っているのは?」
男性は少し考えた。
「嫁と……ディーラーと……くらいです」
「……奥さんとディーラーだけ?」
「……はい。前日に銀行から引き出して、そのまま家に持って帰りましたから」
「なるほど」
私はメモを取った。
「では、事故のことを聞く前に、一つだけ確認させてください」
「何でしょう?」
「奥さんは、今日までに七百五十万円がなくなったことを知っていますか?」
男性は目を伏せた。
「……いや、まだ言ってません」
「なぜです?」
「怖いので」
「怖い?」
「妻に言ったら……大変なことになると思って」
私はそれ以上聞かず、別の質問をした。
「ディーラーには?」
「先ほど連絡を入れました。事故で行けなくなったことと、現金がなくなったことを」
「いつ頃ですか?」
「ここに来る二十分前ぐらいでしょうか」
たった二十分前。ずいぶん急いだんだな、と私はふと思った。
「……そうですか」
私は調書をまとめる。
しかし、どうにも引っかかる。
「嫁とディーラーと……くらいです」
あの一瞬の間。
何かを思い出したような、言葉を飲み込んだような間だった。
奥で書類仕事をしていたはずの白奈が、いつの間にか隣に立っていた。
「念のためお伺いしますが、加害者男性と知り合いということはないですか?」
「えっ? いえ、見たこともないです」
私は、白奈が何を考えているのか分からないまま、話を引き取った。
「そうですか、ありがとうございました。何か思い出したことがあれば、すぐ連絡してください」
男性は頭を下げ、交番を出ていった。
私は、その背中をしばらく見送っていた。




