28.解決編・動機
大河さんは口を死魚のように開閉させたが、
もう反論の言葉は一言も出てこなかった。
額から流れる大量の冷や汗が、ぽたぽたと床を濡らす。
やがて、糸が切れた人形のように大河さんはその場に力なく膝をついた。
「……どうして、そこまでして、お父さんを」
静まり返った部屋の中で、美咲が震える声で呟いた。
その瞳からは、大粒の涙がポロポロと溢れ落ちている。
大河さんは地面を見つめたまま、自嘲気味に低く笑った。
「……親父はさ、普段は立派な父親だったんだよ。だけど、酒が入ると途端に狂暴になる男だった」
その声には、これまで見せていた爽やかな青年の面影は一切なく、ひどく掠れて震えていた。
「狂暴になると、見境なく暴力を振るう。
お袋はその暴力に耐えかねて、ある日、離婚届に自分の名前だけを書いて、
机の上に置いて逃げ出した。……最初にこの宿に来たとき、
白奈ちゃんが『2階の部屋が全部同じ作りだ』って言っただろ。
当然だよ。ここは元々、僕たち6人兄弟の子供部屋だったんだから。
末っ子の弟が今の管理人室、僕は下から2番目だから今の201号室が僕の部屋だった。
お袋が、離婚届を置いて逃げた時は、僕と弟はまだ未成年だったから、
実家にいたけど、上の兄弟たちは、みんな独立してこの実家から巣立っていったよ。
お袋が逃げてから、親父は余計に酒を飲むようになった。
当時、僕は大学生だったから体格も親父と変わらなくなっていたから、
親父も僕を殴れば殴り返されると思ったんだろうね。
……だから、親父の陰湿なDVの矛先は、まだ中学生だった一番弱い末っ子の弟に集中したんだ」
「そんな……」
美咲が両手で口を覆い、嗚咽を漏らす。
「そしてある日……弟は耐えきれなくなって、自分の部屋で首を吊って死んでいた。
親父はそれを機に、ピタリと酒をやめたよ。……だけどさ、遅すぎるんだよ。
弟が死んでからやめたって、何の意味もない。
僕は弟が死んだあと、大学の卒業と同時に二度と戻らないつもりでこの家を出た」
「親父はその後、子供たちが誰もいなくなった2階の構造を利用して、この民宿を始めることにしたみたいだ。弟が首を吊った部屋をあえて『管理人室』にしたのは、周囲から事件を隠蔽するためでもあったんだろうけど……親父にとっては、自分の罪から目を背けず、二度と酒を飲まないための『戒め』の部屋でもあったらしい」
大河さんは声を上げて泣いた。その姿は、冷酷な殺人犯などではなく、過去の悲劇に押しつぶされた一人の子供のようだった。
「でも……でもさ! 僕は止められなかったんだ! ひとつ屋根の下にいながら、
あの時、弟の自殺を止められなかった……! ずっと、ずっと後悔してたんだ……!」
大河の目が狂気に変わる。
「だから、殺す事にしたんだ、民宿の予約状況を見て、一週間は全然客の入ってない事を確認して、事前に入り、天井の通路をスムーズにするため、あらかじめネジを外しておいたんだ。
それから美咲達を連れてくるように手配したんだ。
僕が、普通に親父を殺したとしても、すぐに疑われる、実家なんだからカギを持ってると警察が判断してもおかしくないし、弟の自殺の件なんて調べられたら、母や兄弟は疑われて当然だ。
だから、わざわざ皆と一緒にいてアリバイを作った。
死亡推定時刻に僕は皆と一緒にいて、吉田さんが怪しいとなれば捕まるのは吉田さんだろ」
私が問う
「なんで、吉田さんを犯人に仕立て上げるんだ、あなたの父親と吉田さんは関係ないだろ」
「……どうしてって? 彼女はね、もともと酒屋で働いていたんだ。
親父をアルコール中毒にして、我が家を地獄に変えた酒を売っていたのは、あの人の店だ。
弟が死んだあと、吉田さんは『自分が酒を売り続けたせいで』って、ずっと罪悪感を抱えてこの宿を手伝っていた。
警察が来たら言ってやるつもりだったんだ。
吉田さんが過去の罪悪感に耐えかねて、元凶の親父を刺したんだってね。
そしたら警察だって、絶対に僕じゃなく、あの人を疑ったはずだ……!」
大河さんは、はっきり言って狂っていた。
最初に過去の身の上話を聞いていた時は、ほんの少しだけ同情の余地があるかもしれないと思ってしまった。
だが、途中からの独白はとても聞いていられるものではなかった。
――『ふとした瞬間に、怖い時があって……』
以前、美咲が怯えたようにつぶやいたあの言葉の意味を、私は今、最悪な形で実感していた。
大河さんの心の奥底には、歪みきった本物の怪物が棲みついていたのだ。
◇
やがて、通報を受けて駆けつけた警察車両のサイレンが、静まり返った山奥の民宿に鳴り響いた。
山口大河は現行犯で逮捕され、青ざめた顔のまま警察官たちに連行されていった。
連行される大河さんの後ろ姿を、美咲はその場に崩れ落ちたまま、ただ声を上げて泣きながら見送ることしかできなかった。私はそんな同期の肩を抱きしめ、白奈は何も言わず、ただ静かにその光景を見つめ続けていた。




