2.事件発生
私の身体は、考えるより先にコンクリートを蹴っていた。
一瞬で距離を詰め、倒れている男性の傍らに膝をつく。
周囲には朝の冷気に混じって、金属が湿ったような匂いが漂っていた。
「浜、救急車……っ!」
そう叫ぼうとして、言葉が喉の奥で詰まった。
男性の腹部。そこには、日常の風景にはあまりにも不釣り合いで、凶悪なほど鋭利な「ボウガンの矢」が、深々と突き立っていたからだ。
「……いや、署に連絡。通信指令室本部に応援を要請して! 直ちにだ!」
男性の顔色はすでに土気色で、脈はない。
血の気のない腹部で、矢の羽が朝日に反射して鈍く光っていた。
平和な住宅街が、一瞬にして凄惨な「現場」へと変貌した瞬間だった。
◇
現場には規制線の黄色いテープが張られ、静かだった住宅街はパトカーの赤色灯と、鑑識官たちのせわしない足音に包まれた。
重苦しい空気の中、一人の鋭い眼光を持った男が現れた。捜査一課の警部だ。
「これが被害者か。鑑識、状況は?」
「はい。被害者は山崎慎太郎、五十二歳。この地域の不動産会社の社長です。
死亡推定時刻は昨夜の二十二時から二十三時の間。
詳細な検視結果はこれからですが、至近距離から放たれたボウガンの矢による失血死と思われます」
鑑識の一人が、玄関脇のインターホンをライトで照らしながら続けた。
「インターホンに手袋の痕跡がありました。
表面の模様から、牛革製のものと推測されます。
現在、科捜研に種類の特定を依頼中です」
警部が忌々しげに鼻を鳴らし、手帳に目を落とした。
「なるほど。何者かがインターホンを押し、山崎が出てきたところを狙い撃ちにした、というわけか。
計画的な犯行だな」
そこへ、若い捜査員が恐縮した様子で近づいてきた。
「警部、第一発見者を連れてきました」
「渡辺 黒音 巡査、および浜 白奈 巡査です」
私たちは、背筋を伸ばして鋭く敬礼をした。制服に染み付いた朝の冷気が、妙に肌寒く感じる。私たちは震える声を押さえ、発見時の状況を冷静に説明した。
◇
ようやく事情聴取から解放されたときには、日はすでに高く昇っていた。
私の心臓は、まだ早鐘を打っている。
……正直に言えば、足が震えていた。警察官になってから、死体を見る機会は初めてではない。
しかし、これほど生々しい「殺意」の痕跡を目の当たりにしたのは、初めてだった。
だが、私たちの役目はここまでだ。
交番勤務の巡査が、刑事ドラマのように捜査の核心に首を突っ込むことなど、本来はあり得ない。
物語のプロローグに立ち会ってしまったのに、その結末を知ることができないのは、本を途中で取り上げられたような、妙なもどかしさがある。
だが、この緊張も今日までだ。そう自分に言い聞かせ、私は日常の公務に戻ることを決めた。
「あっ、本田先輩がいる!」
白奈が突然声を上げた。




