1.プロローグ
「浜巡査、何回も言ってるだろ。いい加減『巡回』くらい漢字で書けないの? それに、この字……ミミズがのたうったみたいで、正直、報告書として出すのが恥ずかしいわ」
私は、デスクに広げられたあまりにも「独創的」な巡回日誌を指さし、同期の浜白奈巡査を問い詰めた。
窓の外には富山の澄んだ青空が広がっているが、私の心の中にはどんよりとした暗雲が垂れ込めている。
「あぁ、ごめんねぇ、黒音。 スマホ忘れちゃってさぁ。最近、変換機能に頼り切りだったから、いざペンを持つと脳みそがフリーズしちゃうんだよ。 あと、字が汚いのはもう、天性の才能っていうか? 個性として受け入れてよぉ」
白奈は悪びれる様子もなく、ふにゃふにゃとした笑顔を浮かべて椅子に深くもたれかかった。 その態度は、警察官としての自覚があるのかと疑いたくなるほどに緩い。
「まったく! 個性で済まされる問題じゃないでしょ」
私の名前は、渡辺黒音。この「問題児」である浜白奈とは、警察学校時代からの付き合いだ。
正直に言おう。私は彼女が嫌いだ。
彼女は勉強嫌いで、基本的な漢字すら危うい。
おまけに運動神経は壊滅的で、訓練ではいつも最後尾を走っていた。
まあ、私自身も頭がずば抜けて良いわけではないし、字だって自慢できるほど綺麗だとは言わない。
だから、白奈の頭が悪いとか、運動音痴なのは別にいい。個人差だ。
我慢ならないのは、それらに対して向上心を持とうとしない、その「適当な姿勢」なのだ。
勉強ができないなら人の倍机に向かう、運動が苦手なら居残りで汗を流す。
それが私の信条であり、努力を放棄する人間は、私の辞書には「理解不能」と記されている。
とはいえ、運命のいたずらか、私たちは同じ交番に勤務するバディだ。
それどころか、寮でも隣の部屋という腐れ縁。
本来なら距離を置きたい相手だが、仕事だと割り切るしかない。
「さ、今日の書類作業も終わり! 黒音、帰ろう? お腹空いちゃった」
白奈は勝手にペンを置き、伸びをした。
私は小さくため息をつき、自分の日誌を閉じた。
勤務を終え、私たちは夕暮れ時の街を歩き、寮へと向かう。
寮の入り口にある古びた犬小屋には、寮長が保護した茶色の柴犬の「サン」がいた。
私たちの姿を見つけるなり、サンはちぎれんばかりに尻尾を振り、喜びを全身で表現する。
「サン、ただいまー! 相変わらず元気に振ってるねぇ。癒やされるわぁ」
「サン、ただいま。後で散歩に連れていってやるからな。少し待っていろ」
私はサンの頭を優しく撫でた。性格も価値観も正反対な私たち二人の、唯一といっていい接点は、揃って愛犬家であることくらいだ。
それがこの複雑なバディ関係をかろうじて繋ぎ止めているのかもしれない。
その夜もサンを散歩に連れて行き、翌朝――。
私たちの一日は、いつものようにサンの散歩から始まった。
「昨日のサスペンスドラマ見た? 私、犯人すぐ分かっちゃった。一番怪しくなかった人が犯人なんだもん、定番だよね……」
朝の冷たい空気を吸い込みながら、白奈はどうでもいいドラマの感想を喋り続けている。私はそれを半分聞き流しながら、サンのリードをしっかりと握っていた。
「――待って、あれ」
不意に、白奈が言葉を切り、ある一点を指さした。
その指先の先――閑静な住宅街の一軒家だった。
引き戸の玄関が半開きになっている。
そして、その暗い玄関ホールの中に、一人の男性が倒れていた。あまりにも不自然な姿勢で。




