Hello,world!
あれから一華は、電脳世界で一夜を過ごした。世界中の言葉が流れているだけに退屈することはなかったが、眠気も空腹もやってこないのはどうにも違和感があった。自分の時間だけが止まって、世界に取り残されているようだ。そして数日が経った頃、メッセージが届く。それは他の誰にでもなく、彼に向けられたものだった。
「吉野くん、ですよね」
確かに彼は吉野だった。しかしそれを知っている人は、ネバーランドにはいないはずだった。記憶を辿ってみる。確かに一人だけ、それを告白した友人がいた。送り主はレイ。おそらくその友人とは別人だろう。ならば考えられるのは、その友人から聞いたという線。ふと、レイという名前に思い当たった。菅原麗。彼女もまた、人々の輪の中から外れた一人だった。特に親交は深くなかったが、麗はレイとも読めることと彼が彼女を変わった人物と認識していたためにそう勘ぐったのだ。
「菅原さん、で合ってるかな」
「合ってる。今どこにいるの」
非常に答えにくい質問をされたが、正直に答えるより上手くやる方法が思い浮かばなかった。
「今は死んで、この中にしかいない」
「へえ。死んで異世界にトリップした、みたいな。すごいね」
案外とあっさり信じたので、面食らう。彼女は都市伝説やオカルトの類が大好物だったのだ。行方不明になった人がネバーランドに現れた、それは彼女を動かすに充分だったのだろうと彼は納得した。
「死んで、どんな感じなの」
「どうって言われても、実感が湧かないかな。なんか腹減って買い物に行ったら、帰りに轢かれて」
言いかけたところで、体に電流が走る。
「情報漏洩は重罪だよ」
頭上から声が聞こえる。見上げると、真っ白な天井に裂け目ができていた。
「いや、でも」
「うるさい、喋るな」
裂け目が閉じたところで、レイが尋ねる。
「どうしたの、急に黙って」
「ごめん」
「今、何を言おうとしたの」
「何でもないよ。そっちは、どう」
「こんな田舎で人が消えたんだから、もう大騒ぎだよ。その時に、異世界転生の都市伝説を思い出して。それで色んな人に訊いて、アカウントを探してきた」
「その割には、まだ君しか来ていない」
「私は独りだから」
「そうだ、IPアドレスを辿ればここがわかるんじゃ」
裂け目が開き、電流が流れる。
「カモフラージュは万全だよ」
「ごめん、ダメみたい」
仕方がないので、彼は話題を変える。
「そうだ、母さんはどんなだった」
「マザコンなの」
「違う」
「いたく心配してて、必死で探してたよ」
「そっか。もっと親孝行しとけばよかったかなぁ」
「優しいんだね」
「優しくない。結局孝行できないまま死んじゃったから」
「優しいよ。ほら、不良が犬を拾ってるみたいな」
「不良に見えてたの」
「不良には見えないよ、弱そうだし。ただ、人を殺してそうとは思ってた」
「それなら不良の方がずっとマシだよ」
「じゃあ、また来るね」
「なんで、都市伝説が見れたんだからもう気は済んだでしょ」
「いや、ほら、楽しかったから」
彼女がログアウトする。依然オンラインではあったが、不思議と独りになった気になって彼は呟いた。
「僕、死んだんだな」