Goodbye.
陽が傾きはじめる午後四時、彼はひとり家路につく。
「ああ、今日も終わってしまう」
誰に語りかけるでもなく呟いた。それは声が出るかを確かめるように。彼は学校にいる間、ほとんど喋ることがなかった。それは彼が意図してそうなったわけでも、誰かが意図してそうさせたわけでもない。彼らに悪意はなく、こうなったのは自分のせいだと彼は考えていた。彼は面と向かって話すことが苦手だったのだ。それは自身の容姿にコンプレックスを持っていたからであり、ただ単純に他者を恐れていたからでもあった。家に着く。
「おかえり」
「晩飯、いらないから」
階段を駆け上がり、自室に入る。ベッドに寝転がり、コネクタのホーム画面から「ネバーランド」を起動した。新世界。そこで人々は語らい、議論し、群れをなし、心の充足を手にしていた。それは時に現実より居心地の良いもう一つの世界、そして彼もまたネバーランドに魅せられた一人だった。
「こういうの好き」
「このシーンには裏の意味があって云々」
「私の好きなものを馬鹿にするな」
言葉が流れていく。その中でも、彼の目に留まる言葉があった。
「世の中より何より、自分が嫌。本当に嫌になる」
彼のネバーランドでの名前は紅野一華。それは彼にとってのヒーローの名前だった。現実ではない現実で、彼はヒーローになりたかったのだ。画面の前でしばし考える。どんな言葉をかけてあげられるだろうか。考えて考えて、結局は当たり障りのない言葉しか出てこない。送信されたと表示される。それで画面の向こうの彼が、あるいは彼女が救われたか、それは知る由もないこと。息を吐いたところで、腹が鳴る。いつもならこのまま眠ってしまうのだが、その日に限ってはどうにも寝付けなかった。仕方がないので、近くのコンビニに買い出しに行く。暗く人気のない山道を、十五分ほど歩いたところで到着した。ホットドッグを無人レジに通し、店を出たところで食らう。と、一台の車が来ていることに気づく。しかしその時には遅かった。車の方は彼に気づいていなかったのだ。全身に鈍い衝撃が走り、体が宙を舞う。防衛本能からだろうか、頭から落ちることだけは防いだ。それでも、体が動かない。朦朧とする意識の中、誰かに運ばれていくのだけを知った。
目を覚ますと、見覚えのあるログイン画面を前にしていた。画面というよりは、目の前にある景色がログインを求めているようだった。
「何が、起きた」
そう言葉を漏らすと、どこからか声が聞こえる。
「君は死んでしまった」
「誰だ」
「神とでも言っておこうか。このネバーランドを作った、創造主だよ」
「僕が死んだのなら、僕は何故ここにいる」
「本当にすまなかったと思っている。私の不注意で君に大怪我を追わせてしまった。だが幸いなことに、君の脳だけは無事だった。だから君の脳をスキャンし、電脳上にコピーした」
「どういうこと、ですか」
「君の体は死んでしまった、二度と元のように過ごすことはできない。しかし君の脳だけはなんとか残せた。だから、君には電脳世界で暮らしてもらう」
「おかしくないですか、それ」
「本当に申し訳ない。君を延命するにはこれしかなかった」
「そんなのって」
言いかけたがやめる。目の前にあるものが、とても嘘とは思えなかったからだ。
「まあいいか、どうせ意味のない生だったんだ。だから、この世界で僕はヒーローになってやろう」
慣れた手つきでパスワードを打ち込み、彼はネバーランドに漕ぎ出した。




