第44話「黒蛇①」
「東方の」
「羊」
「西方の」
「山羊」
「南方の」
「蛇」
「北方の」
「梟」
しばらくして、錆びついた音を立てながら扉が開いた。中から少し埃とカビのにおいがし、少し顔を歪ませた。
入る直前、マルカスは周囲を見渡し、張っているものがいないか確認する。
とはいえここは街の、特にあまり賑わっていないところで、街灯は無く、人通りもない。
「……寒いから早く入るにゃ」
中から若い女性の声がして、マルカスは恐る恐るその扉の向こうへ進んだ。
「……あらら……新顔にゃね。なんでここを知ってるにゃ?」
薄暗く天井の低い部屋の中央に、一つだけ灯りがあった。その横に置いてある机に座っていたのが、声の正体。
「辺境防衛騎士団、と言えばいいか」
「……アライブにゃんね……にゃんのようかにゃ」
独特な喋り方をする猫の亜人種は、目を細めてマルカスを見た。
「情報を、売ってもらいたい」
猫の女はピクリと眉を動かした。
「〈黒蛇〉のことだ」
「にゃんでそれが聞きたいの?」
「ちょっとな……今は言えねぇ」
猫の女は、マルカスの目をジッと見つめた後、溜息をついてうんざりしたようにヒゲを整える。
「にゃー……あの男は何考えてるか分からにゃいにゃ……猫使いの荒いことにゃね」
そして、猫の女は手を差し出した。
「なんだ」
「前金にゃ。情報だけ得て逃げられたらたまったもんじゃにゃい。情報はあたしらの財産にゃよ」
「……情報を全部売るとは限らない……だから半分しか出せない」
「にゃにゃ!? ……アライブもにゃかにゃか賢い奴を送ってくるにゃん……」
マルカスは、金の入った袋を二つ取り出し、片方を渡した。
「もともと半分しか渡さないつもりだったにゃか……」
「初対面の人を信用しろと言う方が無茶な話だ」
差し出された袋の中身を確認してから、猫の女は渋々話し始めた。
「〈黒蛇〉について、だったかにゃ?」
「そうだ」
「お前がどこまで知ってるのかは知らにゃいけど、あまり近づかない方が身のためにゃんね」
「どういうことだ?」
猫の女は立ち上がり、カップに紅茶を注いだ。
「表向きでは〈黒蛇〉と名乗ってる極悪集団にゃん。けど実際彼らは、特定の人しか殺さないにゃん。彼らが狙うのは自らの敵、トイランにゃ」
「ちょっと待ってくれよ、〈黒蛇〉の後ろには王家がついてるって話が」
「にゃるほど。アライブもにゃかにゃか情報屋のセンスがあるにゃんね。だけど不正解にゃん。彼らの後ろには誰もいにゃい」
アライブの予想が外れた。それでは〈黒蛇〉は何のためにそんな事をしているのか……
「にゃー……〈黒蛇〉はトール海兵隊の残党が結集したグループにゃ。トール海兵隊はあの都市を支配するほどの軍事力を備えた強力な軍隊にゃん。にゃのに負けた。あり得にゃい話にゃ。彼らは全員異能者で魔法が使えるにゃ」
「じゃ、じゃあどういう事だ! 〈黒蛇〉は……敵じゃない……のか」
マルカスの問いに猫の女は答えない。
代わりに、注いだ紅茶をマルカスに見せた。
「冷めたにゃん」
「……?」
「? まさかアライブから聞いてにゃいかにゃ?」
「何のことだ」
「情報提供は、この紅茶が冷めるまでにゃん」
「!? まさか、あまり湯気の立たない紅茶を注いでいたと思ったら、そういうことか!」
「そうにゃんね」
「くそっ……卑怯だぞ!」
「卑怯にゃん? こっちは命賭けて集めた情報にゃんよ? そう易々と渡すわけにゃいにゃ」
猫の女は得意そうに笑う。
「その、もう一袋くれるのなら、話してやるにゃん」
「チッ……」
マルカスは半ば投げるように銭袋を渡した。猫の女は嬉しそうにそれを受け取り、すぐに机に収めてしまった。
「きっちり貰ったにゃん」
「いいから情報寄越せよ」
「はぁ……そう焦らにゃいにゃ」
猫の女は先ほどの紅茶を捨てて、新しく紅茶を注いだ。
「〈黒蛇〉の目標はヴォダの奪還にゃん。でもそのためには邪魔者が居る。それがトイランにゃ。奴らもヴォダの侵略を第一に考えるにゃ。何故ならヴォダはいわゆる王国の玄関、つまりヴォダを落とせば確実に王国の勢力は衰えるにゃ。まぁ、そういうことだから〈黒蛇〉は敵でもあるし味方でもあるにゃんね」
「……もう一つ聞いていいか」
猫の女は目を細めて嫌そうな顔をした。
「にゃ……うー……特別にゃ」
「……フレイア、辺境防衛騎士団副団長フレイアについての情報が欲しい」
聞くなり猫の女は目を丸くして聞き返した。
「フレイアにゃ?!」
「そうだ」
「……にゃー……フレイアについての情報はにゃいにゃー……けど、最近そういう高異能者が失踪する事件はあってるのにゃ。大体いくらか時間が経ったあとに豹変して出現して暴れ狂ってるにゃん。今のところ全員殺されたにゃんけど」
「ころ……誰にだ?」
「にゃ? 近衛騎士団にゃ。あ、そう言えばにゃ」
「なんだ?」
猫の女は突然不思議そうな顔をした。
「本当かどうかは分からにゃいけどにゃ、同じ顔の人を同じ場所で同時に見たっていう報告があったらしいにゃ。まぁ、その人の疲れから見えた幻覚だろうって判断で、近衛騎士団は動かにゃいけどにゃ」
「そうか、それも調べることにしよう」
「ふむ……終わりかにゃ? 終わりにゃら、こっちから出るにゃん」
指を指したのは机の下。先ほどの入ってきた扉ではない。
「どうしてだ?」
「……お前には不運な来客にゃ」
猫の女はマルカスの後ろの扉に目を向けた。マルカスもつられて後ろを振り返る。が、特に音もしなければ人の気配も無い。
「だれか、来たのか?」
「にゃー、殺し屋にゃんね」
唐突に飛び出た言葉に驚く。
「殺し屋?!」
「にゃー、とは言ってもそれは二つ名にゃん。本当の名前はハイド。覚えておいた方がいいにゃんね」
「俺を殺しに来たのか?」
「そんにゃことは知らにゃいにゃ、でも死にたく無いにゃら早くこっちから逃げるにゃ」
猫の女は机を少しずらし、床に掘ってある細い穴を見せた。
「これにゃ」
「あ、ありがとう」
「にゃー、無事に帰れるといいにゃんね」
「……帰らなきゃいけねぇから、這ってでも帰るさ」
マルカスはそう言い放って穴に飛び込んだ。ギリギリ肩が通ったが、何しろ土に適当に掘った穴だ。それはもう酷く脆かった。
しばらく降りると、広い地下空間に出てきた。
何もなく、ただ広いだけの空間で。
「……なるほどね……」
冷たい岩壁に伝わってくる気が。
そこに両手に剣を刺され、足枷をはめられ、腹に大剣を突き刺され繋ぎとめられた男は、顔も上げず、必要最低限の呼吸で息をしていた。
「お前が、トール・ロイ」
男は下を向いたままニヤリと笑った。




