番外編:ヴァルキリー・ブライド
鳥のさえずりが鳴り響き、鮮やかな緑の木々が風に揺らされて静かに音を立てる。窓から溢れる朝日は、大人しく落ち着いた雰囲気を醸し出し、紅茶の香りを楽しむにはもってこいの静けさ。
マルカスは、広間で一人朝のティータイムとやらを楽しんでいた……
――ドンドンドン!
はずだった。
マルカスは吹きかけた紅茶を口に戻して、落ち着いて飲み込むと、最高の時間を邪魔された苛立ちを隠しつつ玄関へ向かった。
玄関のガラス越しには複数人の影と、比較的大きめの馬車と思われる影が見えていた。
「こんな朝早くに何の用で……」
マルカスは少し出た苛立ちをすぐさま引っ込めた。
そこに立っていたのは貴族階級、特に上級の証である白い鳩を象ったバッチを胸に、これ見よがしに付けていたからだ。
「し、失礼しました、ヴェルカディア伯爵」
マルカスはサッと跪き、剣を横に置いた。
「わざわざご足労様でした。ところで、こちらにはどのような件で?」
マルカスが尋ねると、側に控えていた黒のシンプルな服を着ている初老の男が答えた。
「伯爵がこちらにいるエルという女性に一目会いたいと聞かないもので……」
「爺、その話は……」
「大変失礼しました」
従者二人の真ん中、マルカスの真正面に位置するこの男は、ここから少し遠い町を治める大領主であり、代々続く名家でもある、ヴェルカディア・ソル・キディア。爵位を持ち、ヴェルカディア家当主。
聞くだけで訳わからなくなるような肩書きばかりが並ぶ貴族の貴族。
マルカスは、敬意を払いつつ、しかし警戒を崩さないように対応する。
「それならば、今エルを呼んでまいりますが、それまでこの屋敷でお休み下さい。粗茶で良ければお出しします」
マルカスが屋敷の中へ案内しようと立ち上がった時、左の少し若い男が凄まじい早さで剣を引き抜いた。
マルカスは一時動きを止め、ゆっくりと指を剣の柄に置いた。
すると、正面の男は少し笑う。
「その必要はない」
マルカスは左の男の殺意が高まるのを感じた。
「……それはどういう」
「大人しく、してればいい」
キディアはマルカスの質問をかき消し、低い言葉で続ける。
「まさか、この俺を相手にしようなんて馬鹿なこと、考えるなよ?」
口角を上げ、不敵な笑みを浮かべる。そして、そのままキディアと従者は玄関の扉を蹴破って入ってしまった。生憎アライブはキッチルと村へ買い物に行ってしまっている。ライセング達も今は寝ているだろうし、そもそも階が違うので気付かない可能性の方が高い。そして、マルカス自身も危険すぎる。
左側に剣を構えて佇む男と、きっと奥の草むらにも数人弓兵が隠れている。この間合いで防御魔法を発動させるほど時間をくれないだろう。左はなんとかなっても草むらの弓兵は……。
マルカスは考えたが、何もできない。後ろの屋敷からは大きな音がした。エルに出会ったか。
「……お前らの目的は何だ」
「…………」
マルカスは左の男に問うたが男は黙ったまま答えない。マルカスはしびれを切らし、指で剣を引き抜くと、その動きに反応した相手の突き出した剣を身をよじらせて交わし、そのまま横に回り込んで腕の関節を肘で叩き折った。骨の砕ける音がして男は呻きながら地面に倒れた。
マルカスは引き抜いた剣を拾い上げ、辺りを見回した。すると、右の木の陰から光る物が高速で飛んできた。寸前で避け、マルカスは一か八か剣を思い切り投げた。真っ直ぐ飛んでいった剣の先で敵には予想外の出来事だったのか、短い悲鳴が聞こえた。
すかさずマルカスは先程倒した敵の剣を拝借し、残りの弓兵に構える。もう投げる技は無理だ。しかし距離的にカウンターも無理。出来るのは時間稼ぎぐらいだろうか。頼むから早く誰か来て。
そんなマルカスの願いも虚しく、扉から出てきたのは先程の男――キディアと従者と、手に縄をはめられ意識の無いエルだ。
「おや、一人、いや二人やったか。ふふ、なかなかの腕前だね」
キディアは挑発するようにニヤニヤと笑みをこぼす。
「この身に余るお言葉、恐縮です」
「ふっ、でもね、どれだけ強くても女の子一人守れないようじゃ、まだまだだよ」
マルカスは唇を噛んだ。血の味がしたが、今は全く気にならない。
「エルを離せ……!」
マルカスは腰に隠していた短剣に持ち直した。キディアの表情が少し変わる。
「爺、頼む」
キディアはエルを受け取ると、そのまま馬車に乗った。そして、爺と呼ばれた初老の男は、馬車の後ろに取り付けられていた大剣を両手で持ち、目をつぶっている。勝てる相手ではないことは重々承知の上。
マルカスは大きく踏み出した。左側の草むらからは無数の矢が飛んでくるが、防御魔法を展開して突き進んだ。
爺は、進んでくるマルカスの足を狙って低い姿勢から大剣を横に振り抜いた。マルカスはそれを予想していたように、上に跳ね上がり爺の顔面に見事な蹴りを当てる。しかし、爺はバランスを全く崩さず、大剣の側面で宙に舞うマルカスを地面に叩きつけた。
左肩が割れるような感覚がした。立ち上がろうにも足に力が入らない。目の前で馬車が発進する。
止めなくちゃ。止めなくちゃ。止めなくちゃ。
助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。
生きている右手で地面を這いながら、見えなくなる馬車の後ろを追った。
手を伸ばす。左脚の太ももからは骨がむき出しになり、全く機能しない。意識が遠のいていく。目が霞む。
……何も、見えなくなった。




