第40話「分かれ道」
手に持つ手綱に馬の息遣い、足のテンポが伝わってくる。疲れた目を擦りながらマルカスは前を睨む。
先程から馬車内に話し掛けても誰も返事をしないと思ったら全員寝ていたのだ。全く人が苦労しているというのに呑気なものだ。
しかし、いつのまにか見慣れた風景に戻り、石で舗装された路になったので、そこまで疲労を感じなくなった。それまでは未舗装のデコボコの道で、腰が悲鳴を上げていた。
「……代わろうか」
後ろから声を掛けられた。馬車内からライセングが顔を出し、手を伸ばしていた。
マルカスは馬車を静かに停め、ライセングに手綱を渡した。馬車内に戻ろうとすると、
「屋敷まではもうちょいか、ありがとう、休んどいてくれや」
と、肩を叩かれた。ライセングはニカッと笑うと、ゆっくり馬車を発進させた。馬の上に亜人種というなかなか見ないコンビだが、もう見慣れた光景だった。
流石に三時間も手綱を握っていたからだろうか、マルカスは馬車内に座り込むなり、すぐに眠りに落ちた。そこがエルの真隣だという事に気がつくのはまだまだその先だが……。
*
いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。
死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――。
「うわぁ!」
マルカスはベッドから跳び上がり、掛け布団を蹴り飛ばして床に着地した。
体からは汗がびっしょりと出ていた。
嫌な夢を見た。自分が殺そうとした相手が必死に生にしがみつく夢。戦場から帰ってくるたびにこの夢を見る。慣れるなんてない。
それにしても、とマルカス。窓からはまだ日が昇っていないのか、白い光が溢れて床を照らしている。カーテンも閉めていないから、疲れて倒れこむように寝たのだろう。今思えば馬車からの記憶が薄い。
しかし起きてしまったからにはもう寝付けない。目がバッチリ覚めてしまったのである。
「ちょっとお腹空いたな……」
音を立ててお腹が鳴る。
昨日以来なにも口にしていない。流石にお腹も減る。
マルカスは音で起こさないよう静かに部屋から出て、台所へ向かった。
「んぁ? マルカスじゃねぇか、どうした」
先に気が付いたのは顔を少し赤くしたライセングだった。
「ちょっとお腹減ってさ、何かないか探しにきた」
そう言って食材棚を少し見るが、流石に1日留守にしていただけあって何もない。ライセングも興味無さそうに、手元のグラスを傾ける。
「ちょっと付き合ってくれぇや」
げっぷをしながらマルカスを呼ぶ酔っ払いは、食器棚から小さめのグラスを持ってきて、ほんの少し注いだ。
「俺あんまり飲めないんだけど」
「ちょっとだちょっと、遠慮すんなって」
マルカスに席を譲り、ライセングは隣へ移る。
「まぁ空きっ腹に酒は危ねぇから」
言いながらライセングは塩焼きにされた魚の半分を渡してくれた。
「これ取ってきたの? こんな時間に?」
マルカスが問いかけるが、ライセングは返事をしなかった。とはいえ、ここに魚があるということは、そういう事なんだろうが。
「で、話があるんだろ?」
横並びのテーブルと椅子、マルカスは前を向いたまま訊いた。めんどくさい前振りはナシだ。
ライセングは一口酒を飲んで、静かに言った。
「アライブが、聖輝の八賢に引き抜かれそうだ」
ガタンと大きな音を立てて椅子が倒れた。無意識にも立ち上がっていた。
「そんな……嘘だろ」
「嘘じゃねぇ。書類が届いてんだ。丁度一席空いてるからどうかってな」
アライブが引き抜き……。
しかし不思議と怒りも湧いてこなかった。どこかで分かっていたのかもしれない。
「ま、まぁな。王国最強なんて謳われる辺境防衛騎士団団長兼本部隊隊長だからな……正規軍の首脳が欲しがるのも無理はない、か」
「……そうだな。さらに言えばアライブ率いる辺境防衛騎士団は今のところ全戦全勝、その辺りのアライブの手腕も買われてるだろうよ」
生まれ持った天才。それがもし貴族で生まれたなら、一生困ることはない大金、名誉、地位。なにもかも手に入れることのできる先天性の病気。
「それでだ」
ライセングは続ける。
「もしアライブが抜けたとして、お前はどうするんだ? アライブに憧れて入団したんだろう? 辞めんのか?」
言葉が出ない。即座に否定したいが、言われるとよく分からなくなる。アライブに憧れて入団を希望したのは事実だ。彼を知ったのは真っ白い建物の中で、一月遅れでやってくるゴミを包む用の新聞紙。記事の見出しにはこうあった。
『新進気鋭の騎士アライブ! 最恐防衛線、第一部防衛線から、最初で最後の生還者』
長々と、その若い騎士の功績を称える文章が並んでいた。しかし、その時の衝撃は堪らなかった。第一部防衛線はその過激さ故、騎士の墓場と呼ばれ、二年間生きて帰ってくる者は居なかった。
しかし、アライブはそんな中生き残り、後にも先にも唯一の生還者として名を上げた。
憧れた。それ以外なににも言葉にできない。
そして、めでたく入団。本部へ送り込まれた。そこで、念願だったアライブの姿を見た時、ショックを受けた。なぜなら同い年ぐらいの青年だったから。
「……俺は残るよ。たとえアライブが居なくなっても」
焼き魚を少しつまむ。照れ隠しの時の癖だ。マルカスはチラリと横のライセングを見た。彼はただじっと前を見つめるだけで、何も言わなかった。
マルカスも、グラスに残った少しだけの酒を飲み干すと、無言で食堂を出た。
外はまだ、夜明け前だった。




