第38話「勝利の余韻」
ただ自分の感情に呑み込まれ、本能のままに相手を倒してしまった。その罪悪感が今更になって身体を震わせる。
アライブは膝を叩いて、思考を振り払うようにエルの元へ走った。
路地の入り口付近でぐったり倒れているエルを担ぎ上げた。外傷はほとんどなく、攻撃も急所を外して受けていた。それだけ場慣れしているということか。
気を失っている彼女は、失礼だが予想以上に重たく、疲労で悲鳴をあげる足は小刻みに震える。
アライブは、勝利した戦場を一歩づつ確実に踏みしめ、その実感を味わっていた。
「随分と、お疲れの様子で」
不意に声をかけられ、アライブはハッと顔を上げる。疲労で不覚にも下を向いていた。目の前には小さく手を振るマルカスの姿があった。
「あ、あぁ、お疲れ様だマルカス」
少し笑みを浮かべるとマルカスも笑って返してくれたが、すぐに眉間にしわを寄せた。
「……もしかしてエルか? 何があった?」
マルカスの真剣な眼差しに、自然と目を逸らしてしまった。これは自分達自身の、警戒を怠ったせいで起こってしまった事であり、それについては言い訳は出来なかった。
「ちょっと、無警戒だったところをさ、後ろからやられちまった」
マルカスは眼を見開いてアライブを見、エルを見た。
「だっ、大丈夫なのか? まさか……」
「問題ない。息はある」
言いかけた言葉にアライブは即座に否定をする。
しかし、この生命の灯火が消えるのも時間の問題である。傷は少ないが、同じ雷の属性だったために、身体の中を巡るエネルギーにズレが生じ、身体の機能を一部損傷していた。
「じゃ、じゃあ早く戻らねぇと」
足を本部の方へ向けかけたマルカスを呼び止める。マルカスは首を傾げ、また向き直った。
「あのさ、俺の足じゃ間に合わないかもしれないから……」
アライブは背負ったエルを前で抱き、マルカスに差し出した。
「え、俺、いや、えっ」
マルカスは差し出された意味を瞬時に理解し、戸惑いの色を見せた。
「でも本当にやばい、お願いだ、ここで漢マルカスを見せてくれ」
「えぇ!」
しかし、命の事となると断るわけにはいかない。マルカスは背中で受け取ると、無言で走り出した。この時、自分の鼓動が無駄に早くなっていることは無視していた。
「――頑張れよマルカス」
走りながらシワシワの木の実を口に含んでいるマルカスの背中に、言葉をかけた。
彼の耳が赤くなっていることに、アライブは笑いが止まらなかった。
*
「ただ今、ハァ、戻りました……」
マルカスが本部に戻ってきたのはそれから十数分だった。本部の天幕は救護班の場所だけ出ており、他の天幕は片付けられていた。戦いを生き抜いた人々も、その疲れを顔に出し、しかし周りと勝利の喜びを共有していた。
「あら、ようやく戻って……ってエル!?」
白銀の長い髪を揺らしながら走ってきた少女は背中のエルを見るなり叫びをあげた。
「あぁ、キッチル。エルなら大丈夫だ。まだ息はある」
言われたが一応確認をし、息をしていることを認めると、キッチルは大きく安堵の息を吐いた。
「よかった……これくらいなら何とかなるので、マルカスはその辺に座って待って下さい」
一瞬戦友を心配する表情を見せたが、即座に表情を変え、いつもの仕事モードへと移り変わり、エルを抱きかかえると素早く天幕へ消えていった。
マルカスはその姿を最後まで見守ると、大きく息を吐き出した。色々疲れた気がした。
「マルカス、おかえり」
地面に座り込んだ頭の上から低い声がかかった。青色の体毛に身を包んだ大きな亜人種――ライセングだ。
「ただいま、やっぱ日差しは無理か」
相変わらず特性のサングラスをかけているライセングに、軽口を叩く。ライセングもそれをさらりと受け流した。
「お目目に悪いからな。それより大丈夫だったのか?」
「なにが?」
マルカスが問うと、ライセングは頭を掻きながら隣に座り込んだ。
「なにって……そりゃあの大暴れの件よ。みんな大騒ぎだぜ? マルカスが壊れたってな」
愉快そうに大きく笑うライセングを少し睨んだ。しかし、あの時の記憶は無いので、大丈夫かと言われても大丈夫だったとしか言いようがない。
「そんな事で騒いでんのかよ……呑気なもんだなぁ」
眼を細めて遠くの集団を見る。まだ成人したばかりの男や女、それに亜人種が入り乱れて喜びで踊り狂っている。
「ま、当分は剣豪マルカスって名前が付くぜ」
大きな手で頭をガシガシと撫でると、ライセングは大きな笑い声をあげて去っていった。
そして再び一人になり、しかしあの輪に入る気力さえ持ち合わせていないので、背中の岩に体を預ける。
先程背負っていたのはかなり柔らかく、この岩と比較にならないぐらい心地が良い……いや、それだけではない。あの時の堪らない英雄感が、身体を駆け巡る。このまま逃げてやろうかとさえ思ったほどだ。
マルカスは目を瞑り、そんなくだらない事を悶々と考えていたところに、声をかけられた。
「マルカス」
「うわぁ! び、ビックリした……」
きょとんとするキッチルに「なんでもない」と横に手を振る。
キッチルもキッチルで、それにはあまり興味が無いのか言及はしてこなかった。
「終わりましたよ、とりあえずは大丈夫です」
にこりと微笑み、天幕の入り口を少し開いてから、中に入るよう促した。
「あ、ありがとう。それじゃちょっとだけ……」
マルカスは恐る恐る一歩を踏み入れた。
そこは、ベッドと必要最低限の器具しか用意していない殺伐とした風景だった。
その白いベッドに横になる赤い髪の少女の唇には薄い桃色が戻っていた。
「エル……良かった」
思わずその柔らかい頬に触れてしまいそうになるが
、後ろでニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる女医野郎が居るのですかさず手を引っ込めた。
「あら、もういいの?」
出て行こうとするマルカスの背中にあの笑みのまま声をかける。
「いや、まぁ、大丈夫そうだし、俺はこれで……」
「ふーん?」
「ふーんてなんだよふーんて」
にやにや顔のままのキッチルを無視して天幕から外へ出た。外気は暑くもなく寒くもなく程よい日差しと風で、事の終わりを告げるように大人しくなっていた。
すると、
「おい、お前ら!」
集団の中の一人が何かに気がついたらしく、山の下の方を指差して叫んだ。
全員の視線が向くその先――下手な疲労演技で傾斜を登る黒髪の顔の整った青年、我らが団長アライブの姿があった。
「団長の帰還だー! やったぞー!」
その声に反応して、周りの隊員が全身を使って喜びを表現した。それに応えるように、アライブも苦しそうな顔をして手を振った。
いっそ「なんか仕事してたんかい?」と突っ込んでやろうかとも思ったが、今はそんな雰囲気じゃないなと笑ってしまった。
全員の顔に笑みが溢れていた。
こうして、長かった戦いに幕を閉じた。結果は圧勝。こちらは一人の犠牲も出さずに終わった。
しかし、マルカスは何か一つ忘れているような気がした。何か大切な事を――
「……俺の短剣どこいった!?」
嫌な汗が背中を流れた。




