第36話「カルロス・マイザー」
太陽は先程よりも高く昇り、赤茶色の建物の壁を照らしている。
眩しくて、少し目を細めながらマルカスは屋根の上を歩き回っていた。
残念ながらアスドを完全に見失ってしまって諦めモードまっしぐらだった。
「それにしてもカルロスは何処へ消えやがったんだ……?」
周りの建物の陰もくまなくチェックしているが、人影どころか虫一つ居ない。
この静寂が恐怖を駆り立てる。
マルカスはキッチルのゴーグルを付けた。もしかするとこの景色さえも操作されているかもしれないからだ。
少し視界が小さくなったが、目に入るものは変わらなかった。
「逃げやがったか……?」
マルカスは呟き、しかし気が付いた。
遠くから見つめる視線に。
「誰だ!」
マルカスは背中の弓と矢を引き抜き、視線の先ーー建物の窓の隙間に照準を合わせ、弦を引き絞った。
ーービュシュッ!
矢は放たれると寸分の狂いなく一直線に狙いに向けて飛んだ。
打ち終わり、マルカスは走りながら弓を収めると、左腰から短剣を取り出し、右手に構えた。
矢はしっかりと窓の隙間を通り抜けたが、当たった感触は無かった。マルカスは屋根を伝い、一気に間合いを詰めた。もちろんゴーグルは外さない。
マルカスは走っている勢いそのままに、窓を蹴破った。
「流石に……居ないか」
部屋の中は綺麗に整っており、人が入っていた痕跡は空いた扉と窓しか無かった。
マルカスは窓の反対側の壁に突き刺さった矢を抜いた。鏃と壁に少しばかり血が付いていた。少し掠めたのか、血は点々と床に付いていたが、ご丁寧に足で引き延ばされて行動が読めなくしてあった。おまけに扉や窓は全部開けられている。
「誰だったか分からんが、かなり場慣れしている……」
逃げた先がわからない以上、どうしようもない。人海戦術を使おうにも、もう日が昇っており亜人種は動かせない。
マルカスは住民の護衛を担当している聖輝の八賢の軍隊に応援を頼もうかとも悩んだが、手薄になったところを突かれては元の子もない。
結局今のところ三人でやるしか無い。
とはいえこちらはアライブとエルの動きが分からないので、彼らが見つけている可能性も捨てきれず、迂闊に走り回るのも無駄足になる。
マルカスは先程割った窓とは別の窓に手をかけると、外に飛び出た。
考えていても仕方がない。
もうすでに六時間以上もフルで動き続ける身体は悲鳴をあげていた。証拠に、
「うぎ……」
飛び降りた衝撃で左足がバランスを崩した。
マルカスは身体をひねり、右足でフォローしたが、そう持ちそうにもない。いい加減に始末をつけないと、食われてしまう。
全身の毛が逆立った。
背後ーーマルカスを見つめる一つの影があった。
「やぁやぁ、マルカス君」
聞き覚えのある、妙に幼げな声。
「やっと君に会えたよ」
マルカスは後ろを向き、その姿を確認した。
「カルロス・マイザー……! 丁度探していたところだ」
「そりゃ奇遇だね! ボクも君を探していたよぉ〜」
カルロスの顔に微笑みが浮かぶ。
「でもそろそろ死んでもらうよ?」
「こっちの台詞だ……」
右手に握った短剣を身体の正面で構えた。ゴーグルはちゃんと機能しているらしく、少し嫌な感じはするが、問題なく戦えそうだった。
「良い眼をしているねぇ。その身抉ったらどんな眼を見せてくれるかな?」
地面が少し揺れ、カルロスの服が少しなびいた。
瞬間、凄まじい風がマルカスの身体を吹き抜けた。
「良いこと教えてあげる。ボク達はみんな風使い。それも切り刻めるほど強力な、ね」
カルロスが眼を見開いたと同時にマルカスは構えていた短剣を上から下へ振り下ろした。
短剣が風を切るようにカルロスの攻撃を相殺した。
マルカスは前に傾いた重心を利用し、人並み外れた瞬発力で前に飛び出した。一瞬で間合いを詰め、カルロスの目の前、右足で踏み切って飛び上がった。
カルロスはマルカスに照準を合わせるように右手を前に突き出し、力を込めた。
マルカスはその動きを予想していたように、カルロスの右腕を上腕二頭筋から切断。噴き出す血に構うことなく、着地と同時に右脇腹を一刀。そしてマルカスはすぐに間合いを取った。
「悪いが俺も少しだけ風が使える。お前の動きぐらいなら風の微妙な変化で感じ取れる。申し訳無いが、俺は目隠ししてでもお前に勝てる」
眼前のピクリとも動かない肉片に語りかける。
すると、カルロスは右腕と横腹から溢れ出る血を風の力で塞いで、立ち上がった。
「ふ、ふ、ひひ……なん……で……」
口から血が溢れ、ベチャベチャと地面に跳ねる。
マルカスは背中から弓と矢を引き抜き、カルロスの心臓に照準を合わせる。
「完璧……だった……ボク達は……はぁはぁ……負けるわけ……ない」
カルロスは口角を上げ、眼を見開いた。
空気が圧縮され、強力な斬撃となって飛んできたが、マルカスは少し首を動かすだけで避けた。
「ダメだ。お前は淘汰されるべき存在だ」
「命を、いくつも、壊してもか……?」
「お前に言われる筋合いはない。お前が一番知っているんじゃないのか?」
カルロスの目が少し動いた。そして、瞼を閉じた。
「殺せ……」
「最初からそのつもりだ」
マルカスは矢を挟んでいた指を開いた。
鈍い音と倒れ込む音が重なった。
マルカスの左足も限界を迎えていたのだ。
戦場、道の真ん中、何も気にせず仰向けに倒れた。
――空が嫌に綺麗で、鳥の声が響き、何もかも浄化してくれるような気がした。
この穢れた手も、血を吸った剣も、全部――
「だったら良いのに」
言葉は虚空に消えた。




