第35話「明日へ」
自分の影が足元で揺れる。その影の伸びる先、カルロスはケタケタと笑い続ける。
「何がおかしい」
マルカスは長剣を構え直し、カルロスを睨んだ。
「おぉ、おぉ、怖い怖い」
正面のカルロスが消えた。
背後から感じる視線に、マルカスは飛び退いた。
「ニンゲンってかなり視覚に頼ってるんだってね」
少し高めの掠れた声は続く。
マルカスは表情を変えない。カルロスも、光の無い目で薄ら笑いを浮かべる。
「もし視覚が完全に支配されてたら、どぉーお?」
声の出元が左になった。マルカスはゆっくりと目だけ動かす。
「もし、これが実際の映像じゃなければ」
「関係無い!」
カルロスが一瞬驚いた顔をした。
「俺には助けに行かなくちゃいけない人達がいる。悪いがお前には構っていられない。ここで死ぬかケツ振って逃げるか選べ」
マルカスはあくまで冷静で言った。
「おぉ、怖い怖い。んんー、そうだねぇ。ボクも助けに行かなくちゃいけない仲間がいるんだよねぇ……」
カルロスは右人差し指で自分の顎をトントンと叩くのを止めると、
「君を、倒して行こうかなぁー」
「俺も、丁度そう考えていた」
カルロスは両手を身体の下で広げ、目を瞑った。
(術式発動の助走……)
マルカスは長剣を鞘に戻し、背中から弓を取り出した。素早く構え、弦を引きしぼり、カルロスの脳天目がけて矢を放った。
矢は、風切り音と共に、カルロスの頭に当たった。
しかし、カルロスはビクともしない。それどころか口角を上げ、口を開いた。
「ひどいなぁ……ボクがちゃんと殺してあげようと思ってたのにぃ……」
カルロスは目を開いた。右目が赤、左目が青。
マルカスは素早く動ける短剣を取り出し、もう一度構えた。
「視界が支配される恐怖を味わってもらおうかな!」
カルロスがそう言った瞬間、マルカスは目の前が真っ暗になった。
「……ッ!」
少し感じた殺気に、身体が自然に反応したが、避けきれない。左の二の腕から激痛が走る。
「「どぉーよ、ボクの能力。攻撃技じゃなくても勝ち目はあるんだよねぇ」」
左後ろと、右前から声が被る。
マルカスは段々と平衡感覚を失っていた。上と下が分からなくなっている。地面にちゃんと足をつけているのか、地面に横になっているのか。はたまた逆立ちしているのか。
と、マルカスはある事を思い出し、自らの腰につけていた小さな袋を漁りだした。
しかし、その間にも攻撃は飛んでくる。瞬時に身体が反応し身を捩り、急所を外す。が、受け続ければ、身体が持たないのは分かっていた。
(あった……!)
マルカスは小さな眼鏡を取り出すと、目の位置に合わせ、はめた。
「何をしているんだいぃ?」
「お前の突破口さ」
マルカスはつけた眼鏡の向こう側を見た。
そこには薄っすらと街の建物が見えた。
「俺の……いや、俺たちの勝ちだ」
「その眼鏡はぁ……精神攻撃を和らげるクウォーテェ?」
「ご名答。キッチルが持たせてくれたオンボロだけど、役に立ったな!」
カルロスは目を細めて、
「所詮過去の産物ぅ。負けるわけなぁーいよ!」
「少しでも視界の支配が切れればお前の攻撃なんぞ当たらん」
カルロスは苦虫を潰したような顔をしていた。
そして彼は、分身を全て消した。
その瞬間、マルカスにかけられた精神攻撃は解除された。少し身体が軽くなったような気分だ。ちゃんと地面に足もついている。
(逃げたか……)
マルカスは、カルロス本体の居所を探したかったが、わざわざ倒すほど強くはないと踏んで、アライブ達との合流の為、更に街の奥に足を進めた。
*
アライブは両手を身体の前に伸ばし、渾身の力を込めた。
指先に血が溜まるのが分かる。それに伴って両手が割れるように痛む。
「……ッ食らいやがれ! 雑魚どもがぁ!」
叫ぶとともに指先から七体の大きな龍が飛び出し、飛んできた矢を食らう。
当のアライブもコントロールに苦しんでいるようで、常に脚を踏ん張り、歯を食いしばっている。
龍は道幅いっぱいに広がり、唸りを上げて燃え上がる。龍達は目の前にいる人の姿を捉えると、猛烈なスピードで突っ込んでいく。
「火龍使いか……!」
軍隊のリーダー格と思しき禿頭の男が声を上げ、前衛の隊員に防御命令を出す。
「防げっ……!」
前衛が一斉に手を前に出して青白い光の壁を作る。
しかし龍は構わず突撃した。
瞬間、光の壁と龍がぶつかり合い真っ白な煙に包まれる。その白い煙幕の中で、紅の龍達は鞭のように暴れ回っている。
それと同時に、煙幕の向こう側から悲鳴やうめき声や泣き声、叫び声が一斉に響きだした。
「アライブ……大丈夫?」
エルは咄嗟にアライブの肩に手を伸ばした。アライブは苦しそうに歯を食いしばっている。
彼はエルをチラと見ると、少し口角を上げて、
「大丈夫……だ。まだいける……」
「でも腕が……」
エルがアライブのボロボロになった両腕に目をやった。表面の皮膚はひび割れたように傷つき、血が滲んでいた。
「なんのこれしき……」
アライブは深呼吸をする。
「よし、先を急ごう。手遅れになる前にな」
エルの心配をよそに、アライブは両手を下ろして歩きだした。指先から滴る血がひどく痛々しく、自分に回復能力があれば、とエルは後悔した。
*
白い煙幕が消えると、龍達が暴れた惨劇が露わになった。
家の壁や道は黒く焦げ付き、今にも壊れそうだった。道端に転がる死体は、もはや瓦礫なのか肉塊なのか判然としない。そして、焦げる匂いがキツく、鼻を押さえていないと吐いてしまいそうだった。
「大丈夫かエル」
死体を見ないように歩くエルに、後ろを振り返る。
「だいじょばないよ、いくらなんでもやり過ぎだよ……命は平等に、だよ?」
「……うん、次は気をつける。言い訳だけど、久し振りに召喚したもんだからコントロール出来なくてさ……」
アライブは、エルにダメ出しされ肩をすくめる。
「ま、まぁ今回は助けてもらったし、見なかったことにするけど」
「それはありがたい」
アライブは後ろ頭を掻いた。自分の力さえまともに抑えられない幼稚さに恥ずかしくなった。
それにしても、
「本当に良かった。ようやく積年の夢が叶う時が来るんだ。ようやく、俺の役目が終わる」
物音一つしない静寂に包まれた朝の街を歩くアライブの後ろ姿は、憤怒と後悔と悲壮感にまみれていた。
「アライブの、夢だったもんね……」
「あぁ、そうだ。でも、あと一つ、やらなきゃらならん」
エルは答えなかったが、きっと理解してくれている。そうアライブに確信させるには十分な絆があった。
「あのさアライブ」
後ろを歩くエルが足を止めたのが分かった。
「もしかしてアライブ」
アライブも足を止めた。
「ここで死のうなんて考えてない……?」
エルの顔に、悲しい面が貼りついている。
「何言って……」
「だって! こっそり持ってきた箱」
アライブは顔を引きつる。
「骨が入ってたじゃん……」
今にも泣きそうな声でエルは続ける。
「さっき火龍を召喚したのも、自分のエネルギーを空っぽにしたかったんじゃないの……? そしたら、森の五賢に殺されたように見せる事ができるって算段だったんじゃないの?」
アライブは目線を下に向け、頭を少し下げた。
「なんでよ……なんで!」
エルはアライブを糾弾した。エル自身、なぜこんなにも怒っているのか分からない。分からないが、ただ本能が、アライブを死なせてはならないと言っていた。
アライブは顔を上げた。怒りの表情をしていた。
「生きるのが辛いんだよ……もう死にたいんだよ……俺だけが幸せになる未来を誰が望んだ! 俺なんかあの時死んでおけば良かった。この世に何も残されなかった。あったのは死に損ないの命と身体だけだ……そしたら生きているだけで思い出すんだよ! あの日の惨劇を、あの日の約束を、あの日の……幸せだったあの時間を!」
エルは表情を変えず、口を開こうともしなかった。
「だからもういっそ家族のところに逝きたい。苦しむぐらいなら楽な道を選ぶ。狡さを賢さと偽って生きてきた男の最高に恥ずかしい死に様……」
アライブは言い切る前に、エルの姿が斜めを向いていることに気付いた。
――パンッ!
遅れて乾いた音が響く。左頰がゆっくりと痛みを伝えてくる。アライブは自分がされた行為を徐々に理解していった。
「なに馬鹿なこと言ってるの! そんなのみんな一緒だよ。何があってもみんなで生き残ろうって、そう約束したあの日の事、忘れちゃったの……? 屋敷のみんな家族だって言ったあの日の事忘れたの……? なんで、そうやって、見捨てるの……」
「見捨ててなんか」
「うるさい!」
叫んだエルの目には、怒りの色が出ていた。
「あんたが死んだらどれだけの人が悲しむか知ってるの?」
アライブは開いた口を閉じる。
エルは続けた。
「少なくとも私は悲しむよ、エルも、マルカスも、ライセングも、レフライオも、アカも、アオも」
エルは少し息を吸った。
「だから、足りない部分は役割り分担して補おうよ。そうやって生きていこうよ。なんで投げ出しちゃうのよ……まだ終わってないじゃん……なるんでしょ? 聖輝の八賢」
アライブは目を見開いた。
「なんでそれを……」
「何年の付き合いだと思ってるのよ。それくらい分かるわよ!」
アライブは何か言おうと口を開いたが、空気が漏れるだけで何も浮かばない。
そして、首を数回横に振ると、
「そうだな……俺にはまだやらなきゃいけないことがあるのかもしれない」
「かもじゃないよ」
「もうこの世界にいる必要なんて無いと思ってた。これで終わるんだって、そう思ってた。やるべき事なんてないって」
「……うん」
「だけど、もう少し生きてみようかな。アライブという人間が、足掻く無様さを、もう少し世に晒してみようと思う」
「……うん」
「そしたらさ、もう一度、みんなで家に帰ろう。笑って過ごせたあの時間が閉じ込められたあの家へ」
エルは、アライブに笑ってみせた。
「当たり前じゃん。みんなで帰ろう」
拳を前に突き出し、アライブの目を見た。
「忘れたなんて言わないでよ? 私たちの了解の合図」
アライブは少しだけ表情を綻ばせた。それだけでも、彼の心には十分すぎる進歩だった。
「忘れてなんかないさ」
アライブは拳を前に出して、エルの拳に少し当て、立ち上がった。
「行こう、俺たちの明日を掴みに」
「……そうね!」
その路地には、二人の賑やかな笑い声が響いていた。
その影を見守っていたマルカスは、最大限気配を消して屋根からやりとりを見ていた。
きっとアライブにはバレバレなんだろうなと思いつつ、男が一人、ここでも笑みを浮かべた。




