第十五話 胎動
それから一週間、フィリスによるレッスン一は、毎日つづいた。
二回目からは、最初の日に感じたあの覚醒した感覚はどこかにいってしまい、どうにもこうにもバタバタしたレッスンになってしまった。まあ、人間、そんなに便利なものではないらしい。
やれやれ……。
それでも、フィリスが根気よくリードしてくれたおかげで、僕を縛りつけていた重力のくびきは、どんどんとその拘束力をゆるめている。
もう、頭上を天井、足許を地上という風に固定した感覚でとらえることはなく、無重量状態の中で泳ぐという感覚もわかりはじめていた。
現在、僕は、宙港ロビーに流れるある音に身体をゆだね、ただよっている。
前々回から、フィリスがはじめた試みだ。
その音は、いや、音楽といっていいそれは、高く低く、複雑な周波数が折り重なり、ゆらぎ、長く長くひびいていく。
フィリスのいう水の星――そう、地球の海で聴くことのできた音楽、クジラたちの歌声だ。
その音のひびきにつつまれながら、僕は青い無重量の海をたゆたう。
ゆっくりと。
ゆったりと。
これがどう無重量状態での空間認識に役に立つか、正直、よくわからない。
けれど、まあ、リラックスするのは事実だ。
「これはな、カズマ、クジラたちのラブレターなんだ。そう、愛の歌なんだぞ」
なぜかフィリスは自慢そうにそう解説する。
愛の歌って……このお子さまは、その意味が本当にわかってるんだろうか? ようは、繁殖のためのコミュニケーションなんだろ?
そういうと、彼女は、まっ赤な顔をして両拳で僕をぽかぽかと殴ってきた。
なんなんだよ、いったい……?
ファウンデーションボールのほうは、その間に、二回の公式戦があった。相手は、うちと最下位争いをしているチーム・ラクーンと、中堅のチーム・ジラフだ。
結果は、もちろん、チーム・ドルフィンの大敗。そのことだけを見れば、まったくいつもと変わることがない。
でも、僕には、感じられた。なにか、変化への胎動が起きはじめていることに――。
それは、ほんのちょっとしたことだ。
人にパスなどしたことのないアレッサンドロが、二試合で、三回もパスをまわした、とか。
いままで、一度だってボールをセーブしたことのないリーが、一回だけ、ゴールを守った、とか。
そして、僕の負傷は、奇跡的にも鎖骨のヒビだけですんだ。これは、ワンダとブロニスワフが、(本人たちはしらん顔だが)まるで僕のフォローをするかのような動きをしてくれたおかげで、集中攻撃をうけなくてすんだためだ。
そして、今日は、チーム・ドルフィンの公式練習の日だ。
僕は、昼食後、いつものように、主軸部のエレベータにのるため、もよりのホームへとむかった。
ホームは、むかし映画でみたヨーロッパの鉄道の駅によくにている。駅に集中する線路が、エレベータシャフトへ、電車が、エレベータ本体に置きかわっていると思えばいい。
大小、数十器あるエレベータは、各階停車、快速、急行、特急などの種別にわかれていて、大勢の人間が利用している。
僕は、轂部近くに設えられたクラブハウスへむかうため、急行のホームへとむかう。ゲートで自分のIDをさしだし、セキュリティチェックをうけようとしたその時――。
「やあ、クロフォード」
だれかが、僕の肩をたたいた。
「ギュンター……」
そこには、さわやかな笑顔をうかべたチーム・ベイオウルフのキャプテン、ギュンター・シューリヒトが立っていた。
「こらから練習か? 僕は、いまあがったところだ。しかし、君のところのチーム、最近はいい動きをしているじゃないか。これは、念願の一勝目を記録するのも近いかもな」
ギュンターは、彼の顔を見た瞬間、僕の顔にうかんだであろう表情に気づかないのか、快活に話しかけてくる。
いや、気がつかないのではなく、意に介していないのだ。
「……どうして、僕に移籍をすすめた話をみんなにばらしたんだ、ギュンター」
「ああ、なんだ、恐い顔をしているのは、そのことか」
彼は、大げさに頭をかいてみせる。
「うちへの誘いを君にあっさり断られてしまったのでね。ドルフィンのみんなに話せば、君の将来のためにも移籍への説得役をかってでてくれるものがいるのではないかと思ったのさ」
「ウソをつけ。僕に断られた腹いせに、チームを混乱させるつもりだったんだろう。あいにくだったな、逆に、うちは結束をかためたよ」
「腹いせ? 混乱? ハッ! バカなことをいうなよ、クロフォード」
まっ白な歯をみせて、ギュンターは笑う。
「うぬぼれるなよ。いいか、君程度の選手は掃いてすてるほどいる。僕は、たまたま君のプレイスタイルが気に入ったから誘っただけだ。そもそも、うちのチームメイトたちは、反対していたんだからな」
「今年の個人総合優勝のタイトル、敵チームのマークがきびしくて微妙な感じじゃないか。四連覇がかかっているっていうのに、大変だよな」
「……なにがいいたいんだ?」
ギュンターは、急に鼻白んだ様子で、僕を睨めつける。
「僕は、どのチームにも嫌われている。隙があれば、つぶしてやろうという奴らばかりだ。そんな僕が君のチームにいれば、当然、敵チームのマークは分散する。僕をたたきつぶすためにね。その間、フリーになった君は、自由にゴールをねらえる、というところだろう。ちがうかい?」
「――そうだとして、それのどこが問題だ? 理由はどうだろうと、あのゴミためから、栄光あるベイオウルフへ移れるんだぞ。どれだけたくさんの人間が、そのチャンスをねらっていると思っているんだ」
「僕には、興味のないことだ」
「ふざけるなよ!」
ギュンターは、唐突に僕の肩をおした。とっさに身体をひねって力を受けながすが、ヒビのはいった鎖骨に痛みがはしる。
まわりの通行人たちが、なにがはじまったのかと、立ち止まってこちらを見ている。ギュンターは、彼らを、手をふって追いはらう。
僕に向きなおったギュンターの面には、いままで隠していたものが露骨にあらわれていた。それは、僕を見下し、恐れ、忌み嫌う、ニュートン04の住民たちに共通した形相であった。
ギュンターも、ようやくその本性をあらわにしたということだ。僕にとっては、慣れ親しんだ感情だ。このほうがずっとつきあいやすい。
「いいか、クロフォード。おまえみたいな地球出身者、誘ってもらえるだけでありがたいと思え! 僕の役にたつなら、チームでもそれなりの立場をあたえてやる。そうすれば、今みたいに引け目を感じて生きていかなくてもいいんだぞ! どうだ、いい話だろうが!」
僕の頭の中心は、氷のように冷たくかたまっている。そして、激高するギュンターを、冷静に分析し、判断する。
「ギュンター、君はまちがっている」
「なにがだ?」
「僕は、地球出身であるということで、引け目を感じたことなんか一度もない。君の期待に反して悪いけどね」
「おまえ……」
にぎりしめたギュンターの拳が、白くそまり、わなわなとふるえている。そろそろ潮時だろう。
「ただ、君がいうように、僕たちのチームが、スペースデブリなみのゴミだということは認めるよ。いまはまだね。その上で、僕は、前にいった言葉をくり返すだけだ。僕らが太陽になることだってありえる、と。じゃあ、練習があるんで、僕は、失礼する」
そう言い捨てると、僕は、ギュンターを放って歩きはじめる。
「待てよ!」
ギュンターが、僕の肩をつかむ。だが、その行動は予期していたので、彼の腕をつかんでかるくひねりあげる。あくまで、かるくだ。
けれど、僕の力にまったく対応できないギュンターは、顔面蒼白となる。ようやく、この重力下で、僕と素手でやりあう不利を悟ったらしい。
「まだ、話があるのかい、ギュンター?」
「クロフォード……、ファウンデーションボールで、おまえをたたきつぶしてやる……」
「ああ、みんな、そういうんだ。順番にしてくれよ。整理券は用意しておくから」
僕は、ギュンターを解放すると、そのままエレベータへと乗りこんだ。
上昇するエレベータの加速を感じながら、僕は、思いだしていた。以前、ギュンターにいった言葉のことをだ。
僕たちのチーム・ドルフィンは、たしかにデブリの吹きだまりだ。けれど、太陽だって、宇宙の塵が集まってできたものだ。だったら、僕たちにだって――。
なんていう大それたことを考えるのかと、思わず笑いがこみあげる。同乗している人たちが、一人笑いをする僕を、けげんそうに見つめていた。
いいじゃないか、どうせ、さんざん笑われてきたチームだ。だったら、いっそ、頂上を目指してみるのもおもしろい。なあに、失敗したって、どうってことない。みんなの笑い話になるだけだ。なら、いまとまったく変わらない。
どうせ笑われるのなら、とことん笑われてみよう。
僕は、自分の思いつきをとっておきのジョークとして仲間にきかせるために、クラブハウスへと急いだ――。




