第五十章
入り口は、平凡な洞窟そのものに見えた。ただし、体感温度は途轍もなく低い。ユークランドは大陸北部を除けば温暖な気候だが、この島は暖かくとも、体を突き刺すような悪寒を感じさせていた。
「十数人、でしょうか。確かに、最近誰かが通った跡があります。裏側に軍艦があったらしいですから、既に到着したみたいですね」
周辺の斥候を行ったのは、テリーとナギの二人。比較的疲労も少なく、探索能力はこの二人が頭一つ抜き出ていた為。それを聞いたレイルは、真っ先に中へ入ろうとしていた。
「とにかく、行くしかないな。向こうは大歓迎、って状況らしいぞ?さっきから、こっちに溢れそうな勢いだ」
暗がりの向こうにいるのは、視界を埋め尽くす程の死者の群れ。アンデッド型に分類されるモンスターの、文字通りの大行進であった。
「噂には聞いていたけれど……。これはまた、随分とたくさんいるわね~。まず、あれを突破しないとだけれど。策、あるのかしら?」
「俺がいて、クロハがいる。あの程度の雑魚、作戦なんて要りませんよ?クロハ、一気に薙ぎ払うぞ。魔力、完全回復してるよな?」
更に一歩、レイルが前へと踏み出す。怯える様子も無く、大胆に。その背中にリーエは、かつて見た側近を幻視していた。誰よりも頼みとした、一人の男。実の弟という事でなく、将として、何よりその存在こそが、頼もしいと思った。年齢は当時の彼とはかけ離れているものの、その背中はとても近い物となっていたのだった。
「ここまで来て、弱音なんて吐けるわけないでしょ?やるよ、当然。サポートは私がやるから、思いっきり行っちゃって」
「ああ、任せる。『契約に従い、我に従え、灼熱の王。大地を這い、蹂躙せよ。滾れ、漆黒の灼炎』!」
「『契約に従い我に従え、天空の王。昏き眠りから覚め、その身を我に。迸れ、紅蓮の疾風』!」
『全て飲み干し、焼き尽くせ。汝、四天を統べる者よ。焼き尽くせ、薙ぎ払え!《アビス・インフェルノ》!』
かつてミーアと使用した、炎属性の合成魔法。しかしその破壊力は、それとは比べる間でもなく、圧倒的に勝っていた。召喚された灼熱の炎は、触れるモノ全てを焼き払い、その存在を悉く塵と化していく。並行詠唱という技術を持つレイルならば、合成魔法の使用そのものは、全く問題無く扱う事は出来る。膨大な魔力量という得難い素質を持ち、それを扱う術も心得ている為に。それでも今の彼は、それを良しとしない。何を捨て置いても、共に歩みたい人を見つけたが故に。そしてそれは、ノイエとレクトリアが託した、この世界を守る鍵でもあった。
「さて、もう後戻りは出来ん。覚悟の足りん者は足を止め、その入り口を守っていろ。一時間以上我らの内誰かが戻らない場合、先刻設置した結界を発動させる為にな」
ミレが敷いたのは、この洞窟を異次元へ閉じ込める為の結界。そうする事で、例え魔王が復活したとしても、容易くは外界へ出る事が出来ない。時間を稼いでいる間に、次の対策を打つ為の物。そしてその対策が間に合わなければ、待ち受けるのは暗黒の時代。絶対的な力により守られる王が行う恐怖政治は、地の獄と呼んで差支えないであろう。
「どうやら、いないようですね。時間が無駄になります、先へ進みましょう」
レイルの代わりに、次はリーエが足を踏み出した。つい数秒前にモンスターの群れがあった場所は、単なる平地へ戻されていた。その場所へ向かって、一歩ずつ。誰一人、その後を躊躇う者はいない。
陽の光が届かないにもかかわらず、洞窟の中には灯りが満ちていた。特定の条件でのみ生育する草、夜光草の恩恵である。それ以外にも要因はあるのだが、そこにいる誰もがそれに気づかないでいた頃。
「次の相手はお前らか。どうした、かつて主と慕った、などという情念は持ち合わせないのだろう?」
先頭に立つリーエが、まずそれに目線を送った。カーミラが発掘し、育成した私兵部隊の人員であり、全員が一応は皇国軍に忠誠を誓った騎士である。
「確かに忠誠は誓いました。が、あくまでそれは自身の誇りに対してのみ。申し訳ありませんが、今までもこれからも、カーミラ様以外を主と仰ぐ事はありません」
「ま、リーダーがそう言うんじゃね。私としてはこんな足止め任務、御免なんだけど。強そうなのも何人かいるっぽいし、これはこれで楽しいかな?」
部隊とはいえ、構成人数はたったの五名。しかし、その誰もが特筆すべき能力を備えていた。筆頭である騎士は、かつて所属していた勢力の中心人物だった。大陸の中央部、旧帝国領土の真横に構えていたにも関わらず、直接的な攻撃のほぼ全てを跳ね返した将だったのだから。
「そういう事なら、俺が相手になってやる。二人と言わず、全員でかかってこい。温存しよう、なんて考えるなよ?本気で来なければ、数分ともたないからな」
会話をする間にも、一人がレイルらへ向けて突撃してくる。それを迎え撃つジェノスは、その場から一歩も動かずにいた。剣と剣がぶつかる衝撃音と火花。彼の重心は動く事を知らず、突撃を行った側が後退していくという矛盾。
「今回、大人としての貫録は無かったからね。ここは私とジェノス、それとユーリで引き受けるわ。大丈夫、きっちり倒して後を追うから。行きなさい、あなたの戦場へ」
ミネルバはただ、レイルの背中を押す。優しく、包み込むように。それを感じた彼もまた、前だけを見据えて走り出していった。
「子供達に、恰好悪い所なんて見せられないもの。行くわよ、二人とも?一人足りないけれど、この面子っていうのも懐かしいじゃない?」
かつての学園で、無敵を誇ったチームが揃う。最強と規格外が織り成す、剣撃の合奏が響き渡った。実力、潜在能力共に互角。後に立つのは、果たして―――。




