第十九章
「ふむ、なかなかの結界だ。だがな、侵入対策が甘い。この程度、奴らならば容易く蹴破ってくるぞ」
突如現れた、見知らぬ姿。一瞬とはいえ感じた殺気に、ミネルバは何処か懐かしい空気を感じていた。幾度となく感じた、懐かしいまでの気配。
「レイル・トルマンからの伝言だ。奴は今、自身の制御に手一杯なのでな。ミネルバ・フォレスタというのは、誰だ?」
「私ですが……あなたは、一体……?」
怯えるように肩を震わせるミネルバを、ミレは一瞥しただけ。初めて見せる彼女のその姿に、ユーリさえ恐れを抱いていた。恐らく、自分らが束になっても敵わない、そんな相手だと。
「成る程。確かに奴の言う通り、人外の魔力を秘めているようだな。内容は以上だ、一度しか言わないから、よく聞いておけ。質問は許さん。『一か月、間違いないと言える時間は、それだけしか無い。目的は分からないけど、多分奴らは短期決戦で挑んでくる。それまでに、俺が納得出来るだけの力を手に入れておけ。出来なかったら、問答無用で置いていく』だそうだ。可能性があるのは、奥の二人と左手の二人だけか。残念だが、残る一人は絶望的だろう」
ミレが指したのは、ショウとユウの二人。奥にいるのはゲイルとシャルロッテであり、二人が儀式を終えた事は、彼女は知らずにいた。
「無駄な努力をさせる前に、故郷へ戻す算段を立てておく事を勧める。何、支援役ならば、心配は要らん。私の手駒で、最も優秀な者を手配しよう。では、失敬する」
ミレが姿を消すとほぼ同時、ミネルバの体がストン、と音を立てて崩れた。どのような強敵相手でも見せた事の無い、疲弊した表情。
「多分あの人ね、レイル君の祖母は。ミレ・クルーガー、氷の女王と呼ばれたのは伊達じゃないわー。見てこれ、手に握っていた汗が、全部凍らされてるわ」
ただそこにいただけの存在。彼女が放つ魔力が世界へと干渉し、物理法則を歪めていたのだった。因みにレイルが水や風属性の魔法を使用出来ないのは、彼女が血縁者である為。嫌われていたのではなく、単にその恩恵を奪われていたのだった。
「畜生、ここまでやったのに、まだ足りないってのか……」
レイルの周囲に、巨大な穴が開いていた。現時点で無理なく使用出来る魔法を無差別に放ち、地面へ撃ち込む。それを数時間に亘って続けた結果、地形を変える程の事態に陥っていたのだ。当然それには理由があり、何も闇雲に行っていたわけではない。
「倒れた理由はただ一つ、魔力の過剰な消費に、体が追い付かなかった為だ。まず、魔力の大量消費に体を慣れさせろ。完全に開放しろ、とは言わん。あれは確かに有効だが、今の貴様には耐えられんからな。『アヴェンジャー』の吸収による補助は、私がいる限り二度と使わせん。あれは成長を阻害する、言わば邪道だ。とにかく、気絶する寸前まで魔法を使い続けておけ」
ミレから言われていた、無茶苦茶な修行方法。それを律儀に遂行するあたりに、彼の成長の秘訣がある。一度信用した人物であれば、彼は基本的に疑いを持つ事は無い。故に、どのような無理難題であっても、自身で出来る事ならば、迷わず実行してしまう。その素直さ、実直なまでの行動理念に、ミネルバは不安を覚えているのだが。
「《タイム・アルター》は禁止、か。でも、召喚からロスト・スペルまで、一通り使ったのに余ってるなんて、どれだけ『アヴェンジャー』に吸い取られてたんだ……?」
以前の彼であれば、これだけの魔法を連射していれば、とうに魔力は尽きていた。吸収されていた量は、一日につき自身の容量のほぼ半分。それだけの魔力を吸収されながらも、禁呪の類を使用していたのだから、ミレが驚きを隠せなかったのは無理もない。最も彼女がそれを所有していた頃は、それ程までの魔力を奪われる事は無かったのだが。『剣の意思によるもの』と、ミレは予測していた。
「そういえば、剣を手放してからパワーが安定するな。アポカリプスは前から使えたけど、他の場合はどうなんだ?」
彼が使う魔法は、その全てにおいて、魔力消費が安定しない。彼の体調や精神面によるものと思われていたが、それすらも魔剣の影響だった。剣自体が魔力を持ち、かつレイルを自身の所有者と完全に認めていなかったが為に。術者を通して世界に干渉する魔法が、一本の剣による妨害を受ける。研究者がそれを知れば、間違いなく彼は研究材料として狙われるであろう。
「消費量はアルター以下だけど、今まで不安定だったのって……。未完成だけど、あれを使ってみるか」
呟いたレイルは、体を自然体へもっていく。せめての手遊びと持っていた剣を手放し、両腕を下ろす。両目は閉じ、足は肩幅に開く。自分が魔法を使う際、最も集中出来る体勢。彼はそれを天然で理解していた。
「『天の杯、満たすは大樹の雫。万物を制し、君臨せよ。その力を以って、抗う者に神罰を下せ』」
レイルの周囲に、一つの魔法陣が浮かび上がる。以前使用した《アポカリプス・エッジ》と似通った光景。展開した魔法陣は彼の遥か頭上に留まり、停滞する。それは詠唱が進むにつれ形を変え、周辺の空気を冷たく、しかし暖かく変えていった。
「『甦れ、虚空の扉。闇の眷属よ、光を纏い、闇を喰らえ。理を外れた者に、魂の制裁を。悪を滅し、全てを照らせ。汝は、魔の創生者なり』」
一枚だった魔法陣が複数に分裂し、レイルの周囲を闇で照らす。周囲は光に閉ざされ、遠方からでは、彼の姿を確認する事は出来なかった。
「『現身よ、地を飲み干し、天を駆けろ。死を運び、生者を喰らえ。開け、《ヘブンズ・ゲート》』」
合成魔法でも混合魔法でもない、レイル独自の魔法。術式の派生元となる魔法は存在するが、それはレイルの知らない魔法であり、それは使用者さえ知らない。故にオリジナルであり、彼唯一の魔法。開発するだけはしたが、魔力消費と効果が釣り合わず、途中で断念していた物だった。