第三章最終話.カギ
いつもの大学の食堂。
昼休みのざわめきの中、私は紙パックのミルクティーを両手で包み込みながら、昨夜のことを舞香へ話していた。
「……そっか」
舞香が静かに呟く。
「会えなかったんだ」
私は小さく頷いた。
昨夜。
右手にだいちゃんをはめて眠った。
いつもみたいに、
ミクスの町へ行けると思っていた。
だいちゃんが笑って、
クロさんが騒いで、
舞香が呆れながらツッコんで。
そんな“続き”が、
当たり前みたいに始まると思っていた。
……でも。
現実は、ただ普通の朝だった。
私はストローをくわえたまま、ぼんやりと窓の外を見る。
「だいちゃんの世界に行けるのって、ずっと“足”である私だけだからだと思ってた」
「うん」
「でも、違うのかもしれない」
舞香は少しだけ考えるように視線を落としたあと、ゆっくり口を開いた。
「加奈の精神に由来するのかもね」
「……精神」
私はその言葉を繰り返す。
舞香は頷いた。
「だいちゃんの世界に行くカギを、加奈が持ってる」
その言葉に、私は思わず舞香を見つめ返した。
食堂のざわめきが、
一瞬だけ遠くなる。
「でも、そのカギって」
舞香はストローを指先でくるくる回しながら、少し真面目な顔で続けた。
「加奈の心に、ものすごく関わってる感じがするんだよね」
「……」
「安心してる時とか、楽しい時とか、ちゃんと“繋がりたい”って思えてる時は行ける。
でも逆に、不安だったり、怖かったり、心がぐちゃぐちゃになってる時は、接続できなくなる……みたいな」
私は無意識に、自分の左手を見下ろした。
舞香と手を繋いだ感触。
だいちゃんを抱きしめた感触。
タカタカに言われた、
“今度一緒に寝る?”
という軽い言葉。
全部が、まだ胸の奥に引っかかったままだった。
「……なんか、ゲームのログインキーっていうより」
私は小さく苦笑する。
「心そのもの、みたいだね」
「うん。だから多分、加奈が無理してるとダメなんだと思う」
舞香はそう言うと、ふっと優しく笑った。
「異世界って、意外と繊細なんだよ」
私は少しだけ黙り込んだあと、
右手をそっと握る。
そこには今、だいちゃんはいない。
大学にパペットを持ってくるのは、流石に恥ずかしいから。
……でも。
何もはめていないはずの右手が、
ほんの少しだけ温かい気がした。
私はその感覚を確かめるように、
ゆっくり握り返した。
――だいちゃんの世界へ行くカギ。
それを本当に握っているのが私だとしたら。
あの世界は、
私が思っていたよりずっと、
私自身に近い場所なのかもしれなかった。




