28.舞香とタカタカ
「加奈がすっごい嫌がってるからね、無理に誘わないでね」
舞香がタカタカに諭すように言う。
「全く深い意味なんて無かったんだけど、まあ当然だよね、ごめんな」
タカタカは気まずそうに頭を掻くと、私たちから少し離れた席へ移動していった。
食堂のざわめきが、少しずつ戻っていく。
「……加奈、大丈夫?」
舞香がそっと声を落とす。
「……うん」
そう答えたけれど、多分、全然大丈夫そうには見えていなかったと思う。
自分でも分かるくらい、指先が小さく震えていた。
舞香は何も言わず、そっと私の背中をさすってくれる。
その優しい手の感触に、ようやく少しだけ呼吸が落ち着いてきた。
◇
その日の夜。
私のアパートの部屋は、いつもより静かだった。
ベッドの上に座ったまま、私はぼんやりと右手のだいちゃんを見つめていた。
いつもなら、
「今日はどこ行こうか」
とか、
「次は何を実験しよう」
とか、
舞香とわいわい話している時間なのに。
今日は、そんな空気じゃなかった。
「……ごめんね、舞香」
私が小さく呟くと、舞香は首を横に振った。
「謝らなくていいって。加奈、今日かなり無理してたもん」
そして、少しだけ困ったように笑う。
「今日は実験、中止にしよ」
「……でも」
「だいちゃんに慰めてもらいなさい」
「え?」
思わず顔を上げる。
舞香は、いつもの軽い笑顔じゃなくて、
もっと柔らかい、安心させるみたいな顔をしていた。
「加奈、今日は頭ぐちゃぐちゃでしょ」
「……」
否定できなかった。
タカタカに悪気が無かったのも分かってる。
ただの冗談だったのも分かってる。
でも、“手を繋いで一緒に寝る”
という言葉だけが、まだ胸の奥でざわざわと波立っていた。
舞香は立ち上がると、ベッド脇に置いていた鞄を持つ。
「今日は私、帰るね」
「えっ」
「大丈夫。明日また来るから」
そう言って、舞香は玄関の前で一度だけ振り返った。
「ちゃんと寝なよ、加奈」
静かに扉が閉まる。
部屋の中には、急に時計の音だけが残った。
私はしばらく動けなかった。
◇
やがて、私はゆっくりベッドへ潜り込む。
右手には、いつものだいちゃん。
当然だけど、現実のだいちゃんは何も喋らない。
ただの、少しくたびれたタヌキのパペット。
それなのに。
私は右手を胸の前へ抱き寄せ、小さく呟いた。
「……会いたいな」
異世界へ行けば、
だいちゃんが笑ってくれる。
クロさんが偉そうに騒ぐ。
舞香が呆れながら笑う。
あの世界に行けば、
なんだか全部どうでもよくなる気がした。
だから私は、ぎゅっと右手を抱えたまま目を閉じる。
きっと次に目を開ければ、
ミクスの町の広場で――。
◇
次に目を開けた時。
そこにあったのは、見慣れた安アパートの天井だった。
朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。
「……あ」
私はしばらく瞬きすらできなかった。
右手を見る。
だいちゃんは、ただ静かに動かないまま、
私の腕にはまっている。
『加奈お姉ちゃん!』
そんな声は、どこからも聞こえなかった。
私はゆっくり身体を起こす。
異世界の感覚も、森の匂いも、石畳の感触も、何も残っていない。
ただ、普通の朝だけがそこにあった。
「……そっか」
小さく呟く。
そして私は、動かないだいちゃんの頭をそっと撫でた。
「……会いたかったのにな」




