第二章最終話.約束の帽子
「……ん、んぅ……」
窓から差し込む朝日の眩しさに、私はゆっくりと目を覚ました。
視界に映るのは、見慣れた安アパートの天井。
「……戻って、きた」
ぼんやりした頭のまま右手を見る。
だいちゃんは、いつものように、ただのパペットとして私の手にはまっていた。
そして――繋いでいたはずの舞香の手は、もう離れていた。
「……っ!」
手は離れている。
……あっちの世界の舞香は、本当に存在していたのか。
それとも、私の夢の中に舞香がいただけだったのか。
私が小さく息を呑んだ、その瞬間。
隣のベッドで、舞香がガバッと跳ね起きた。
「リンゴ!! めちゃくちゃ甘かった!!」
「ぶふっ……!」
あまりにも舞香らしい第一声に、私は思わず吹き出してしまう。
「あははっ! 舞香、やっぱり覚えてるんだ!」
「覚えてるも何も! 本当にあっちに行けるなんて凄すぎるよ! っていうか私、“杖”だったんだけど!? クロさんめっちゃ可愛かったし!」
興奮したまま、舞香は自分の左手にはまったクロさんをぎゅっと抱きしめる。
もちろん現実のクロさんは喋らないし、動きもしない。
ただの、ちょっと生意気そうなオオカミのパペットだ。
――でも。
昨夜まで一緒に騒いでいた記憶が、まだ体温みたいに残っている。
異世界での出来事が夢じゃなかったのだと実感して、胸の奥がじんわりと温かくなった。
◇
その日の夜。
私の部屋には、裁縫道具と色とりどりのフェルトが広がっていた。
「ねえ加奈、ここどうやって縫うの? クロさんの耳、尖ってるから難しくて」
「そこはね、一回裏返してから、針の先で角を少し押し出すと綺麗に形が出るよ」
私は舞香にコツを教えながら、自分も黒いフェルトを三角形に切っていく。
異世界で二匹に約束した、お揃いの“魔法使いの帽子”。
だいちゃんに、
『現実に戻ったら、最高にカッコいい帽子を作ってあげる』
と約束してから、ずいぶん待たせてしまった。
「できた! 見て加奈!」
舞香が、小さな黒いとんがり帽子をクロさんの頭にちょこんと乗せる。
ちょっと偉そうなオオカミのパペットが、帽子ひとつで急に“見習い魔法使い”っぽく見えて、私は思わず笑ってしまった。
「可愛いじゃん。……よし、だいちゃんのも完成!」
今度は、丸い頭に合わせて作った帽子を、そっとだいちゃんに被せる。
机の上に並んだ、お揃いの帽子姿のだいちゃんとクロさん。
現実の二匹は動かないし、喋らない。
でも、今の私には分かる。
この子たちは、ちゃんと“向こう”で生きている。
月明かりに照らされたボタンの目が、どこか誇らしげに見えた。
「ふふっ。これ被せて、あっちに行くの楽しみだね」
「うん! 次はスマホ持ち込めるか実験しなきゃだし!」
舞香はニヤニヤしながら、もう次の“冒険”の計画を立てている。
一人だったら、きっと途中で怖くなって引き返していた。
泥だらけになって、振り回されて、叫んでばかりの異世界。
でも――。
隣に頼もしい“杖”がいて。
賑やかな“勇者”と“魔法使い”がいて。
そう思うと、次に目を閉じるのが少しだけ楽しみになる。
「よし、じゃあ……今夜も接続実験、始めよっか」
私たちはパペットをはめた手をしっかりと繋ぎ、
ワクワクする未来へ向かって、ゆっくり目を閉じた。
(第二章 おわり)




