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【休載中】(初稿版)本能寺は止めない、だが光秀は死なせない 〜未来を知る将軍・足利義昭、戦国を動かす〜  作者: 細川 雅堂
第七章 無音の包囲網

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第三十五話 名前のない門、灰の記憶

光秀は、己の宿所へと向かった。

冷ややかな朝の光が、街路に細く差していた。


門の前に立ち、足を止める。

誰もいない。


門柱に掛けられていたはずの札が、跡形もなく外されていた。

そこには、鋭い刃物で名前を削り取られた、新しい木の肌だけが虚しく残っていた。


光秀は、その空白を見つめたまま、

表情を変えず、再びゆっくりと歩き出した。



二条御所の廊下を進む。

向こうから、藤孝が真っ直ぐこちらへ歩いてきた。


藤孝は、歩みを緩めない。避ける様子もない。

光秀の方が、吸い寄せられるように半歩だけ横へずれた。


すれ違う刹那、微かな匂いが鼻腔をかすめた。

……灰の匂いだ。


藤孝は振り返ることなく、そのまま奥へと進んでいく。

光秀もまた、歩みを止めない。


踏みしめる板の冷たさだけが、足裏にいつまでも残っていた。



最奥の部屋に入る。

音が、完全に途絶えていた。


床に、ひとつの器が転がっている。

力なく横倒しになり、畳の上で動きを止めていた。


義昭は、虚ろな目でその器を凝視していた。

光秀が近づくと、義昭はようやく、錆び付いた動きで顔を上げた。


「十兵衛。……もう、米がない」


光秀は、何も言わなかった。

草履の縁から、乾ききらない泥がひとかけら、剥がれ落ちた。


畳の上に、新たな黒い点が広がる。

義昭は、再び器へと視線を戻し、黙り込んだ。



器が、微かに揺れた。

だが、すぐにまた静止した。


光秀は、自らの指先を鼻に近づけてみた。


生々しかった墨の匂いは、いつの間にか消え去っていた。

代わりに、藤孝とすれ違った時と同じ、乾いた灰の匂いだけが、そこに沈殿していた。

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