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【休載中】(初稿版)本能寺は止めない、だが光秀は死なせない 〜未来を知る将軍・足利義昭、戦国を動かす〜  作者: 細川 雅堂
第七章 無音の包囲網

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第三十四話 不在の評定、透明な影

朝の光が、畳の上で薄く揺れていた。


光秀は、いつものように評定の間へ向かった。

草履の音が、廊下にぽつり、ぽつりと不規則に落ちていく。


襖を開ける。

公家たちが整然と並び、藤孝が静かに控えていた。


光秀は、己の席へと歩を進める。

だが、そこには──。


見知らぬ者の名札が置かれていた。

墨の匂いも新しい、別の名が紙に躍っている。


藤孝が、わずかに視線を伏せて頭を下げた。

「……ああ、これは。席が足りませなんだな」


それ以上は、何も言わない。

光秀の席は、最初から用意されていなかった。


誰も、顔を上げない。

居並ぶ者たちの視線は、一度として光秀の肌に触れることはなかった。


評定は、そのまま淡々と始まった。

光秀は立ったまま、己の影が畳に落ちきらず、淡く透けているのを凝視していた。



安土の陣へ向かう。

廊下の奥から、湿った笑い声が漏れていた。


襖を開けると、信長が家臣たちと談笑の最中であった。

光秀が足を踏み入れても、誰も話を止めない。


笑い声が、途切れることなく続く。


信長は、漆塗りの盃を手にしていた。

中身のない、空の盃だ。


一度、盃の縁を指先で弾く。

コン、と乾いた軽い音が響いた。


その直後、信長は笑みを湛えたまま、

その空の盃を光秀の眼前へ差し出した。


まるで、そこに「誰か」が座っているかのように。

だが、盃に酒が注がれることはない。


信長の視線は、光秀を射抜いているようでもあり、

光秀の背後にある虚無を見つめているようでもあった。


「……ひどく、乾いておるな」


それだけを言い、手元に盃を戻す。

家臣たちの笑い声が、再び部屋の空気を塗り潰した。


光秀の喉が、引き裂かれるほどに乾いていた。



二条御所へ戻る。

夜気が、肌を刺すように冷たい。


草履には、昼間の泥が粘り強く張り付いたままであった。


奥の間から、米を噛む音が聞こえてくる。

カリ、ポリと、乾いた小さな音。


光秀が部屋に入ると、義昭は背を向けたまま、

光秀の足元の草履を、ただじっと見つめていた。


「十兵衛。……その泥は、もう乾かぬぞ」


光秀は、答えなかった。

草履の縁から、重みに耐えかねた泥が、ぽたりと落ちた。


畳の上に、黒い染みがじわりと広がる。

義昭は、米を噛み続けていた。



光秀は、己の影が畳の上にうまく落ちていないことに気づいた。

輪郭がぼやけ、背景に溶け込もうとしている。


奥からは、義昭の咀嚼音だけが、

断続的に、冷たく響き続けていた。

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