第二十五話 朝廷の沈黙
将軍暗殺未遂の噂は、ついに御所へ届いた。
京の空気は重い。
公家たちは顔を寄せ合い、声を潜めて話していた。
「将軍が襲われた」
「京の治安が揺れている」
「犯人は誰だ」
そして──
誰かが言った。
「……織田ではないか」
空気が止まった。
誰も肯定しない。
誰も否定しない。
ただ、恐れだけが広がっていく。
御所の一室。
公家たちが集まり、議論が続いていた。
「将軍を守るべきでは」
「いや、織田を責めるべきか」
「しかし……信長を敵に回すのは……」
信長は今や天下最大の武力。
誰も正面から敵に回したくない。
議論は堂々巡りだった。
結論は出ない。
やがて、朝廷は結論を出した。
それは──
「何もしない」
という結論。
つまり、沈黙。
公家たちは安堵し、同時に怯えた。
沈黙は、責任を負わない。
沈黙は、誰も守らない。
沈黙は、京の空気をさらに重くした。
光秀は義昭のもとへ急いだ。
「将軍様……朝廷は……何も言いません」
光秀の声には困惑があった。
「将軍が襲われたのに……
何も動かないのです」
義昭は驚かなかった。
むしろ、静かに言った。
「それでよい」
光秀は息を呑んだ。
義昭は庭を見たまま言った。
「朝廷は動いた」
光秀は理解できなかった。
「……動いた、のですか」
義昭は頷いた。
光秀は言葉を失った。
光秀はようやく理解した。
朝廷は迷っていない。
ただ、戦わないだけだ。
そして──
その沈黙が、京の争いをすべて武家へ押し返したのだ。
義昭は静かに言った。
「沈黙は政治だ」
「言葉より重い」
光秀は息を呑む。
義昭は続けた。
「朝廷は今」
「織田を守らず」
「将軍も守らない」
「つまり」
「京の争いを」
「武家に押し返した」
光秀は震えた。
(……これが政治)
(沈黙が……動かしている)
義昭は静かに言った。
「朝廷は血を流さぬ」
「だが」
「国は動かす」
光秀の背筋が震えた。
義昭は光秀に問う。
「光秀」
「信長はどうする」
光秀は答えられなかった。
信長は疑われている。
朝廷は沈黙した。
誰も守らない。
義昭は静かに言った。
「疑われ」
「朝廷に守られず」
「沈黙される」
「信長は必ず動く」
その時──
廊下から足音が響いた。
「将軍様!」
伝令が駆け込む。
「安土から使者が!」
義昭は目を細めた。
(動いたか)
光秀は気づいた。
将軍は驚いていない。
最初から
信長が動くことを読んでいたのだ。




