第3話 イノシシ討伐!①
朝だった。
目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。
「……ここはどこだ?」
しばらくぼんやりと天井を眺めていた俺は、ゆっくりと体を起こした。
角イノシシに追いかけられ、森を抜け、狩人たちと出会って……。
「ああ、そうだった。そういえば、そんなことがあったな……」
額に手を当てた。
成り行きで村にたどり着き、成り行きで狩人たちの家に泊めてもらうことになったのだ。
魔王軍の結成初日から、なんとも波乱万丈な旅だった。
「……まあ、悪くないか?」
一人で頷いた。
考えてみれば、転生する前はこんなことなかった。
毎日同じ日常を繰り返し、目標を達成しては、また次の目標を立てる。
そういう意味では、今はなかなか楽しかった。
……命の危険があることを除けばな!
「起きたか?」
扉が開き、昨日会った狩人が入ってきた。
「よっ、おはよう」
「ああ。腹が減っただろう? 飯は用意してあるから、冷めないうちに食べな」
「本当か!?」
俺は反射的に立ち上がった。
この世界に来てから、まともな食事といえば……待て、何を食べたっけ?
まあ、とにかく腹が減っているのは確かだった。
狩人について食卓へ向かうと、パンとスープ、それに焼いた肉が並んでいた。
「おお……!」
「大したもんじゃない。あるもので適当に作っただけだから、遠慮せず食べな」
「いただきます!」
俺はさっそく食事に取りかかった。
温かいスープが喉を通っていく。パンは少し硬かったが、噛めば噛むほど香ばしく、肉には程よく塩味がついていた。
美味い。
本当に美味い。
異世界に来て、初めてまともな食事をした気分だった。
「ゆっくり食べな。誰も取りゃしないんだから」
俺は慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「美味すぎて、つい……」
「ははは! そうか、ならたくさん食べな!」
狩人は豪快に笑った。
感動した。
なんて親切な人なんだ!
いずれ魔王軍を設立し、世界を支配することになったら、この人だけは特別に優遇してやろう。
俺は頷き、残った料理をきれいに平らげた。
それからようやく、狩人が口を開いた。
「さて、そろそろ家に帰らないとな?」
「……え?」
「昨日は森で道に迷ったんだろう? 村までは送ってやるから、心配するな」
「いや、ちょっと待ってくれ!」
俺は勢いよく立ち上がった。
「俺も討伐に連れていってくれないか!」
狩人の表情が固まった。
「……何だって?」
「角イノシシを狩りに行くと聞いた! 俺も一緒に──!」
「駄目だ」
即答だった。
「どうしてだ!?」
「どうしてって……あんた、あいつがどれだけ危険か分かって言ってるのか?」
「もちろんだ!」
身をもって体験したからな。
木がへし折れる音も聞いたし、地面が揺れるのも感じた。
命懸けで逃げ回ったのだ。
……思い出しただけでも背筋が寒くなる。
「だったらなおさら駄目だ。俺たちは角イノシシを狩りに行くんであって、あんたを守りに行くんじゃない」
「俺だって役に立てるぞ!」
「何の役に立つっていうんだ?」
「それは……」
俺は口をつぐんだ。
威勢よく名乗り出たものの、今すぐ胸を張って言えることが何もなかった。
武器もない。
戦闘経験もない。
レベルも2だ。
……あれ?
こうして並べてみると、本当に何もないじゃないか!?
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
俺は咳払いした。
「俺は未来の魔王だ」
「……そうか」
「……信じてくれないのか!?」
「信じてほしいのか!?」
狩人はこめかみをぎゅっと押さえた。
そのとき、別の狩人が二人、部屋に入ってきた。
「どうした?」
「こいつが討伐についていきたいと言ってるんだ」
「何?」
二人は俺を見た。
そして、同時に首を横に振った。
「駄目だ」
「駄目だって言ってるだろ」
俺は机を叩いた。
いや、こいつらはいったいどうしてこんなに頑固なんだ!
魔王軍の未来が懸かっているんだぞ!
「……なあ」
一番年上に見える狩人が口を開いた。
「本当に一緒に来たいのか?」
「当然だ!」
「なら、条件がある」
俺の目が輝いた。
「条件?」
「俺たちが危険だと判断したら、すぐに引き返すこと。それから、俺たちの指示に従うこと。勝手な行動をしたら、その場で村に送り返す。分かったな?」
「もちろんだ!」
俺は力強く答えた。
よし!
初任務に向けた準備は整った!
まずは角イノシシを倒して、『改造』の解放条件を満たす!
そして『改造』であいつを強化し、魔王軍幹部として迎え入れるのだ!
◇ ◇ ◇
森へ向かう道。
俺は狩人たちの後ろを歩いていた。
三人はそれぞれ武器や装備を確認しながら、真剣な表情で話し合っている。
「足跡を見る限り、昨日より動き回っているようだな」
「餌を探して歩き回っているんだろう。家畜を襲ったのもそのせいだな」
「できれば村から離れた場所で仕留めたい。また被害が出たら困るからな」
その会話を聞きながら、俺は頷いた。
なるほど。
なかなか専門的だ。
昨日はただ金を稼ぎに行く狩人たちだと思っていたが、思った以上に村のことを気にかけているらしい。
「ところでな」
先頭を歩いていた狩人が振り返った。
「あんたはどうしてそこまで角イノシシを狩りたがるんだ?」
「それは……」
俺は少し考えた。
まさか魔王軍幹部にするためだなんて、正直に話すわけにはいかない。
昨日もそれを口にしたせいで、頭を打った子供扱いされたんじゃなかったか。
「……夢を叶えるためだ」
「夢?」
「ああ」
俺は拳をぎゅっと握りしめた。
「俺はいつか、世界を揺るがす偉大な魔王になる! この無味乾燥な世界を変えるんだ! そのためには強い部下が必要だからな!」
狩人たちの足が止まった。
そして互いの顔を見合わせた。
「……やっぱり頭を打ったんじゃないか?」
「飯はちゃんと食べてたから大丈夫だろう」
「それとこれと何の関係があるんだ!?」
どうして誰も俺の話を信じてくれないんだ!
この世界には夢も希望もないのか!?
……いや、そういえば魔王軍もダンジョンもないと言っていたし、無理もないのか?
「はあ……」
いいだろう。
いつか全員が俺の名前を知ることになる。
そのときになって後悔しても、もう遅いぞ!
◇ ◇ ◇
しばらく進むと、森の様子が変わってきた。
鳥のさえずりが途絶え、木々の間を吹き抜ける風さえ、どこか重苦しく感じられる。
地面には大きな足跡が続いていた。
「ごくり……」
……間違いない。
角イノシシの足跡だ。
「跡が新しいな。近くにいるぞ」
狩人の一人が弓を構えた。
「全員、気をつけろ。音を立てずにゆっくり近づくんだ」
俺も静かに頷いた。
『待っていろ、角イノシシ』
今度こそ逃げたりしない。
……たぶん。
そのときだった。
ズウウウン!
枝が折れ、茂みが激しくかき分けられた。
巨大な黒い影が姿を現した。
角イノシシだ。
「あそこだ!」
狩人たちが一斉に武器を構えた。
俺は無意識に一歩後ずさった。
近くで見ると、さらに巨大だった。
黒い毛の隙間から覗く筋肉は岩のように硬そうで、額の角は日の光を受けて鈍く光っている。
何より、あの牙。
あれに一度でも突き刺されたら……。
……考えるのはやめよう。
「よし! 作戦通りにいくぞ!」
狩人たちのリーダーが叫んだ。
一人が左へ動き、もう一人が右へ回り込む。残る一人は弓を引き絞った。
三人は互いの動きに合わせ、角イノシシを包囲した。
最初に矢が放たれた。
ヒュッ!
矢は角イノシシの脇腹に命中した。
だが。
キンッ!
「……何?」
矢が弾き飛ばされた。
黒い毛の間に、かすかな跡が残っただけだった。
角イノシシは首を巡らせると、矢を放った狩人に向かって突進した。
「避けろ!」
ドゴオオオオン!
狩人は間一髪で転がって回避した。角イノシシが突っ込んだ木は、轟音とともにへし折れた。
俺は口を開けた。
『あんなの、どうやって倒せっていうんだ!?』
残る二人の狩人が左右から斬りかかった。
剣の刃が角イノシシの脇腹をかすめたが、分厚い皮膚には浅い傷がついただけだった。
「くそっ! せめて足を狙え!」
一人の狩人が姿勢を低くした瞬間、角イノシシが激しく体を振り回した。
「ぐっ!」
狩人は剣を引いて後ろへ下がった。もう一人も突進を避けるので精いっぱいで、攻撃する隙をつかめない。
「ここまで硬いとは思わなかったぞ!」
「正面から相手にするな!」
狩人たちの声に焦りが混じり始めた。
俺は唾を飲み込んだ。
……危険だ。
あの人たちには経験もあるし、武器もある。
それなのに、角イノシシにまともなダメージを与えられていなかった。
このままでは三人とも怪我をするかもしれない。
いや、下手をすれば死ぬことだってある。
俺は拳を強く握りしめた。
角イノシシを倒して改造条件を達成し、魔王軍幹部にする。それが俺の計画だった。
だが、肝心の角イノシシに狩人たちが全滅させられてしまっては困る。
それに何より……。
「……こんなの、面白くないだろ」
思わず呟いていた。
そもそも、俺は何のために異世界へ来たんだったか。
退屈な世界を変えるためだ。
それなのに、目の前で人が死んでいくのをただ眺めているなんて、俺の望んでいたことじゃない。
俺は腰元を探った。
武器はない。
魔法もない。
『改造』もまだまともに使いこなせていない。
……いや。
待てよ。
『改造』?
頭の中を何かがよぎった。
俺は目を見開いた。
「……あっ!」
そうだ。
まだ一つだけ、方法が残っていた。
俺は狩人たちの後ろへ、そっと下がった。
「おい! どこへ行くんだ!?」
「ちょっと待っててくれ! すぐ戻る!」
「おい! 今はそんなふざけてる場合じゃないぞ!」
分かっている。
俺だって分かっている。
だが、今はこの方法しかない。
俺は森の奥へ向かって走り出した。
◇ ◇ ◇
どれくらい走っただろうか。
見覚えのある場所が目に入った。
昨日、角イノシシに追いかけられて転んだ場所だった。
そして、その近くには……。
「……いた」
小さな青いスライムが一匹、草の前で体を揺らしていた。
ぽん! ぽん!
「ああ、ああ。相変わらず頑張っているな」
俺はスライムの前にしゃがみ込んだ。
昨日、こいつは俺が元の姿に戻してやった後も、しばらく草を攻撃し続けていた。
そのときは、ただ面白い出来事だと思っていた。
だが、今は違う。
好戦性を高めたスライムは、周囲の草を攻撃していた。
おそらく、本能的に自分に合った相手を攻撃していたのだろう。
だとすれば……。
「頼みがあるんだ」
ぽよ?
スライムが体を傾けた。
もちろん、スライムが俺の言葉をすべて理解できるはずもない。
だが、俺が求めているのは複雑な作戦じゃなかった。
上手くいくかどうかは分からない。
それでも、今は試してみるしかなかった。
「……頼む」
スライムの体を軽く叩くと、そいつはしばらく俺を見つめていた。
すると。
ぽん!
大きく体を揺らした。
なんとなく、力強い返事のように感じられた。
「……そうか。信じているぞ」
俺は立ち上がった。
「お前は俺の最初の部下だからな」
スライムがぴたりと動きを止めた。
そして。
ぽよ……!
体を目いっぱい膨らませた。
まるで、悲壮な決意を固めたかのように。
次の瞬間、スライムは勢いよく森の奥へ飛び出していった。
ぽん! ぽん! ぽん!
「……おお」
俺はその後ろ姿を見つめた。
なぜだか胸が熱くなった。
そうだ。
これこそが、部下と主君の絆……!
「……いや、待てよ」
我に返った。
まだ何も解決していない。
俺は再び角イノシシのいる場所へ走った。
◇ ◇ ◇
現場に戻ると、状況はさらに悪化していた。
「ぐっ……!」
一人の狩人が木に背中をぶつけ、苦しそうに呻いていた。
もう一人は腕を押さえており、弓を持った狩人はもはや矢を放てない状態だった。
角イノシシは相変わらず無傷だった。
「このままじゃ駄目だ……!」
リーダーらしき狩人が歯を食いしばった。
「撤退する! これ以上は持ちこたえられない!」
「だが、村に戻ったら……!」
「ここで死んだら、村を守る人間もいなくなる! 退くぞ!」
撤退。
そうだ。
今は退くのが正しいのかもしれない。
だが……。
俺は森の奥を見つめた。
……遅れているのか?
それとも失敗したのか?
狩人たちは互いに肩を貸し合いながら、後退し始めた。
角イノシシは逃がすまいとするかのように、地面を引っかいた。
ブルルルル!
次の突進が始まれば、今度は避けきれないかもしれない。
「くそっ……!」
俺は歯を食いしばった。
このまま終わらせるわけにはいかない。
そのときだった。
どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……ぽよ?」
俺は振り返った。
森の茂みが揺れた。
そして、その隙間から小さな青い塊が姿を現した。
俺は反射的に前へ出た。
「戻ってきたか!」
スライムは俺に向かって体を揺らした。
そして、ゆっくりと横へ退いた。
その瞬間。
「!!」
スライムの後ろ。
木々の間から。
茂みの向こうから。
小さな青い塊が一つ、また一つと姿を現していた。
一匹。
二匹。
三匹。
……十匹。
いや、それどころじゃない。
数十匹ものスライムが森の中を埋め尽くしていた。
「……な、何だあれは!?」
狩人たちも口を開けたまま、その光景を見つめていた。
角イノシシさえも動きを止めた。
数十匹のスライムが一斉に体を揺らした。
そして、その先頭には。
まるで自分が大軍を率いてきた将軍であるかのように、そいつが堂々と立っていた。
「ぽん!」




