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第2話

「着いた着いた、ここね!」


 迷いなく扉に手を掛ける朱宮。まったく、思い切りのいいことで。


 なんとか仕事を終えた俺たちは、会社の最寄り駅から程なく離れた居酒屋の前にいた。

 程なく離れている店を選んだのは俺の希望だ。もし、ないと思うけど万が一にも、会社の人と会わないように。


 社内で大人気のクール系美女と二人で飲んでるだなんて知られると面倒だし、みんなの「朱宮像」を守るためだし……。


「よーし飲むわよ〜!」


「……一杯だけだからな?」


「はいはい、あなたは一杯にしときなさいな。私はたらふく飲むから!」


「前もそれで歩けなくなって家までタクシーで送ったじゃねぇか!学習してくれ!」


 でろでろになった朱宮をなんとか抱えてタクシーにぶち込んだときは生きた心地がしなかった。彼女の意識がギリギリあって、免許証を探し当てて住所がわかったから耐えたものの……。


「残業を終えた私を止められるものは何もないわ!たとえあなたでもね!」


 そんな俺の気を知ってか知らずか、彼女は勝ち誇ったように拳を掲げている。


「かっこよく言ってるけど、後処理を押し付けてるだけだろ……」


「よろしくね?私のお世話係さん」


 いつからお前のお世話係になったんだ、とか今日は送らんし奢らんからな、とか言いたいことはまるでビールの泡のように浮かんでくるが、口を噤まざるを得なかった。


 なぜなら前を歩く朱宮の振り返った顔が、あまりにも楽しそうだったから。



「何頼むよ」


 メニュー表を逆さにしてテーブルに並べる。

 この地獄絵図(残業まみれ)に両足がずっぷり沈み込むまで異性と飲みに行くことなんてあまりなかったが、今ではもう朱宮と二人でご飯を食べることにすっかり慣れてしまった。


 緊張しないわけではないが、なんというか、こう日常に落とし込まれた感じ。


「えへへありがと!うーんなににしよっかな〜……あなたはビールと枝豆でしょ?」


 上機嫌な声と、文字通り食い入るようにメニューを見つめる彼女に心臓が跳ねる。

 やっぱり日常なんて嘘だ。顔のいい美人な同期と飲みに来るなんて、ファンタジーに決まってる。


 何を頼むか知っているということはつまり、それはもう……いや、この先を考えるのはやめておこう。

 残業で疲れているからだろうか。頭の中が少々自分に甘すぎる。


「あぁ、それで頼む。朱宮もビール飲むか?」


「ハイボールも捨て難いのよね〜」


 真白な人差し指を唇に添える仕草は、まるでドラマか映画に出てくる女優のようで。

 ひとことで言うなら「優美」。こんな場末の居酒屋にもかかわらず、だ。


 控えめに施されたネイルに、残業終わりとは思えないほど深い光を放つリップ、目の縁に散りばめられた星々を思わずじっと見つめてしまう。


 あぁ職場を出る寸前にお手洗いに行っていたことなんて、記憶の奥へ押し込んでしまおう。


「……なぁに?そんなに私の顔見て。もしかして見惚れてた?」


 残念美人のくせにこういう時のパンチは鋭い。

 即効性の痛みは容赦なく俺の心を抉ってくる。


「まさか」


「まさか、ね。ふふっ」


 何が面白いのか、彼女は腕を振って身体を仰け反らせた。


「なんだよ」


「いいえ、なんにも。自分の顔にちょっとは自信が持てただけ」


「俺の前以外で絶対それ言うなよ、フルボッコにされるから」


「言わないわよ。瀬川くんの前でだけ」


 眉尻を下げた朱宮が大人びて見えるのも、時間のせいだ。もしくは少し落ち着いたライトのせい。

 俺の心臓の鼓動が早いのは、さっき眠気覚ましに飲んだブラックコーヒーのせいだ。そうに違いない。


「すみませ〜ん!」


 一人もんもんとしていると、朱宮がよく通る声で店員さんを呼んだ。


「えーっとそしたら、生二つと枝豆、竜田揚げに茄子の煮浸し、あとはお刺身盛り合わせで!」


 すらすらと通るオーダーは二人で飲みに行った回数の多さゆえか、俺の好みど真ん中を撃ち抜いていく。

 特に竜田揚げ。圧倒的ダークホース。一体メニュー表のどこに隠れていたんだ。


 ふぅ、と息をついて再びこちらへ向けられた視線から逃げるように、俺はこれからくるカロリーたちに思いを馳せた。

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