第9話 調査の夜
深夜の仮設執務室に、松明の音だけが聞こえていた。
机の上に記録帳が広げられている。帳簿の束、物資調達記録、略奪記録、兵員推移表。ゴルが集めてくれたものだ。一番古いものは百年以上前の記録で、羊皮紙が黄ばんで端が崩れかけている。
扉が開いた。
「……まだやるのでありますか」
ゴルが湯気の立つ茶を持って入ってきた。
「調べることがある」
「夜明けまで時間があるであります。少し休んでも」
「手が止まると思考が止まる」
ゴルは机の端に茶を置き、何か言いかけて、やめた。静かに部屋を出ていく。
カイトは茶に手を伸ばし、一口飲んでから記録帳に向き直った。
【経理】を発動する。
通常の使い方とは違う。不正の可視化ではなく、時系列の変化を読み取るための使い方だ。大量の記録を並べて入力すると、スキルが数字の流れを整理して頭の中に展開してくれる。折れ線グラフを読む感覚に近い。
まず略奪量の推移から見た。
百年前から現在まで、年ごとの記録を並べていくと、ある時点から明確に数字が落ちている。
(約80年前から減少し始めている)
それまでは安定していた数字が、一つの時期を境に下降トレンドに入っている。急落ではなく緩やかな、しかし確実な減少だ。
次に調達コストの推移。同じ時期を確認すると、こちらは上昇している。物資を外部から買う費用が、略奪量が減り始めた時期と連動して高くなっている。
(辺境防衛が強化されたか。聖王国側が対策を取った)
略奪が難しくなり、代わりに非公式ルートで物資を仕入れる必要が出てきた。コストが上がるのは当然だ。しかし問題はそれだけではない。
なぜ外部調達コストがこれほど高いのか。封鎖されていなければ、通常の商取引で安く買えるはずだ。
カイトは視点を変えた。最古の記録帳を引き寄せ、対外交易の記録を探した。
あった。しかし、途切れている。
(300年前に記録が消えている)
それ以前には、聖王国との交易記録が断片的に残っている。魔石と農産物の交換。物流の記録。ところが300年前を境に、そうした記録が完全に途絶えている。
(封鎖は向こうが仕掛けた。理由は……鉱業利権か、宗教か。おそらく両方だ)
これで構造の輪郭が見えた。交易が封鎖された。物資が入ってこなくなった。魔王領は孤立経済に閉じ込められた。そして約100年後、当時の魔王が略奪を公式戦略として採用した。
(やめようとした時期が、あったはずだ)
略奪の開始が封鎖から100年後ということは、100年間は別の方法を模索していたはずだ。なぜ最終的に略奪を選んだのか。記録はそこまで語っていない。ただ、「選ばざるを得なかった」という感触は数字から伝わってくる。
次に【資産鑑定】を発動した。
魔王領全体の「眠っている資産」を測定する。
課税権:名目上は存在する。しかし徴収体制が機能しておらず、実質的な収益はゼロ。制度を整えれば収益化できる余地がある。
直轄領:魔王城周辺の広大な土地が農業転用されずに放置されている。食料自給率を上げられる可能性がある。
北部山岳の魔石鉱脈:
カイトはそこで止まった。
スキルが何かを示そうとしているが、数値が出てこない。規模が大きすぎて通常の計測範囲を超えているような感触だ。
(……計測できない。ここは後で直接確認が必要だ)
保留にして先へ進んだ。
ルシフェラの即位記録付近を調べ始めたとき、カイトの手が止まった。
約20年前。その時期の記録に、微妙な変化がある。
予算の構造が、一度だけ変わりかけている。
略奪収入への依存比率が下がり始めているタイミングがある。数字の上では、誰かが「略奪以外の収入源を作ろうとした」形跡だ。しかし翌年以降、その試みは消えている。元の構造に戻っている。
(試みた。失敗した。そういうことか)
記録は理由を語らない。しかし即位から数年後に何かを試みて、やめている。数字だけが残っている。
カイトはしばらく、その数字を見ていた。
何百年も放置されてきた問題ではない。少なくとも一度は、変えようとした人間がいた。変えようとして、できなかった。なぜできなかったか。
代替収入がなかったからだ。略奪をやめれば食料が尽きる。その壁を超える方法がなかった。だから戻った。
(マイナス300%の原因は、横領だけじゃない。構造ごと壊れている)
横領は結果だ。原因は、収入の構造が設計ミスのまま200年続いてきたことにある。略奪依存、封鎖経済、代替収入なし。そこに人員の固定コストと四天王の横領が乗っかって、マイナス300%になった。
(略奪をやめるだけでは解決しない。封鎖経済の中に閉じ込められている。出口を作らなければ)
3カ年で黒字化する。そのためには「なぜこうなったか」を全部説明した上で、「どう変えるか」を数字で提示しなければならない。根拠のないプレゼンは意思決定を動かせない。
今夜の調査で、根拠は揃った。
カイトは記録帳を閉じた。
「……根は深い」
独り言は一言だった。
窓の外が、白み始めていた。夜明け前の薄い光が、石の壁に差し込んでくる。
カイトは立ち上がり、机の端にある白紙の束を手元に引き寄せた。
プレゼン資料の作成を始める。「なぜこうなったか」と「どう変えるか」、二部構成で組み立てる。聴衆はルシフェラと四天王だ。数字が読める者と読めない者が混在している。全員が納得できる論理の組み方を考える必要がある。
ペンを持つ。
夜明けの光の中で、本当の仕事が始まった。




