第77話 証拠の山
カイトが記録の棚を開けたのは、翌朝だった。
砦の執務室の奥に、記録保管用の棚がある。カイトが財務長官に就任した時から、整理し続けてきた棚だ。魔王軍の帳簿が並んでいる。採掘記録、輸送記録、採用記録、収支報告。
その棚の一番下に、別の保管箱があった。
カイトが取り出した。重い。木製の箱で、蓋に鍵がかかっている。カイトが鍵を開けた。
「……長官、それは何でありますか」
ゴルが隣で見ていた。
「聖王国で働いていた三年間の個人記録です。公式の帳簿のコピーと、私自身が気づいたことのメモです」
「……三年間分の記録が、全部その箱に入っているのでありますか」
「入っています。財務の仕事では、自分でも記録を取るのが習慣です。公式の帳簿だけでは分からないことを、別に残しておく」
箱の中から書類の束が出てきた。束が四つある。年度別に分けてある。
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カイトが書類を机に広げた。
三年分の記録だ。一枚一枚は地味な書類だ。日付、品目、金額、関係者名。それが淡々と並んでいる。しかし、並べて見ると、パターンが見えてくる。
「ゴル、マルバスの名前が出てくる書類を全部抜き出してください。日付順に並べてほしいです」
「……了解しました」
二人で作業を始めた。
カイトが書類を確認し、ゴルが仕分けする。マルバスの名前が出てくる書類は、全体の三割ほどあった。多い。聖職者の立場でありながら、財政関係の決定に関わっていた回数が多い。
「……長官、マルバスという人は、聖職者なのに財政に関わることが多かったのでありますか」
「枢機卿というのは、宗教的な立場と政治的な立場を兼ねています。聖王国では特に、宗教と政治の境目が曖昧です。その曖昧な部分を使って、財政にも関与してきたということです」
「……財政に関与して、何をしていたのでありますか」
「数字を見ればわかります。関与した案件の支出が、市場価格より高い。購入価格と実際の価値の差が、特定の商会に流れている」
ゴルが書類を見た。
「……これは、横領でありますか」
「横領です。ただ、本人の名前では記録されていません。関係する商会の名前を通じて記録されています。一見すると分からないように作られています」
「……分かったのはなぜでありますか」
「商会名を追うからです。財務の仕事では、名前だけでなく、その名前が指す実体を追います。商会Aが仕入れた品物がどこへ行ったか。商会Bに支払いが行ったとして、商会Bのオーナーが誰かを確認する。そこを追うと、最終的な受取人が見えます」
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作業を続けながら、カイトはもう一つの書類を引き出した。
「ゴル、これを見てください」
「……なんでありますか」
「これは、財務部門に届いた外部からの書類です。宛先は私ではなく、当時の部門長でしたが、コピーが私の手元に来ていました」
書類の内容は、暗号化された文書だった。ただし、カイトが当時解読したメモが隣に挟まれていた。
「解読した内容を読みます。『件の人物の動向を確認した。宮廷外への影響が増している。静かに対処することを検討されたい』」
「……これは」
「送り主の印は、宗教省の署名が使われています。宛先は……聖騎士団の連絡窓口です」
ゴルが書類を見た。
「……これは、カイト長官を排除しようとした計画の証拠でありますか」
「その可能性が高いです。ただ、これだけでは決定的ではありません。追加で確認が必要な部分があります」
「……どうやって確認するのでありますか」
「過去の記録から追います。この書類の日付と、その後の人事異動の記録を照合します。私が聖王国から追放された経緯と、この書類の内容が一致するかどうかを確認します」
「……一致したら」
「証拠になります。証拠が揃えば、告発できます」
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作業は三日続いた。
カイトとゴルは毎日、記録を確認した。日付を照合し、名前を追い、金額を確認した。書類が増えていった。
三日目の夜、カイトが書類の束をまとめた。
「整理できました」
「……どんな証拠が揃いましたか」
「三種類です。一つ目、マルバスが関与した財政案件の価格操作の記録。二つ目、その操作で差額が流れた商会の記録とその商会の実際の受益者の記録。三つ目、私の排除に向けた動きの書類とその日付」
「……三種類全部あれば、告発できるのでありますか」
「聖王国の法制度上では、これだけで充分です。ただし、提出先を慎重に選ぶ必要があります」
「……提出先はどこがよいのでありますか」
「マルバスの影響が及んでいない場所が必要です。聖王国の宮廷内部は、マルバスの人脈が入り込んでいる可能性があります。外部の、独立した機関が必要です」
「……そういう機関があるのでありますか」
「一つあります。国際商業仲裁機関、通称『仲裁院』です。商業的な紛争を扱う機関で、複数の国の代表が構成員になっています。聖王国が単独では干渉できない機関です」
「……仲裁院に書類を提出するのでありますか」
「そうです。仲裁院が受理すれば、聖王国の内部だけでは握り潰せません。マルバスが消すことができない形で、記録が残ります」
ゴルが少し間を置いた。
「……長官、これは、暴力を使わない戦いでありますね」
「そうです。暴力はコストに見合わない。書類で充分です」
ゴルが書類の束を見た。三日間で積み上げたものだ。紙の厚さが、三年分の記録の重さを示している。
「……長官、ゴルは一つ思ったのでありますが」
「なんですか」
「……マルバスは、長官が三年間ずっと記録を取っていたことを知らなかったのでありますね」
「知らなかったと思います。財務官が個人で記録を取るのは、一般的な習慣ではあります。しかし、退職後もそれを保管し続けるとは思っていなかったと思います」
「……それが、見落としでありましたね」
「人は、自分が想定しない行動を相手が取るとは考えません。マルバスは私を追放すれば終わりだと思っていた。追放した人間が、追放後も記録を使えるとは思っていなかった」
「……長官が魔王領に来たことで、逆に安全に使えるようになったのでありますね」
「聖王国にいれば、この記録は潰されていたかもしれません。魔王領にいるから、誰にも触れられない場所で保管できた」
ゴルが少し間を置いた。
「……追放されて、良かったのでありますね」
カイトが少し止まった。
「……そう言うと語弊がありますが、追放されなければここには来ていませんでした。来ていなければ、この記録を使う機会もありませんでした。結果として、今の方が仕事ができています」
「……長官がここに来てくれて、ゴルは良かったと思います」
カイトが何かを言いかけて、止めた。
「……ありがとうございます」
珍しく、そう言った。
書類を鞄に入れた。明日、仲裁院への送達を手配する。それが次の段階だ。
ただ、もう一つのことが気になっていた。
マルバスが次の手に動いている可能性がある。宗教での世論操作が効かなかったと分かった後、マルバスは別の手を選ぶ。それが「排除」の方向に動くとすれば、どういう形で来るか。
直接手を汚さない人間だ。だから、誰かを通じる。仲介者を使う。そのために時間がかかる。仲介者を探し、説明し、動いてもらうためのリスクを取らせる——それに一週間から二週間かかる。
つまり、今週か来週が、最も危険な時期だ。
「ゴル、シグに伝えてほしいことがあります」
「……シグさんに、でありますか」
「巡回の頻度を上げてほしいです。外部からの接触者があれば報告してほしいということを。理由は特に伝えなくていいです。業務上の確認として伝えてください」
「……了解しました。シグさんは、理由なしでも動いてくれると思います」
「ありがとうございます」
カイトが書類を閉じた。
三年間の記録が、ようやく使われる時が来た。記録を取り続けた意味は、ここにある。財務の仕事は、いつも後になってから意味が分かる。その時に使えるかどうかが、準備の質だ。
今夜は定時に上がる。明日から、最後の段階が始まる。




