第70話 腐れ縁の面接
翌朝、面接室の扉の前にシグが立っていた。
昨日と同じ扉だ。昨日は夕方に入った。今日は朝に立っている。一晩経って、何かが変わったわけではない。でも、昨日と今日では少し違う。昨日は「来たのかどうか」が問われていた。今日は「どこまでやるか」が問われる。
ノックした。
「どうぞ」
カイトの声がした。昨日と同じ声だ。
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入ると、カイトがすでに書類を広げていた。
「おはようございます。座ってください」
「おはようございます」
シグが椅子に座った。
「昨日の続きになります。正式な採用書類の確認と、条件の最終確認をします」
「はい」
カイトが書類を一枚差し出した。
「月給10万G。聖剣維持費は月5万Gの補助。装備費は規定上限内で全額支給。住居は砦内に用意。就業規則は昨日の写しを受け取りましたか」
「受け取りました。読みました」
「内容に問題はありましたか」
「……残業禁止の項目が何度読んでも信じられませんでした」
「規則として設けています。守らせています。長官の私が守っているので、問題ありません」
「……あなたが守っているのか」
「定時に上がっています。例外は緊急時のみで、その場合は翌日以降に振替を取ります」
シグが少し間を置いた。
「……そういう職場か」
「そういう職場です」
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シグが書類に署名した。ペンを持つ手が少し止まった。
「……一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「……俺は、お前のところに来ていいのか。勇者が魔王軍に入るというのは、ふつうに変な話だ」
カイトが少し考えた。
「変な話かどうかは、立場によります。勇者という役割に意味があるのは、それを支える仕組みが機能している時です。今その仕組みは機能していない。あなたが魔王軍に来ることで、誰が困りますか」
「……エドワードくらいか」
「エドワードは今、他のことで手が一杯です。あなたのことを気にする余裕はない」
「……そうか」
「あなたの剣がここで使われることは、ここにいる人間の安全に繋がります。それが仕事の意味です」
シグが書類に署名した。
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「最後に一点。シグさん、これまで何を守るために剣を使ってきましたか」
突然の問いだった。シグは少し止まった。
「……色々ですが、パーティーのメンバーを守るためが多かったです」
「それは今後も変わらない。ここにいる人間を守ることが、戦闘担当の仕事です。規模が変わるだけで、やることは同じです」
「……そう言われると、簡単に聞こえるな」
「複雑にする必要がありません。シンプルにやれることをシンプルにやる。それが長続きするやり方です」
シグが少し笑った。
「……お前、いつもそういう言い方をするな」
「事実を述べています」
「それが嘘くさくないのが不思議だ」
「嘘は言っていないので」
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書類の確認が終わった。
カイトが書類をまとめた。
「採用完了です。今日からここの人間です。ガルガンに行ってください。配属の詳細を教えてもらえます」
「分かりました」
「あと、ゴルにも挨拶しておいてください。書類管理をしているので、何かあれば連絡が来ます」
「ゴルというのは?」
「私の補佐です。小柄な魔物です。きちんとしています」
「……了解しました」
シグが立ち上がった。カイトも立った。
「シグさん、来てくれてありがとうございます」
「……感謝されるとは思わなかった」
「採用する側も選んでいますが、来る側も選んでいます。選んでくれたことへの感謝です」
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廊下に出ると、ゴルが書類を持って立っていた。
「……シグさんですね。お待ちしていました」
「ゴルか」
「……はい。ゴルといいます。書類はこちらです。今日からの配属先と、週のスケジュールと、就業規則の補足説明です」
書類を三枚渡された。
「……多いな」
「……しっかりしているということです。不明な点があればゴルに聞いてください」
ゴルが少し嬉しそうに言った。
シグは書類を受け取った。ずっしりと情報が詰まっている感じがした。こんなに情報が整理されている組織は、今まで見たことがなかった。
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ガルガンに会いに行く前に、シグは廊下の窓から外を見た。
訓練場に人が動いていた。人間と魔物が一緒に動いている。指示する声が聞こえた。誰かが段取りを説明している。動く側が聞いている。
普通の光景だ。普通の訓練だ。
でも少し前の自分には、これが普通の光景に見えなかっただろう。何かが変わったのは、砦だけでなく、自分の見方も変わったからだ。
シグは少し考えた。勇者として旅をしていた時間と、今の時間は、続いている。断絶ではない。ターニャもセルジオも、別のルートをたどってここに来た。自分もその一人だ。おかしな話でもない。ただ、選んだ。
窓の外、訓練場の隅に、書類を持った魔物が歩いていた。記録か、報告書か。動いている人を見ながら何かを書き付けている。記録される組織というのが、ここの基本だと昨日のカイトの話で分かった。記録があるから振り返れる。振り返れるから改善できる。シンプルな話だが、やり続けるのは難しい。
廊下の向こうから声がした。
「おう、シグ。来たのか」
ガルガンだった。大きな体で廊下を歩いてきた。
「ガルガン、久しぶりだ」
「いつ来たんだ」
「昨日の夕方。今日から正式に」
「そうか。じゃあ今日から一緒だな」
「……よろしく頼む」
「ああ。ここは変な職場だけど、悪くないぞ。飯が美味くなったし、給料もちゃんと出る」
「それが一番大事だな」
「そうそう。カイト長官がそこに一番うるさいから、そこだけは安心していい」
シグが少し笑った。
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食堂に寄った。ブルグが今日もシチューを作っていた。
「おう、シグ。採用されたのか」
「されました」
「じゃあ今日から仲間だな。よかった」
ブルグが鍋をかき混ぜた。香りが食堂に広がった。
「ここ、食事がいいんですよ。毎日ちゃんとしてる」
「ブルグさんが作ってるから?」
「それもあるけど、管理できてる。食材が届く日が決まってて、献立が前もって出てる。食堂で働いてきたけど、ここほど段取りがいい職場はなかった」
シグは椅子に座ってシチューを受け取った。温かい。パンが一緒に出てきた。城下で食べていたパンよりいい小麦を使っている感じがした。
「物価が上がっているのに」
「魔王軍は仕入れルートが違うんです。マナ貨で払ってるから、外の物価の影響が少ない。カイト長官が最初に確保した仕組みだと聞きました」
シグはスプーンを動かした。旨かった。
この旨さも、仕組みの一部だ。そう思った。
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その日の夕方、カイトはゴルに報告した。
「シグ・バンクラフトの採用書類、完了しました」
「……お疲れ様でした。長官、今日のシグさんはどうでしたか」
「予想通りでした」
「……予想通り、というのは」
「来ると思っていましたから。その通りになった、ということです」
「……長官は、シグさんが来ることを確信していたんですか」
「確信ではありません。確率が高いと見ていました。宮廷経理に行って数字を確認した時点で、考える人間だと分かった。考えれば、来ると思いました」
「……なるほどです。ゴルは少し、長官は人を信じていると思いました」
「数字で見ていただけです」
「……それでも、結果として合っていましたね」
カイトが少し間を置いた。
「合っていたのは、シグさんが正しく動いたからです。私の予測の精度ではない」
「……そういうものですか」
「そういうものです」
ゴルが「……分かりました」と言った。
部屋が静かになった。書類を片付けた。
「ゴル、次の話をしてもいいですか」
「……はい。何でありますか」
「さて、次は本丸です」
ゴルが少し目を大きくした。
「……本丸、でありますか」
「聖王国の通貨が完全に崩壊した後の話です。どうするか、設計が必要です」
「……まだ先の話ではないですか」
「先の話を今から準備する。それが財務の仕事です」
ゴルが「……了解しました」と言った。
カイトは新しい書類を取り出した。




