第69話 シグ、来たる
シグが北方砦の門の前に来たのは、夕方近くだった。
砦は大きかった。以前会った時は外から見ていなかった。今日、正面から見ると、かなりの規模だと分かった。壁が整備されていて、見張りの位置も計算されている。
門番が立っていた。人間の兵士と魔物が一人ずつ。組み合わせが珍しい、と以前なら思っただろう。今日はそう思わなかった。ターニャから聞いていた。
「来客です。財務長官のカイトに会いたい」
「……お名前と用件をお聞きします」
「シグ。勇者パーティーの元剣士です。面接を希望しています」
門番が書類を確認した。
「……お待ちください。確認します」
しばらく待った。砦の中から別の兵士が来た。書類を持っていた。
「カイト長官が中でお待ちです。どうぞ」
中に通された。
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廊下を歩いていると、ターニャとすれ違った。
「シグ! 来たんだ」
「来た」
「良かった。場所は分かる?」
「案内してもらってる。こんな大きい砦だと思わなかった」
「増えてるんだよ、最近。人も部屋も」
「……どうなの? 来る前、迷ってたよね」
「迷ってた。でも来なかった理由の方がなくなった」
ターニャが少し笑った。
「そういう理由で来られるのが一番いいと思う。カイトさん、待ってたと思うよ」
「……そうか」
「行って。ゆっくり話せるから。夕食は一緒に食べよう。ブルグのシチューが美味しいんだよ」
「ブルグ?」
「料理人の魔物。昨日から働いてて、もう砦で一番人気になってる」
「……面白い職場だな」
「そうでしょ」
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面接室の前に来た。
シグは少し止まった。扉の前で一度だけ深呼吸した。
勇者として生きてきた時間がある。それが今日で変わるかどうかは、この扉の向こうにある。
ノックした。
「どうぞ」
カイトの声がした。
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入った。
カイトが机に向かっていた。書類を一枚置いて、立ち上がった。
「待ってた」
ただそれだけ言った。大げさでも歓迎の言葉でもなく、事実として。シグは少し動けなかった。期待していた言葉か、期待していなかった言葉か、分からなかった。でも悪くはなかった。カイトは嘘を言わない人間だ、と直感で分かった。「待ってた」が事実なら、こちらも正直に動ける。
「……来ました」
「座ってください」
シグが椅子に座った。カイトも座った。面接室は狭い。窓から外の訓練場が見える。昼間はそこで人が動いているのだろう。今は夕方で、人の姿はない。
「面接を希望する、ということでよいですか」
「はい」
「では始めます」
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カイトは書類を取り出した。
「名前はシグ。元勇者パーティーの剣士。年齢は二十六歳。専門は剣技。前歴は聖王国公認の勇者称号保持者。保有装備に聖剣あり、と書いてあります。合っていますか」
「……はい。全部合っています」
「最後に聖王国から支援を受けたのはいつですか」
「……三ヶ月前が最後です。その後は届いていません」
「それは把握しています。聖王国の財政状況の結果です。あなたの問題ではない」
「……ええ」
「一つ確認させてください。勇者の称号は今も有効ですか」
「……制度上はそうだと思いますが、実態はほぼ意味がないと思っています。支援が来ない勇者の称号には、実際の価値はあまりないかと」
「了解しました。称号は魔王軍での業務には関係しません。ここで問うのは、能力と意欲だけです」
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「剣技の水準を聞かせてください。自己評価でいいです」
「……聖王国の騎士団の中では上位です。ただ、単純な戦闘だけでなく、保護や護衛の場面も経験があります」
「護衛の経験は有用です。砦では外部への輸送護衛や要人の移動補助が必要になることがあります。マナ貨の輸送が今後増える見込みです。高価値物品の護衛経験がある人材は重要です。適性があると見ています」
「……了解しました」
「次に、魔王軍の仕事について。魔物と同僚として働くことに問題はありますか。ここには様々な種族がいます」
「……ターニャからここの話を聞いていました。問題ありません。廊下で見た限りでも、普通に仕事をしている様子だったので」
「魔王軍が聖王国と敵対していることについては」
シグが少し間を置いた。
「……正直に言います。以前は、魔王軍に入ることは裏切りだと思っていました。でも今は、そう思っていません。聖王国が自分たちへの義務を果たせていない以上、自分も同じように考える必要はないと思っています。義務が一方向だったなら、そこに縛られ続けることはない、と考えるようになりました」
「分かりました。採用します」
「……そんなに早く」
「判断に必要な情報は集まっています。迷う理由がありません」
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「最後に、給与の希望はありますか」
「……まだ考えていなかったです」
「参考情報として伝えます。現時点での戦闘部門の標準給与は月10万G、装備費は規定の上限内で支給します。ただし聖剣の維持費は、その特性上、別途協議とします」
「聖剣の維持費を……」
「168万G、年間というのは把握しています。宮廷経理の公式記録です。全額は難しいですが、一定の補助は可能です。詳細は配属後に改めて話し合います」
シグが黙った。しばらく動かなかった。
「……あなたは、あの時の数字を覚えていたんですか」
「覚えています。重要な情報は記録します」
「……俺は答えられなかった」
「知らなかっただけです。知ってから動けばいい。今日ここに来たことが、その証拠です」
「……あの時、なんで聞いたんですか。俺に、その数字を」
「知るべきことを知らない人間に、知らないまま動かせたくなかったからです」
シグが少し止まった。
「……押しつけ、じゃないんですか」
「問いを立てただけです。答えを出すかどうかはあなたが決めることでした」
「……そうか」
「それで今日来た。それが答えです」
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面接が終わった。
シグは廊下に出た。砦の中の空気が、外の空気と少し違った。整っている。管理されている。壁の張り紙が几帳面に貼られていた。「今週の訓練スケジュール」「食堂利用ルール改定のお知らせ」「面接申込み締切日」。どれも情報として整理されている。規則が見える形で存在している。
ターニャが廊下の先で待っていた。
「どうだった」
「採用された」
「よかった。シグ、ここ合うと思う」
「……そうかもしれない」
「明日、シルヴィアさんと話してみて。変な人だけど、面白いから」
「変な人か」
「数字と魔法の話を同時にしてくる。でも意外と普通のこと言う」
シグが少し笑った。久しぶりに笑った気がした。
「……カイトは、最初から待ってたって言ってた」
「そうだろうね。あの人、来る人間のことちゃんと考えてるから。シグが来ることを計算に入れてたんじゃないかな」
「……計算か」
「そういう人だから。悪い意味じゃないよ」
「……分かってる」
廊下の窓から夕日が見えた。砦の外、北の空が赤くなっていた。シグは少し立ち止まって、その色を見た。今日、自分は決めた。理由は言葉にすると複雑だが、結果はシンプルだ。ここにいる。それが今日の答えだ。
ターニャが「夕食行こうよ」と言った。シグは「ああ」と答えた。二人で食堂の方向に歩いた。
シグは翌朝、面接室の前で待つことになる。今日の面接は、正式採用のための書類整理が残っているためだ。腐れ縁の面接、というのはシグが後から思ったことだ。カイトにとっては、ただの次のステップだった。それがこの人の仕事の仕方だ、とシグは理解し始めた。準備は今日整った。




