第58話 シグとカイトの距離
シグがラーゴスに来たのは、月次確認でカイトが来るタイミングに合わせていた。
前回の会話で「月に一度は来る」と言っていた。ターニャに「行ってみれば?」と言われた。「行く理由があるか分からない」と言ったら「聞きたいことがあるって言ってたじゃないか」と返された。それで来た。カイトに会いに行くために他の国に来るのは少し変な話だとシグ自身も思ったが、足が動いた。
一週間ほどラーゴスに滞在した。フォルカの物流ギルドの前を通ったり、ベルドの店の近くを歩いたりした。三日目の午前中に、ゴルと二人で歩いているのを見かけた。
「……お前に聞きたいことがある」
シグが声をかけた。カイトが立ち止まった。
「何だ」
事務的な声だった。感情の起伏を感じさせない声。シグはそれに少し慣れていた。カイトはいつもそうだ。
「……俺、毎月14万G使ってた。聖王国に」
「知ってる」
「なんで知ってんだよ!」
「計算すれば出る。騎士一人あたりの維持費の相場と、勇者という特殊職の装備・消耗品の増加分を掛けると、おおよその範囲で出る」
シグが少し止まった。「計算すれば出る」という言葉が、昔もこういう場面で何度か出てきた気がした。
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「……どこで話せる?」
「物流ギルドの一室なら使える」
「そこで頼む」
カイトがゴルに何か言った。ゴルが「承知しました」と言って別の方向に行った。カイトとシグが物流ギルドに入った。
一室を借りた。テーブルを挟んで向かい合った。
「聞きたいことがあると言っていた」
「……ああ」
シグが少し間を置いた。
「……お前は、なんでそっちにいるんだ。魔王軍に」
「採算が合うからだ」
「……それだけか」
「今のところは」
シグが外を見た。窓から通りが見えた。
「……今のところ、以外に何かある可能性はあるのか」
「分からない。今のところ採算が合っているから、今いる。先の話は先になってみれば分かる」
「……お前、そういう生き方するんだな」
「計画は立てるが、全部は決めない。状況が変われば判断を変える。それが合理的だと思っている」
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「……俺は」
シグが続けた。
「……俺は剣で全部解決するって思ってた。悪を倒して、平和になって、終わる。そういうものだと思ってた」
「今もそう思っているか」
「……分からなくなってきた」
カイトが少し黙った。
「何が変わったか」
「……お前と話したのと、あとコストを調べたのと。168万G、一銭も稼いでないのに使ってた」
「知っていた」
「なんでもう知ってるんだよ」
「先ほど言った通り、計算すれば出る」
シグが首を振った。怒っているのではなく、驚いている顔だった。
「……俺、数字で戦う方法を覚えたら、お前に勝てるか」
カイトが少し止まった。
「問いの立て方が変わっている」
「……どういう意味だ」
「勝ち負けで比べる問いを立てているが、数字で戦う、というのは競争の話ではない。実態を把握するための手段だ。競争相手に勝つために使うものではなく、正確な判断をするために使うものだ」
「……じゃあ、俺が数字を覚えたら何が変わるんだ」
「自分のコストが分かる。相手のコストが分かる。投資した分が何に返ってくるかが分かる。それだけだ」
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「……うるさい。まだ剣の方が強い」
「そうか」
「……俺の方が、まだ直接的に強い」
「否定しない」
「……なんで否定しないんだ」
「事実だから。剣の方が一点に対して速く確実に機能する。問題はその一点を倒した後、構造が変わるかどうかだ。変わらなければ、また別の問題が出る」
シグが黙った。
「……じゃあ、俺がやっていることは意味がないのか」
「意味がないとは言っていない。ただし、一点を倒すことと、構造を変えることは別の問題だ。どちらが必要かは状況による」
「……今は、どっちが必要だ」
「今の聖王国の問題は、エドワード一人ではなく、財政構造の問題だ。エドワードを倒しても、構造が残れば同じ問題が繰り返される」
シグが長く黙った。
「……お前、本当に嫌なやつだな」
「そうか」
「……俺の問いに、全部答えを持ってるのが嫌だ」
「全部は持っていない。持っていない問いには答えていない」
「……気づかなかった」
少しだけ、二人が黙った。通りの音が窓越しに入ってきた。
「……カイト、ひとつ聞いていいか」
「何だ」
「……お前は、魔王軍の中で大事にされているか」
カイトが少し止まった。質問の方向が予想外だった。
「……なぜそれを聞く」
「……ラーゴスで話した時、ゴルって人が長官って呼んでいた。他の人も、なんか普通じゃない感じがした。人間なのに、ちゃんと受け入れられているのかなと思って」
「受け入れられている」
「……そうか。よかった」
「よかった、というのはどういう意味か」
「……俺、お前が無理して働いてるんじゃないかとちょっと心配だった」
「無理はしていない。採算が合っている」
「……相変わらず採算で言うんだな」
「それ以外の言い方が分からない」
「……でも、受け入れられてるって言ったな。それは採算じゃないだろ」
カイトが少し考えた。
「……そうかもしれない」
「……お前と話すと、頭が疲れる」
「そうか」
「……でも、来てよかった」
「そうか」
「……返事それだけか」
「それだけだ」
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ゴルが書類を持って入ってきた。
「……長官、月次の確認が終わりました。フォルカからの報告書もあります」
「ありがとうございます。後で確認します」
ゴルがシグを見た。
「……シグ様、ラーゴスに来ていたんですね」
「用があって来た。邪魔したか」
「……いいえ。でも長官の業務の時間が少し押しました」
「……悪かった」
「……いえ、大丈夫です。ゴルは時間の調整をしますので」
ゴルが出ていった。シグが「……部下が気が利くんだな」と呟いた。
「ゴルは優秀です」
「……お前が認めるくらいなら、相当だろ」
「認める基準は明確です。仕事が正確で、判断が速い。ゴルはその両方を満たしています」
「……お前に仕えると大変そうだけど、やりがいはありそうだ」
「大変かどうかは本人に聞いてください」
シグが少し笑った。
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シグが立ち上がった。
「……また来るかもしれない」
「来ればいい」
「……来たらまた話せるか」
「業務があれば対応できないが、時間があれば話せる」
「……カイト、お前は相変わらずそういうやつだな」
「どういうやつだ」
「……感情がなさそうで、ある、みたいな。数字のことばかり言うから感情がなさそうだけど、話してるとそうじゃないのは分かる」
カイトは少し考えた。
「ある」
「……そうか。よかった」
シグが扉に向かった。一度だけ振り返った。
「……また」
「また」
シグが出ていった。扉が閉まった後、カイトはしばらく同じ位置に座っていた。外の音が聞こえた。
何かが変わったわけではない。立場も、仕事も、方向性も。ただ、同じ世界から来た人間と話した。それが今日起きたことだ。
カイトは書類を手に取った。月次確認の続きをする。数字を確認する。ラーゴスのマナ貨の流通状況、取引量の変化、次の空売り準備の進捗。やることは変わらない。
窓の外でシグが通りを歩いているのが一瞬見えた。
「受け入れられている」と言った。それは本当のことだ。ルシフェラも、四天王も、ゴルも、リナリアも。最初からではなかった。でも今は、そう言える。シグはなぜそれを聞いたのかは分からないが、聞いてきた。カイトがそれに正直に答えたことが、少し珍しかった。
カイトは書類に視線を戻した。次のステップが待っている。




