第57話 シグの調査
ラーゴスから帰った後も、シグはカイトの言葉が頭から消えなかった。
「宮廷経理に聞けばわかる」
一言だった。それだけだ。ポーションを買いに来た帰り道に、カイトと話して、何かを聞かれて、答えられなくて、「宮廷経理に聞けばわかる」と言われた。
答えられなかった。
聖剣のメンテ代が今月いくらかかっているか。それが答えられなかった。
なぜ答えられなかったかを考えた。考えたら、そもそも意識したことがなかったからだ、と分かった。装備のメンテナンスは王国が支払うものだという認識があった。自分で払うわけではないから、金額を気にしたことがなかった。
それが恥ずかしいことなのかどうか、シグには判断がつかなかった。ただ、カイトに「把握していないなら、把握した方がいい」と言われた時、何か刺さるものがあった。なぜ刺さったのかも、すぐには分からなかった。
ターニャに「どうしたの? なんか考え込んでる」と言われた。「別に」と答えた。「嘘くさい」と言われた。シグは「ちょっとカイトと話した」とだけ言った。それ以上は説明できなかった。説明できないのは、自分の中でまだ整理がついていないからだ。
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翌日、シグは宮廷経理部門の建物の前に立っていた。
王城の一角にある、あまり目立たない建物だ。勇者として城に出入りするようになってから来たことがなかった場所だ。他の場所には何度も来た。訓練場、武器庫、会議室、謁見室。だが経理の建物には、用事がなかったから来なかった。用事がなかった、ということは、費用のことを自分で確認したことがなかった、ということだ。
そのことを、昨日まで意識していなかった。
扉を開けて入ると、カウンターがあって、事務の担当者が座っていた。
「……あの、勇者のシグです。自分に関わる費用を確認したいんですが」
担当者が顔を上げた。
「……勇者様でいらっしゃいますか。少々お待ちください」
別の担当者が奥から書類を持ってきた。
「……全部合算いたしますか」
「……頼む」
担当者が計算を始めた。シグは椅子に座って待った。
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しばらくして数字が出た。
「……ご報告します。装備メンテ代が月平均で4万2千G、ポーション費が月平均で6万8千Gでございます。その他の経費が月3万G程度で、合計月平均で14万G程度になっております」
「……14万G」
「はい。年間ですと168万Gになります」
シグが止まった。
前にカイトが聖女に月50万G払っていると聞いた時、高いと思った。
でも自分は168万G、一銭も稼がずに使っていた。
「……ありがとう」
声がかすれた気がした。担当者が「何かご不明な点がありましたら」と言ったが、シグは首を振って「大丈夫です」と言った。
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建物の外に出た。
空が明るかった。王城の中庭の噴水が動いていた。いつもの景色だ。ただ今日は、同じ景色が少し違って見えた。
担当者が計算書を出してくれた。見ると、細かく項目が分かれていた。聖剣の刃の研ぎ代、柄の修繕代、防具の皮革修繕代、鎖帷子の部分交換代。それが月ごとにまとめられていた。ポーション費も種類ごとに分かれていた。治癒ポーション、解毒ポーション、体力回復用の複合ポーション。全部まとめて計算すると14万Gになった。
数字は正確に存在していた。ただ、誰も教えてくれなかった。教えてくれなかったのではなく、自分が聞かなかったから知らなかっただけだ。
168万G。年間。
どこから来るのかは、「王国が支払う」という以上の理解がなかった。税収から来るのか、国庫から来るのか、どういう形で計上されているのかも分からない。
カイトは全部知っているのだろうか、と思った。正確には分からないが、カイトならば「どこから来るか」を把握した上で動いている気がした。「宮廷経理に聞けばわかる」という言葉の前に、カイトがすでにその答えを知っているような感じがあった。
「……かっこ悪い、って言ったのは俺の方か」
呟いた言葉は、噴水の音に消えた。
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部屋に戻ったシグに、ターニャが声をかけてきた。
「シグ、どこ行ってたの? 昼から姿が見えなかったけど」
「……宮廷経理に行ってた」
「宮廷経理? なんで急に」
「……カイトに言われた」
「カイトって、魔王軍の?」
「そう。ラーゴスで会った」
ターニャが少し驚いた顔をした。
「……会ったんだ。何してたの」
「ポーション買いに行ったら偶然。カイトは仕事でラーゴスによく来るって言ってた」
「……カイトと話したの」
「少し。聖剣のメンテ代、今月いくらかって聞かれた。答えられなかったから、宮廷経理で確認してきた」
ターニャが「ふうん」と言った。
「……で、いくらだったの」
「月14万G。年間168万G」
「……それは確かに、答えられなかったら恥ずかしいね」
「恥ずかしいのかどうかが分からなかったんだよ」
「恥ずかしいと思う」
シグが黙った。ターニャは容赦なく言う。それが昔から助かる時と困る時がある。今日は困る方だった。
「……じゃあ、カイトは俺がそれを知らないと思って聞いたのか」
「多分そうじゃないと思う。カイトって、相手を試す人より、情報を確認する人って感じがする」
「……情報の確認」
「うん。知らないから教えてやろう、じゃなくて、知らないなら知った方がいいよって言い方だったでしょ」
「……そうだった」
「だから責めてるんじゃなくて、本当に把握した方がいいと思って言ったんじゃない。カイトっぽい」
「……カイトぽい、って何が」
「実用的なことを、淡々と言う感じ」
シグが「そうかもな」と言った。
「……ターニャ、カイトのところに行ってみた方がいいと思うか」
「なんで」
「……色々、聞きたいことがある気がする」
ターニャが少し考えた。
「……カイトがラーゴスによく来るなら、ラーゴスで待てばいいんじゃない。また会えるでしょ」
「そうだな」
「……それに、聞きたいことがあるなら、自分で行けばいいと思う。何かを頼んでいいか判断するのも自分だし」
「俺に背中を押してるのか」
「……まあ、そうかも」
シグが少し笑った。
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その夜、シグはノートを出した。
使い古したノートだ。入団前からずっと使っている。訓練記録と、冒険の記録が混ざっている。一番後ろのページを開いた。
「14万G 月。168万G 年間」と書いた。
自分の字で書くと、数字が急に現実になった気がした。知っていたことが、書いてみると、違う重さを持つ。それは変な感覚だった。
その下に「カイトに言われた」と書こうとして、止めた。書かなくても覚えている。ターニャに「カイトのところに行く」と言ったわけではなかったが、行くことになる気がした。聞きたいことがある、という感覚が、まだ頭の中に残っていた。
ノートを閉じた。何かを決めたわけではなかった。ただ、書き留めておかないと忘れる気がした。
翌朝、訓練をしながら考えた。剣の稽古をしていると、頭の別の部分が動く。
カイトは「コストが見えていないと判断を誤る」と言った。シグは今まで判断を誤ったことはないと思っていた。でも、コストを知らずに判断していたなら、それは正確な判断ではなかったのかもしれない。
剣を振りながら、その考えが頭の中でぐるぐるした。結論は出なかった。ただ、ラーゴスにもう一度行く理由が増えた気がした。
聞いてみたいことがある。剣でしか解決できないことが、本当にそれだけなのかどうか。カイトなら、その問いに対する答えを持っているかもしれない。




