第56話 ラーゴスの再会
ラーゴスの物流ギルド拠点に来たのは、月次確認のためだった。
マナ貨の流通状況を確認し、ベルドたちの取引の記録を受け取り、フォルカと次のルート確認をする。いつも通りの業務だ。ゴルが書類をまとめ、カイトが数字を確認する。午前中で終わる予定だった。
物流ギルドの一室で書類を見ていた時、声が聞こえた。
「……カイト! こんなとこで何してんだよ」
顔を上げた。
黒い外套に、腰に長剣。年齢は自分と変わらない。
シグだった。
勇者として召喚されてきた人間で、カイト自身は財務として役割を与えられた。同じ世界から来た人間だという点で、シグはこの異世界の中で唯一だ。
その認識は頭の中にあったが、カイトは特に動きを止めなかった。書類を手に持ったまま、シグを見た。
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「月次確認だ」
「月次確認って……帳簿でも見てんの?」
「そうだ」
シグが少し困惑した顔をした。物流ギルドの廊下で鉢合わせした形だ。シグは奥から出てきた方向だったので、ギルドに用事があって来ていたらしい。
「……なんでラーゴスに」
「仕事でよく来る」
「魔王軍の財務長官が、商業都市に来るのか」
「取引の確認がある。来なければ実態が分からない」
シグがカイトを見た。見られている、という感じがあった。シグは昔から表情が分かりやすい。驚き、少し困惑、それから何か別の感情が混ざる。カイトはシグの顔を見て、それを整理する必要は特にないと判断した。状況として、今ここで会った。それだけの事実だ。
「……ポーション買いに来た。聖王国のが品薄で」
「そうか」
「品薄っていうのは、なんか関係あるのか。最近、ラーゴスにも聖王国の商品が少なくなってきたって聞いたけど」
「禁止令の余波だ。聖王国の貿易制限が物流を詰まらせた」
「……それって、カイトが関係してる話か」
「間接的には」
シグがもう一度カイトを見た。
「……帳簿で戦うって、地味だよな」
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カイトは少し間を置いた。
「聖剣のメンテ代、今月いくらだ」
シグが止まった。
「……は?」
「聖剣のメンテナンスに月いくらかけているか、という話だ」
「……なんでそんなこと聞くんだよ」
「把握していないということか」
シグが少し黙った。
「……そんなのいちいち数えてないよ」
「把握していないなら、把握した方がいい」
「……うるさい。俺は剣で全部解決する」
「それは今月何G使った」
「……知らねえよ」
「宮廷経理に聞けばわかる」
シグがと止まった。カイトは書類を手に取って、業務の続きに戻る準備をした。
「……お前、俺のことをバカにしてるのか」
「していない。コストを把握していない状態は、収支を見えなくする。それは判断を誤らせる。だから把握した方がいいと言っている」
「……そういう言い方が、帳簿みたいで嫌だ」
「帳簿は実態を映す。嫌だからといって無視すると、実態が見えなくなる」
シグが少し口を閉じた。言い返そうとして、何も出てこなかった顔だった。
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「……お前さ、最近ラーゴスで魔王軍の通貨が出回ってるって聞いた。マナ貨、とか言うやつ」
「出回っている」
「……お前が作ったのか」
「設計した」
「……なんでまた通貨なんか」
「戦争より安いからだ」
シグがまた止まった。今度は少し長く黙った。
「……戦争より安いって何だよ。戦争はコストじゃないだろ」
「全部コストだ。兵士の命も、時間も、物資も。コストが見えていなければ、適切な意思決定ができない」
「……そういう言い方、嫌いじゃないけど、ぞっとする」
「それがどういう意味か聞いてもいいか」
「……カイトが人を、数字で見てるみたいだから」
「数字で見ていない。数字は実態を見るための手段だ。実態を見るために使う。それだけだ」
シグが少し黙ってから「……そうか」と言った。完全には納得していない声だった。
「……お前、なんでそっちにいるんだよ。魔王軍なんかに」
シグの声が少し変わった。敵意よりも、疑問に近い声だった。
「採算が合うからだ」
「……それだけか」
「今のところはそうだ」
シグが外を見た。廊下の窓から商業都市の通りが見えた。人が行き来している。
「……帳簿で戦う方が強いのか」
「場合による」
「どういう場合に強い」
「構造を変えたい時は強い。一点を壊したい時は剣の方が速い」
「……今のカイトは構造を変えようとしているのか」
「そうだ」
「……構造って、聖王国のことか」
「聖王国の財政構造と、通貨の信用構造だ。エドワード国王の政策が、その構造を内側から崩している。私はその崩壊に合わせて代替を用意している」
「……つまり聖王国が潰れる、ということか」
「通貨の信用が崩れる、ということだ。潰れるかどうかは別の話だ。ただ、今の状態が続けば市民の生活が先に崩れる」
「……市民のことを考えているのか」
「市民が不満を持てば取引が止まる。取引が止まれば税収が落ちる。税収が落ちれば通貨が崩れる。連鎖だ。連鎖の起点を考えれば、市民の動向は重要だ」
シグが少し表情を変えた。敵意ではない。困惑に近い。
「……カイトって、俺たちの敵なのか」
「立場上はそうかもしれない。ただし、私が戦いたいのは人間ではなく、非効率な構造だ」
「……何それ」
「説明が難しい。今は業務がある」
「……ちょっと待てよ。俺はターニャと一緒に聖女を守って戦っているんだ。お前が聖王国を潰そうとしているなら、俺が黙って見ている理由はないぞ」
「今はまだその段階ではない。構造を変えることと、戦争をすることは別だ」
「……でも、いつかそうなるかもしれないだろ」
「なる前に、聖王国の内部が先に変わる可能性がある。エドワードの政策が続けば、国民の不満が先に臨界点に達する。外から壊さなくても、内側から変わる」
シグが少し黙った。言い返せない顔だった。
「……お前、本当に帳簿で戦ってるんだな」
「そうだ」
「……地味だけど、なんか怖い」
「正しく設計すれば機能する。それだけだ」
シグが何か言いかけて止まった。カイトは立ち上がった。
「業務の続きがある。また今度」
「……待てよ」
「何だ」
「……いや」
シグが視線を逸らした。
「……またラーゴスに来るのか」
「来る。月に一度は来る」
「……そうか」
カイトは廊下を歩き始めた。ゴルがついてきた。振り返らなかった。
通路を曲がった先で、ゴルが小声で言った。
「……シグ様、でしたか」
「そうだ」
「……知り合いですか」
「元々同じ場所にいた。今は別の場所にいる」
「……仲良くないのですか」
「仲が良い悪いというより、立場が違う」
「……それだけですか」
カイトは少し考えた。
「今は、それだけだ」
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ゴルが書類の束を持ちながら、後でそっと言った。
「……カイト様のことを見る目が、ちょっと複雑でしたね」
「そうか」
「……ゴルには分からない複雑さがありました」
「関係ない」
「……そうですか」
カイトは書類の続きを見た。数字の列が並んでいた。実態が見えていれば、判断できる。見えていなければ、判断できない。それだけだ。
今日のシグとの話で、何かが変わるわけではない。立場も、仕事も、方向性も。ただ、同じ世界から来た人間が今どこで何をしているかを、互いに知った。それが今日起きたことだ。
財務の計算書に戻った。マナ貨の流通状況の数字が並んでいた。ラーゴスの商人5名が計90枚を保有し、そのうち15枚がすでに別の取引に使われたという記録があった。種が発芽している。
シグの内心では、ひとつの問いが浮かんでいた。
なんで答えられなかったんだろ。




