第54話 接触
ミア村の酒場は小さな建物だった。
砦を出てから丸一日かかった。フォルカの物流ルートで国境付近まで馬車で移動し、そこから徒歩に切り替えた。ゴルは「長官が徒歩で移動されるのは初めて見ました」と言ったが、財務長官が馬で堂々と聖王国側に入るわけにはいかない。
国境から歩いて半日のところにある村だ。聖王国と魔王領の中間に位置しているため、どちら側からも旅人が立ち寄る。交易が活発だった頃は商人で混んでいたが、禁止令が出てからは客が減った、と村の人間が言っていた。
カイトとゴルは外套を着ていた。特に目立つ服装ではない。ゴルは少し緊張していたが、それも普通の旅人に見えた。
酒場の中に入った。テーブルが六つ。半分ほど埋まっていた。商人らしき二人組、老人、そして奥のテーブルに二人の若い男がいた。外套を脱いで椅子にかけていた。下に着ているのは鎧の下に来るような仕立ての服だ。腰に剣の鞘はないが、体格と姿勢が騎士的だ。
カイトは酒を注文した。ゴルも同じものを頼んだ。
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しばらく座っていた。奥のテーブルの二人が話をしている声が少し聞こえてきた。
「……装備のこと、また上に言ったか」
「言ったよ。また来月まで待てって言われた」
「来月で三ヶ月だぞ」
「分かってる」
カイトは少しタイミングを見計らってから立ち上がった。ゴルが少し緊張した顔で見ていた。
奥のテーブルに近づいた。
「少し聞いてもいいですか」
二人が顔を上げた。警戒した目だった。カイトは続けた。
「旅の者です。国境付近を通っていて、最近の状況を地元の方から聞けると助かると思いまして」
「……俺たちは地元じゃないけど」
「そうですか。失礼しました。でも、お話を聞いても?」
二人が目を見合わせた。断る理由もないという顔で「まあ、いいけど」と言った。カイトが向かいに座った。ゴルも隣に来た。
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「……禁止令以来、この辺の村も物が入ってこなくなった、って聞きましたが、どのくらい影響が出ていますか」
「俺たちが知る限りじゃ、かなり出てると思う。物価が上がった」
「なるほど。みなさんはこのあたりで勤めているんですか」
「……まあ。聖王国の騎士です」
カイトは頷いた。
「騎士ですか。大変な仕事ですね」
「大変とか大変じゃないとか、そういう話じゃなくて……」
デーン(とカイトが後で知ることになる方)が少し黙った。
「……給料が二ヶ月出てないんです。装備の修繕も自腹で。それが一番きつい」
「それはきつい話ですね」
「上に言っても待てとしか言わない。待つのはいいけど、いつまでかは言ってくれないと困る」
「分かります。期限の見えない待機は計画が立てられない」
「そうなんですよ」
レイ(もう一人)が続けた。
「最近、魔王軍の方が条件いいって噂があるんです。変な話だと思うけど」
カイトは少し間を置いた。
「実は、その点について話せます」
二人が止まった。
「……何の話ですか」
「魔王軍の財務長官です」
デーンの顔が固まった。レイが口を半開きにした。カイトは続けた。
「突然で失礼しました。騎士団の状況を実際に聞いておきたくて来ました。給与遅配の情報は外からも入っていますが、現場の話を直接聞ける機会は少ない」
「……財務長官が、なんでこんなところに」
「採用の候補を探しています。ただし、来てほしいと言うつもりはないです。選択肢があるということを伝えるだけです」
レイが少し身を固くした。
「……選択肢って、魔王軍に来いということか」
「一つの選択肢として提示します。強制はしません。来るかどうかは完全にみなさんが決めることです」
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二人が固まった。
「……嘘だろ」
「本当です。すみません、最初に言えばよかった。今日は状況を聞きたくて来ました」
レイが椅子を少し引いた。逃げるつもりがある、という動きだった。カイトは続けた。
「座っていてください。危害を加える気はありません。一点だけ聞いてもらえれば、後は判断はみなさんに任せます」
「……一点、って」
「週休2日・給与保証・賞与年2回。採用できます」
二人が顔を見合わせた。また固まった。
「……今の魔王軍、本当に残業しないのか」
「就業規則で禁止しています」
「……嘘だろ」
「本当です。就業規則を書いたのは私です」
デーンがまた固まった。レイが、かすかな声で「……嘘じゃないのか」と言った。
「嘘をついてもコストが上がるだけです。騙して採用した人間はすぐ辞めます。意味がない」
「……コストって何ですか」
「採用費と、引き継ぎ費と、不信感です。全部数字になります」
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しばらく沈黙があった。
デーンが先に口を開いた。
「……考えてもいいですか」
「どうぞ」
「……考えるって言ってから、どうすればいいんですか」
「次にここに来た時に教えてもらえれば。もしくは物流ギルドのラーゴス拠点に連絡してもらえれば繋がります」
「……物流ギルド、ラーゴス拠点」
「フォルカという担当者に、財務長官からの紹介、と言えば分かります」
デーンがゴルを見た。ゴルは静かに座っていた。
「……この人は?」
「私の部下です」
「……財務長官の部下か」
「そうです」
「……魔王軍って、こういう人が財務やってるのか」
「主にこういう人がやっています」
レイが笑った。緊張が少し解れた音だった。
「……分かった。考えます。連絡先は物流ギルドのラーゴス拠点、フォルカさん」
「そうです」
二人が席を立った。外套を着て、礼をして出ていった。酒場の扉が閉まった後、ゴルが小声で言った。
「……うまくいきましたか」
「『考える』と言ってくれれば十分です。来るかどうかは向こうが決めます」
「……長官は、来ると思いますか」
「来ると思います。二ヶ月給与が出ていない人間には、別の選択肢がある、というだけで頭の中が変わります」
カイトは残りの酒を飲んだ。外は暗くなっていた。砦に戻るには今日中に動いた方がいい。
「ゴル、帰りましょう」
「……はい。あの二人、顔を覚えておきますか」
「名前は聞きませんでしたが、フォルカ経由で来れば分かります。今は待ちます」
「……長官、今日のやり取りは……よかったと思います」
「何がよかったのですか」
「……怖がらせないで話してくれた。ゴルが見ていて、あの騎士の人たちが最初は緊張していたけど、最後は少し笑っていた。それがよかったと思います」
「笑わせようとしたわけではないですが」
「……でも笑いました。嘘だろ、って言いながら。あれは悪い印象じゃなかったと思います」
「そうですか」
「……ゴルは、あの二人が来ると思います」
「来ればいいですが、来なくても計画は進みます。今日の目的は接触です。接触できました」
ゴルが頷いた。カイトは外套を整えた。
村を出て、国境方向へ歩き始めた。空に星が出始めていた。砦まで今夜中に戻るのは難しい。途中の宿を使う。カイトはそれも計画書に書いていた。計画書通りだ。
ゴルが横を歩きながら小声で言った。
「……長官、残業禁止って、本当に就業規則に書きましたか」
「書きました」
「……ガルガン統括長には知らせていましたか」
「就業規則を制定した時に全員に配りました」
「……ガルガン統括長は、読んでいるんでしょうか」
「読んでいなくてもルール自体は機能しています」
「……なるほど」
しばらく二人で歩いた。空気が冷たかった。足元の石畳が月光に光っていた。次の宿まであと少しある。ゴルの息が白くなっていた。カイトも同じだった。それでも歩くしかない。計画通りの夜だった。




