第52話 通貨の実証実験
シルヴィアからプロトタイプが届いたのは、設計書を渡してから三週間後だった。
約束より一週間早かった。「予定より手間がかかった、が、仕様は全て満たした」という一文が、木箱の蓋の裏に貼りついていた。シルヴィアらしい報告の仕方だ。カイトは一読してから、製造記録書を確認した。一枚あたりの封印処理時間、使用した魔力量、品質検査の結果。全部数字で書いてあった。
小さな木箱に入っていた。中を開けると、銀色がかった薄い円盤が百枚、並んでいた。一枚取り上げた。手の中で少し重みがある。表面に魔石の紋様が刻まれていた。裏面には「1マナ」という文字と、封印の紋章。
「……これが、でありますか」
ゴルが横からのぞき込んだ。
「そうです。これを今日ラーゴスで試します」
「……偽造できないとシルヴィアさんは言っていましたが、本当ですか」
「試してもらいます。商人は偽造かどうかを必ず疑う。疑われた時に、解析しても複製できないと分かれば、信用の根拠になります」
「……商人が試してくれますか」
「試さずに信用する商人はいません。それが正常な反応です」
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ラーゴスへはフォルカの物流ギルドの馬車で移動した。フォルカが事前に商人数名に「新しい取引の話がある」と連絡を入れていた。カイトとゴルが到着した時、物流ギルドの一室に五名の商人が待っていた。
全員がベルドの仲間だった。ラーゴスで長く商売をしている。アルベリア金貨と魔王領の交易を両方経験している面々だ。カイトにとってはラーゴス交渉の頃から顔を知っている人たちだ。ベルドが「信頼できる」と言った商人を選んできた。選び方が的確だ、とカイトは思った。ベルドは商人として生き残るために、信頼できる人脈を積み上げてきた。今日の席はその積み上げの上にある。
「みなさん、今日お時間をいただいてありがとうございます。マナ貨の試験交換について説明します」
カイトが木箱を開けた。全員が少し前に身を乗り出した。
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ベルドが一枚取り上げた。両手で持って光にかざした。
「……これは本物か」
「本物です。封印の解析は不可能です」
「……封印とは何だ。どこに何が入っている」
「魔石の純度証明と、発行元の識別符号が封印されています。これを複製しようとすると、封印が崩壊して素材だけの価値になります」
「……試してもいいか」
「どうぞ」
ベルドが別の商人を見た。「魔導士を呼んでこい」という目だった。一人が出ていき、しばらくして魔導師らしき若者を連れてきた。「封印を解析してみてくれ」とベルドが言った。若者が慎重に手を触れた。数分後、首を振った。
「……解析できません。中が読めない」
「読もうとすると」
「……崩壊します。おそらく、崩壊前に自己報告の術式が走る構造です。誰が触ったかが記録されます」
商人たちが互いを見た。
ベルドが一枚を手の中で転がして、カイトを見た。
「……聖王国金貨と交換できるか」
「1.3倍で交換します。今は試験的に50枚まで」
「……50枚分だと、アルベリア金貨で約38枚相当か」
「正確です」
ベルドがしばらく黙った。商人の計算の顔をしていた。
「……わかった。50枚交換する」
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ベルドが硬貨を財布に入れた。それを見ていた別の商人が手を挙げた。
「私にも説明してもらえるか」
「どうぞ」
「……先ほどの話だと、発行量に上限があると言っていたが、それはいつ変わるのか。鉱山の採掘量次第という説明だったが、その採掘量は誰が確認するのか」
「魔王軍財務部が確認し、月次で記録を出します。今後、取引が広がれば第三者確認の仕組みも作ります」
「……自分で確認するのか」
「現時点ではそうです。ただし記録は公開します。誤魔化せば信用が崩れる。それが最大の抑止になります」
商人が黙って少し考えた。
「上限は採掘量に連動します。採掘量が増えれば発行量の上限も増えます。採掘量が落ちれば発行量の上限も落ちます。その連動の記録を定期的に公開します」
「……公開、というのは誰でも見られるということか」
「そのつもりです。取引拠点であるラーゴスと、砦のどちらでも確認できる状態にします」
「……そうか。それは誠実な設計だな」
商人が少し笑った。
「……聖王国の金貨は、どのくらい発行しているか教えてもらったことがない。これは正直違う」
「透明性が信用を作ります」
商人が頷いた。
他の四名も順番に交換を希望した。カイトは上限を一人あたり10枚に設定した。計算が簡単になる。今日の試験交換は計90枚。残りの10枚は手元に保管する。
「この通貨は、どこで使えるのか」
一人の商人が聞いた。ラーゴスの布商人だ。
「今の段階では魔王領内での取引と、物流ギルド経由の取引に使えます。ラーゴスでの公式な窓口は、正式流通開始後に設置します」
「……正式流通はいつ頃か」
「計画では数ヶ月以内です。ただし、この試験交換の結果を見てから最終的な判断をします」
「……聖王国の金貨は最近、受け取り拒否が少しずつ増えていると聞くが」
「把握しています」
「……その流れが続けば、代わりになる通貨が必要になる。これがその候補か」
「そのつもりです」
商人が頷いた。「試してみる」という顔だった。
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交換が終わった後、カイトはゴルと物流ギルドの外に出た。
「……長官、思ったより早く終わりましたね」
「商人は判断が速い。時間をかけても結論は変わらないと分かれば、早く決める」
「……賢いですね」
「商売で生きているからです」
「……長官、うまくいきましたか」
「今日の結果だけでは何とも言えません。ただ、偽造できないという点は信頼を得ました。使われるかどうかは、これから数週間で決まります」
「……ベルドさんが交換してくれましたね」
「ベルドは賢い商人です。試してみる価値があると判断した。それが正常な反応です」
「……マナ貨が広まれば、魔王軍が経済的に強くなりますか」
「通貨が広まると、魔王領内の取引が増えます。取引が増えると税収が増えます。税収が増えると財務の余裕が生まれます。それが軍事費や開発費に回せます」
「……つまり強くなる、ということですね」
「そういうことです」
ゴルが少し考えてから「ゴルにも分かりました」と言った。
「……ゴル、今日来た商人の反応をまとめてください。名前、交換枚数、質問の内容、反応の温度。二週間後に確認する基準にします」
「わかりました。馬車の中でまとめます」
「よろしくお願いします」
ゴルが紙を出してメモを始めた。カイトは同じく記録書を出した。
帰りの馬車の中で、カイトは記録書に書き込んだ。試験交換90枚完了。反応:良好。偽造解析への対応も確認済み。次のステップ:評判の観測(二週間後に再確認)。
ラーゴスから砦へ向かう道の窓から、街の外れに夕日が落ちていくのが見えた。
今日だけでは分からない。二週間後に、商人たちがマナ貨をどう扱っているかを確認する。誰かに渡したか、手元に置いているか、使ってみたか。それが評判の種を蒔けたかどうかの指標になる。
前の世界で通貨政策の評価に使われていた指標は複雑だった。ただ今ここに必要なのはもっと単純な指標だ。「また使いたいか」「人に勧めたか」。それだけで十分だ。
「……長官、今日は疲れましたか」
「いいえ」
「……ゴルは少し緊張しました」
「商人の前では普通の態度でよいです」
「……分かっていましたが、緊張しました」
「慣れます」
「……そうだといいです」
馬車が揺れた。ゴルがメモの続きを書いていた。カイトも記録書に数字を書き足した。今日の試験交換の収支計算と、次の確認スケジュール。作業が終わると、窓の外がすっかり暗くなっていた。




