第50話 聖王国通貨の解剖
翌朝、カイトは机の上に一枚のアルベリア金貨を置いた。
聖王国の通貨だ。ラーゴスの交易で流通しているものを一枚手に入れていた。表面には聖王国の紋章が刻まれている。裏面には聖王国初代王の横顔。金の純度は高い。外見上、精度の高い通貨だ。
「資産鑑定」
カイトが念じた瞬間、視界の端に情報が浮かんだ。
これまでこのスキルを使うのは不動産や設備、帳簿上の資産に対してだった。通貨そのものに使うのは初めてだ。試してみた。結果が出た。
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【資産鑑定】
対象:アルベリア金貨(聖王国流通通貨)
素材価値:金の含有量相当——現在の金属市場価格に準ずる
付加価値:聖王国による通用保証
信用根拠:聖王国の軍事力および税収
偽造リスク:中程度(一定水準の設備があれば模造可能)
流通範囲:聖王国支配域・周辺交易圏
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カイトは一点に目を止めた。
「信用根拠:聖王国の軍事力および税収」
想定通りだった。だが、改めて数字として出てくると、重みが違う。
この通貨の価値を支えているのは、金そのものではない。軍事力だ。「聖王国がこの金貨を使え、と言えば使わざるを得ない」という強制力がベースになっている。それが税収と一体化している。
つまり、軍事力が落ちれば税収が落ちる。税収が落ちれば保証能力が落ちる。保証能力が落ちれば通貨の信用が落ちる。
連鎖だ。
そしてその連鎖は今、エドワードの政策によって、すでに動き始めている。
前の世界での経験が役に立つとすれば、こういう時だ。通貨の信用というものは、目に見えない。数字として表れるのはいつも遅い。しかし構造として見れば、崩れ始めの兆候は必ずある。取引量の減少、物価の上昇、人々が通貨を抱え込む動き。それらは連動している。
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カイトは手元のノートに数字を並べた。
三割増税が決まった時点からの、聖王国の税収変化を試算した。増税前の税収を基準値100とすると、増税直後は一時的に上がる。しかし禁止令によって交易が詰まれば、課税対象の取引量が減る。騎士への給与遅配が続けば、軍事力の実質が落ちる。軍事力が落ちれば、「聖王国の強制力」の根拠が弱まる。弱まった根拠の上にある通貨は、信用が揺らぎ始める。
ここまでは外から見えている構造だ。
次が重要だった。
「ゴル」
「はい」
「一点確認します。魔王領北部山岳の鉱脈について、聖王国は規模を把握していますか」
「……把握していない、とルシフェラ様の情報網が確認しています。聖王国は鉱脈を古い地図で認識しており、実際の埋蔵規模より大幅に小さく見積もっている模様です」
「数字はどのくらい違いますか」
「……詳細な比較は出ていませんが、当方の鉱山月次収益データを見ると、聖王国が想定しているより少なくとも五倍以上の規模と思われます」
「五倍」
「……はい。鉱山技師の試算ではさらに上振れの余地があると」
「わかりました。ありがとうございます」
「……何が、でありますか」
「情報です。持っているかどうかで、使える手が変わります」
カイトは手を止めた。
五倍以上。
聖王国が把握していない優位がある。鉱脈の実際の規模が、彼らの想定の五倍以上だとすれば、魔王領が独自通貨を発行する場合の「裏付け」として使える規模は、聖王国が想定しているよりはるかに大きい。
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カイトは計算書に新しいページを開いた。
マナ貨の裏付けとして使える資産を試算する。採掘量の月次データが必要だ。
「ゴル、鉱山収益の月次データを出してください。直近12ヶ月分」
「了解しました。財務部の記録から引きます」
「急ぎません。今日中に出れば十分です」
「はい」
ゴルが動き始めた。
カイトはアルベリア金貨をもう一度手に取った。持ち重りがする。金そのものの重さだ。しかしこの重さは、それを支える軍事力があってはじめて「価値」になる。軍事力が失われれば、残るのは金属の重さだけだ。
それが、この通貨の本質だ。
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しばらくして、ゴルが書類を持ってきた。鉱山収益の月次データだ。数字が並んでいた。
カイトは数字を見た。12ヶ月分の採掘量と、それを金額換算した数字。季節による変動はあるが、月平均を出すと一定の水準が見えた。
計算した。
12ヶ月の平均採掘量を裏付けとして、マナ貨を発行した場合の総発行可能量。聖王国の流通通貨量の概算と比較する。
数字が出た。
「発行可能量は、現在の聖王国流通金貨の推定量の1.4倍に相当する」
カイトは書き留めた。
この数字の意味は、発行量が多ければいいという話ではない。裏付けとなる資産が、相手の通貨を上回る規模で存在するということだ。マナ貨一枚の後ろに、物理的な鉱石が対応している。アルベリア金貨一枚の後ろに何が対応しているか。軍事力だ。その軍事力は今、給与遅配で揺れている。
比べれば、どちらの通貨の方が安定しているかは明確だ。
これで裏付けは揃う。マナ貨を発行する場合、「聖王国の軍事力」という不安定な根拠ではなく、「魔王領の鉱脈と採掘量」という物理的な根拠を使える。物理的根拠は、政権が変わっても崩れない。エドワードが次の失策を打っても揺れない。
通貨の信用を設計するとはそういうことだ。
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「ゴル、確認します」
「はい」
「聖王国の通貨の信用は軍事力に依存している。軍事力は今、騎士への給与遅配で実質的に落ちている。そこに追加で三割増税が貿易量を減らし、税収のベースを削っている。この連鎖が続けば、アルベリア金貨の信用は半年から一年の間に市場から疑問視され始める。そう試算しています」
「……半年で、でありますか」
「最速の場合です。エドワードが対策を打てば遅くなります。ただし、今の政策傾向を見る限り、適切な対策を打つ可能性は低い」
「……長官は、エドワード様のことを悪い人だとは思っていませんか」
「思っていません。ただし、財務的に無能です。そして自分が無能であることに気づいていない。それが最も困る状態です」
「……そうでございますか」
「有能な人が間違えた場合は指摘すれば直ります。無能な人が正しいと信じている場合は、構造ごと崩れるまで止まりません」
ゴルが少し考えた。
「……長官は、構造が崩れるのを待っているのですか」
「そうではありません。崩れる前に代替を用意しておく。崩れた時に、受け皿があれば人は移ります」
「……なるほど。マナ貨が、その受け皿になる」
「そのためのマナ貨です」
ゴルが頷いた。
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夕方、カイトは計算書の整理を終えた。
机の上にノートが一冊。「マナ貨設計前提条件」のタイトルの下に、今日一日で得た数字が並んでいた。
・アルベリア金貨の信用根拠:聖王国の軍事力(資産鑑定で確認)
・信用根拠の崩壊予測:六ヶ月〜一年(現状の政策が続く場合)
・マナ貨の裏付け候補:魔王領鉱脈の採掘量
・発行可能量:聖王国流通量の1.4倍相当
・聖王国の誤認:鉱脈規模を実際の五分の一と誤認
次のステップは設計だ。マナ貨をどういう形にするか。裏付けをどう保証するか。偽造をどう防ぐか。流通をどう始めるか。
一つずつ問題を定義して、一つずつ解く。それしかない。
カイトはノートを閉じた。アルベリア金貨を机の端に置いた。手放す気にはなれなかったので、端に置くだけにした。
この金貨は参照用だ。設計の基準にする。敵の通貨を手元に置いて、比較しながら設計を進める。それが今の仕事の進め方だ。
蝋燭が静かに燃えていた。今夜はここまでだ。




