第47話 ルシフェラの激怒
翌朝、ルシフェラが四天王を含む定例報告の場を設けていた。
謁見室に全員が集まった。四天王、ゴル、リナリア。通常の定例報告だ。各部門の月次状況を報告する場だ。
カイトは定例報告の内容を事前に整理していた。財務の数字は問題ない。通貨研究は一時中断中。今月の主要な出来事は昨夜の件だ。これをどう報告するか。事務的に報告することにした。感情的に報告しても情報量が変わらない。事実を整理して出す。
ゴルが少し心配そうな顔で横に立っていた。カイトは気づいたが、今は報告の準備の方が優先だ。
カイトが最初に立った。
「財務報告の前に、昨夜の件を報告します」
全員が少し変わった。空気が変わった。定例報告の冒頭に「昨夜の件」という言葉が来ることは通常ない。カイトは事務的な口調で続けた。
「昨夜、砦に侵入者がありました。影刃という聖王国の工作機関の実行犯二名です。ガルガン統括長が一名を捕縛しました。もう一名は逃走。捕縛した実行犯の尋問から、依頼者がマルバス枢機卿であることが確認されています。私への直接的な暗殺の試みであることが、尋問で確認されています。私は無事です。怪我はありません。以上が昨夜の件の報告です」
謁見室が静かだった。
「続いて財務の月次報告に移ります」
ルシフェラが立ち上がった。
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謁見室が静かになった。
ガルガンが腕を組んだ。ヴェイルが少し前に出た。シルヴィアが書類から顔を上げた。フォルカが正面を向いた。
ルシフェラが口を開いた。
「……逃げたのか」
「はい。対人戦闘はコスト効率が悪い。回避が最適でした」
ルシフェラが立ち上がった。
「なぜお主は危機感がないのだ!」
声が謁見室に響いた。ルシフェラが声を荒げることは珍しい。その珍しいことが今、起きた。
「危機感はあります。ただしパニックはコスト増です」
「それが問題だと言っている! 財務長官が暗殺されかけた翌朝に、なぜそんなに平然としているのだ!」
「事務的に報告する方が聞きやすいと判断しました」
「聞きやすさの問題ではない!」
ルシフェラがカイトを見た。ゴルが少し目を伏せた。四天王は全員、表情を動かさなかった。
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なぜそれほど腹が立つのか、ルシフェラ自身も説明できなかった。
カイトが無事だった。怪我もなかった。逃げ切った。捕縛まで完了している。結果として問題はない。にもかかわらず、カイトが昨夜の出来事を「コスト効率」と「回避」という言葉で説明した瞬間、腹が立った。
理由が分からなかった。怒りの感情がなぜここで出るのか。「我の財務長官が危険に晒された」という事実への怒りか。それとも別の何かか。
本人は否定しかけて、止めた。理由は不明のままにしておく。
カイトを見た。カイトは変わらない顔をしていた。事務的な報告をしている時と、全く同じ表情だ。逃げ回っていた翌朝に、この表情で立っている。腹が立つ、ということとは別に、どこかで少し、安堵している感情もあった。無事だった、ということへの安堵だ。
その安堵が腹立たしさと混じっているから、余計に怒りが出ている。本人は認識していなかった。
「……次も来たら」
「来るかもしれません。対策は進めています」
「我に報告しろ。次が来たら、即座に報告しろ」
「はい」
「その前に死ぬな」
「努力します」
「努力で済む話ではない! 計画を立てろ! 努力ではなく計画だ!」
「……承知しました。計画を立てます」
「なぜ今の返答の方が落ち着いているのだ」
「計画は立てられますが、努力は定量化が難しいためです」
ルシフェラが一瞬止まった。それから「……黙れ」と言った。声のトーンが少し変わっていた。怒りではない、別の何かが混じっていた。
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四天王が動いた。
ガルガンが口を開いた。
「……次も呼べ。俺が行く」
「ありがとうございます」
「礼は言うな。ただ、次は入ってきた瞬間に教えろ。俺の部屋にも来い」
「覚えておきます」
「……覚えておく、じゃなくて、来い。命令で来い」
「……わかりました。来ます」
ヴェイルが続いた。
「封鎖が間に合わなかった経路は今日中に塞ぐ。自分の管理不足だ」
「よろしくお願いします。コストが出たら教えてください」
「費用は出す。管理は俺の責任だ。記録に残せ」
「残します」
フォルカが言った。
「物流ルートに迂回を組み込めば、砦への侵入難度が上がる。物理的に遠回りにする設計を検討している。ただし物流コストも上がる。そのトレードオフを計算中だ」
「頼む。コスト計算して出してくれ。セキュリティと物流コストのバランスで判断する」
「計算書は明後日に出す」
「助かります」
シルヴィアが書類を見ながら言った。
「……魔導の結界を砦の外周に張る案があるが、維持コストが問題だ。費用対効果を出した後で提案できる。ただ一つ言っておく。わしの魔導を使う以上、コストは正確に出す。おおよその数字は出さん」
「出してください。数字が合えば採用します」
「……ああ、そうだ。それがわかっているから言っている」
ルシフェラが四天王を見た。全員が自発的に対策を言い出した。命令していない。それぞれが自分で判断して動こうとしていた。この状態が初めの頃とは別物だ、とルシフェラは思った。その変化の原因が何かは、はっきりとは言わなかった。
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報告が終わった後、謁見室が少し緩んだ。
全員が退出し始めた。ガルガンが出る前にカイトを一度見た。「次は呼べよ」という目だった。何も言わずに出た。ヴェイルは書類を持って出た。フォルカは一礼して出た。シルヴィアは「費用対効果の計算書を楽しみにしておれ」と言って出た。
ゴルが小声でカイトに言った。
「……長官、ルシフェラ様がとても怒っていましたが」
「そうですね」
「……あれは、長官のことを心配していらっしゃったのでは」
「かもしれません」
「……本人はそうは言いませんでしたが」
「言わないですね」
「……言わなくていいのですか」
「聞くと怒られます」
ゴルが少し考えてから頷いた。
「……なるほどでございます。でも、長官は怒られてもあまり困っていないように見えます」
「怒られることはコスト的にそれほど高くないです」
「……人に怒られることは、ゴルはかなり困ります」
「ゴルの場合は、相手に嫌われることを気にしているからだと思います」
「……長官は嫌われることを気にしないのですか」
「採算が合っていれば問題ありません。ルシフェラ様が怒った理由が心配からだとすれば、関係として採算は合っています」
「……なるほど。カイト様の人間関係の計算式は難しいです」
「ゴルにとっては普通の計算のはずですが」
「……普通ではないと思います」
謁見室を出た後、カイトは廊下を歩いた。ルシフェラが怒った理由を、カイトはいくつか考えたが、最終的には確かめる必要はないと判断した。行動が変わるわけではない。計画を立てて対処する。それだけだ。
ただ、ルシフェラが「その前に死ぬな」と言った時の声の温度が、少し気になった。事務的な言葉ではなかった。命令として言っていたが、命令だけではない何かが混じっていた。
その「何か」を言語化できないまま、カイトは執務室に戻った。通貨研究の計算書を開いた。今日からまた通常業務に戻る。それが最善だ。




