第46話 刺客と会計士
ヴェイルが封鎖作業を進めている間に、封鎖が完了していない別の経路から侵入があった。
南側の経路は前日に封鎖済みだった。東側の封鎖は翌朝完了予定だった。その夜、東側の封鎖が完了する前に、影刃の実行犯が砦に入った。
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夜だった。カイトは執務室で書類の整理をしていた。
警戒中だったので、一人でいる時間を減らすようにしていた。ただ、書類を整理する作業はどうしても一人でやりたかった。機密書類の扱いは慎重にしたい。通常より一時間早く切り上げる予定だった。
作業が終わって、廊下に出た。執務室から宿泊室までの廊下は長い。砦の構造上、迂回路を取ると倍の時間がかかる。いつもは直進していた。今日は迂回しようかと少し考えたが、迂回路は人がもっと少ない。直進した方が人と遭遇できる可能性が高い、と判断して直進した。
廊下に出た瞬間に、何かを感じた。
音ではない。気配というのが正しいかもしれない。廊下の角の影が少し濃い気がした。光源の位置からすると、その影の濃さは不自然だった。動いていない。ただ、そこに何かがいる気がした。
カイトの判断は早かった。
対人戦闘はコストに見合わない。逃げる方が圧倒的に安い。
踵を返して走り出した。
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砦の中を全力で走った。
暗殺者が後ろから来るのは聞こえた。走る音がした。静かに動く訓練をされているはずだが、追跡のために速度を上げれば音が出る。音が出ているということは、こちらも速度を上げているということだ。
カイトは砦の構造を把握していた。着任してから数ヶ月で、砦の主要な廊下と部屋の位置は記憶している。財務長官の仕事として、どこに何があるかを知ることは必要だったからだ。予算管理で各部屋を訪問した記録が頭に入っている。その知識が今、役に立った。
右に曲がった。廊下が長い。直進すれば追いつかれる。追いつかれる前に角を曲がる必要がある。次の角まで三十メートル。足音が近づいている。
角を曲がった。階段があった。下った。一段飛ばしで下りた。下りながら次を考えた。一階は倉庫が多い。倉庫は鍵がかかっている。鍵を持っていない。通路として使えない部屋には入れない。
倉庫エリアを抜けた。また廊下に出た。曲がった。また曲がった。
廊下を走りながら、次の角の先に誰がいるかを考えた。今の時間、兵士の当番は北側に集中している。この南西の廊下は人が少ない。人のいない場所に向かって走っているということは、方向を間違えている。
曲がる。また曲がる。廊下が複雑に入り組んでいる砦の構造が、逃げる側にとって有利だった。追う側は、どこに何があるかを知らない。こちらは知っている。
一つの部屋の扉が開いていた。明かりが漏れていた。
蹴破るように飛び込んだ。
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部屋の中に人がいた。
ガルガンだった。一人で腕立て伏せをしていた。部屋の中に蝋燭が一本。腕立て伏せをしている姿が影になって床に伸びていた。
カイトが飛び込んできたことで、ガルガンが動きを止めた。ゆっくり起き上がった。カイトが急に飛び込んできたことに対して、驚いた顔はしなかった。したが、すぐに消えた。
「……なぜそんなに息を切らしている」
「刺客が来た。今、廊下の東側にいる」
ガルガンが二秒間、何も言わなかった。
立ち上がった。廊下に出た。
「……捕縛だけだ。殺すな。情報がいる」
カイトがそう言った時、ガルガンはすでに廊下に出ていた。
「……わかった」
ガルガンが廊下を歩いていった。静かな足音だった。走らなかった。大きな体が、廊下の向こうに向かっていく。
三分後、短い声が聞こえた。それから静かになった。
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ガルガンが戻ってきた。後ろに人を引きずっていた。手を縛った男だ。黒い服を着ていた。顔を覆っていた布がずれていた。
「……一人だった。もう一人いたが逃げた」
「二人いたか」
「……そうだ。一人は捕えた。もう一人は東の壁から外に出た。追いかけるか」
「砦の外まで追うのはリスクがある。やめてください。捕えた一人を尋問します」
ガルガンが頷いた。男を床に座らせた。
「……話す気になったか」
男は黙っていた。ガルガンが少し目を細めた。ガルガンの体格は大きい。椅子に座っている男を見下ろしている状態で、ガルガンは特に何も言わなかった。ただそこに立っていた。
「……俺は優しくない。ただし長官が言った通り、殺しはしない。話す方が楽だ。何も話さない場合、俺がどうするかは本人が想像すればいい」
男がしばらく黙った後、口を開いた。
マルバスの依頼だという話が出た。仲介者二名の名前は出てこなかった。「聖王国の上の方の人間」という説明だけだった。カイトはそれで十分だと判断した。仲介者の名前が出なくても、依頼者がマルバスで、影刃が使われたという事実が確認できれば、証拠として機能する。
男はそれ以上話さなかった。ガルガンが男を見た。男は目を逸らした。
カイトは話の内容をメモした。後で書類に起こす。これが証拠書類の一部になる。マルバスへの直接証拠には届かないが、間接証拠として重ねることができる。証拠というのは、一度に全部出す必要はない。積み上げてから一度で出す。タイミングは別に考える。
今は記録だ。
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ガルガンが男を見た。
「……こいつはどうする」
「拘束して保管してください。ルシフェラ様への報告の後で判断します」
「……わかった」
ガルガンが男を引き立てて部屋を出た。
カイトは部屋に一人残った。息を整えた。心拍が少し速かった。走った分だ。怖かったかどうかを考えたが、今はその問いに答える気力がなかった。
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翌朝、執務室でゴルが来た。
「……長官、お体は大丈夫でありますか」
「大丈夫です。怪我はなかった」
「……よかったです。夜中に何かがあった気配がしたので、朝一番でお部屋に確認に来ようとしたのですが」
「ゴルが来なくて良かった。巻き込まれる可能性があった」
「……そうでありますか」
「捕えた実行犯からの情報を整理します。依頼者はマルバス。仲介者が二名経由しているため直接証拠には至らないが、依頼の構造は確認できました。書類として記録します。翌朝、ルシフェラ様に報告します」
「……了解でございます」
「ガルガンに礼を言っておいてください。今夜が彼の部屋に飛び込んで良かった」
「……ガルガン将軍が助けに来られたのは、偶然ということでありますか」
「正確には、逃げ回っているうちに、たまたま開いていた部屋に飛び込んだら、そこにガルガンがいた、ということです」
「……それは確かに運が良かったですね」
「はい。ただ、運だけに頼るのは計画として弱い。今後の対処を考えます」
「……長官、少しだけ怖かった、ということはありませんでしたか」
「怖くなかったとは言いません」
「……そうですよね」
「ただ怖さを処理する前に動く方が効率的だったので、動きました。今は記録を取ることに集中します」
ゴルがしばらく考えてから頷いた。書類を机に置いた。
「……ところで、ガルガン将軍がいなかったらどうしていたのでありますか」
「別の選択をしていた」
「……どんな選択でありますか」
「外に出ることを考えていた。砦の外は走りやすい。暗殺者が砦の構造に慣れていないなら、外に出た方が距離を作りやすい」
「……それはかなり大変な逃げ方だと思います」
「ガルガンがいてよかったです」
「……同意でございます」
ゴルが少し安堵した様子で出ていった。




