第44話 マルバスの計画書
マルバスの私邸は聖王国の首都外れにあった。
王城から距離を置いた場所に建てられた屋敷で、外から見れば控えめな造りだ。ただし内部に入れば、どこかの豪商の屋敷より洗練されていた。廊下に並ぶ燭台、床の石造りの模様、書斎の棚に整然と並ぶ書類の束。全部が意図をもって配置されていた。
マルバスが書斎に座った。王城からの帰りだった。
エドワードが「進めろ」と言った。時間がかかるかと思っていたが、予想より早かった。焦りが決断を早めた、ということだ。エドワードは今、選択肢が見えなくなっている。そういう状態の人間は、示された選択肢に乗りやすい。マルバスはそれを知っていた。だから最初に「提案」という形で話を持ってきた。命令ではなく提案。エドワードが自分で決めたという形を作ることが重要だ。後で問題になった時に、決断した責任をエドワードが持てるように。
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書斎の壁一面の棚に、書類が並んでいた。
財産目録。取引記録。各地の商人との契約書。それぞれが正確に分類され、取り出しやすい位置に置かれている。マルバスは書類の整理を自分でする。他人に任せると、見てほしくないものを見られる可能性があるからだ。
その中にいくつか、人には見せられない書類があった。横領の証拠書類だ。自分の横領ではない。過去に処理した相手の横領証拠を回収して保管している。使う時に出せばいい。その相手が再び何かを言ってきた時に、黙らせるための書類だ。
棚の奥に、さらに別の書類がある。計画が露見した場合の保険書類だ。マルバスは常に保険を用意する。どんな計画にも失敗の可能性はある。失敗した時のために、複数の出口を準備しておく。それが長年の習慣だった。いくつかの計画では、保険が機能したおかげで事なきを得た。保険書類を用意しない計画は立てない、というのがマルバスの流儀だ。
今回の計画について、保険書類をもう一冊用意した。棚の奥に入れた。鍵をかけた。これで準備は整った。
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マルバスは書斎の椅子に座り直した。蝋燭が一本、机の上で燃えている。
カイトという名の財務長官について、集められる情報は集めた。聖王国側の情報網は教会系統が中心になる。教会は各地に拠点があり、信者からの情報が集まってくる。テルファ村付近の修道院からも、魔物の略奪が止まったという報告が上がってきていた。ラーゴスの修道院からは、魔王軍製品の流通状況の報告が来ていた。
それらを統合すると、一人の人間が一貫した方向性で動かしていることが見えてくる。略奪を止め、物流を整え、製造ラインを作り、聖女を引き抜いた。それぞれの施策に共通しているのは、全部が数字として結果が出ることだ。感情ではなく、採算で動いている。
採算で動く人間は止めにくい。感情的な理由で動く人間なら、感情に訴えれば止められる。しかし採算で動く人間は、採算が変わらない限り動き続ける。
だから物理的に排除する。それが最も確実な方法だ。
棚の奥に入れた保険書類をもう一度確認した。鍵が閉まっていることを手で確かめた。
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計画の内容を整理した。
影刃への依頼内容は決まっている。ターゲットは北方砦の財務長官、カイト。依頼は「事故に見せかけた排除」だ。痕跡は残さない。依頼の経路は三段階経由させる。影刃への直接の接触は仲介者を通す。仲介者への連絡は書類ではなく口頭のみ。書類に名前が出ることはない。
影刃の実績は把握している。過去に使ったのは三回。全て成功している。失敗した場合の想定も整理した。失敗した実行犯が捕縛された場合、仲介者まで辿れても、そこで止まる設計にしてある。
マルバスは書類を書きながら、内心で計算した。
あの男が手をつけたら終わりだ。
それが焦りの根拠だった。聖王国の財政構造の内部を理解できる者が魔王軍にいる。今は魔王軍の財務を立て直しているが、次は聖王国の財政に手を出してくる。数字で動かすということは、こちらの動きが数字で読まれるということでもある。それが許容できない。
マルバスは財政に関係する収入源を複数持っていた。公式のものと非公式のものがある。公式のものは教会への寄付と枢機卿としての手当だ。非公式のものは、長年かけて作ってきたものだ。聖王国の税収の一部が、複数の経路を経てマルバスの手元に流れてくる仕組みになっている。帳簿を見ても、正確な数字は出てこない。帳簿自体をマルバスが作ったからだ。
あの男ならその仕組みを解析できる可能性がある。解析されれば終わりだ。だから先に動く。
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計画書を書き終えた後、マルバスは独り言を言った。
「戦争とは、続けることに意味があるのです。終わらせてはならない」
誰もいない書斎で、蝋燭の光の中で言った。
マルバスにとって、聖王国と魔王領の対立は続けるべき状態だった。対立が続く限り、軍事費が必要になる。軍事費が必要な限り、マルバスが動かしている調達の仕組みが必要になる。調達の仕組みとは、簡単に言えば、軍の装備調達において中間で抜く構造だ。誰も正確な数字を把握していないからこそ機能している。数字で管理される体制になれば、この仕組みは即座に露見する。
あの男が続けることを目指しているものは、マルバスが続けることを必要としているものと反対方向を向いていた。だから消す。単純な話だ。平和になれば収入が止まる。勝っても収入が止まる。だから戦争は続かなければならない。続ける限り、自分は安全だ。
翌朝、影刃への依頼を仲介者に伝えた。仲介者は頷いた。金額の確認をした。支払い方法の確認をした。それだけだった。仲介者は余計な質問をしない。それがマルバスが選んだ仲介者だということだ。
影刃が動くまでに、通常は一週間かかる。まず偵察が入る。対象の行動パターンを確認する。それから実行に移る。一週間から十日という見積もりで進むはずだ。
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依頼を出した後、マルバスは書斎に戻って計算書を広げた。
今後の財産運用の試算だ。聖王国の財政悪化が続けば、自分の非公式の収入源も影響を受ける可能性がある。今のうちに一部を別の形で運用しておく必要がある。
ラーゴスの商人との取引が一つの選択肢だ。マルバスは自分の資産を計算した。金貨の保有量、土地の評価額、商人との債権関係。全部を足した数字を出した。それからリスクの見積もりを出した。
聖王国の財政が悪化した場合、手元の金貨の実質的な価値が落ちる可能性がある。それに備えて、一部を物的資産に変換しておく。土地や建物は価格変動があるが、通貨の暴落には比較的強い。
マルバスはそういう計算が得意だった。長年やってきたことだ。今の聖王国の財政状況を数字で見れば、悪化の傾向は明らかだ。エドワードが禁止令を出し、増税を出し、騎士団の給与を遅配させている。これが続けば、財政の基盤が揺らぐ。揺らいだ時に手元に何を持っていれば安全かを、今から考えておく必要があった。
エドワードを支える気持ちはない。ただ、エドワードが続いている限り、現在の仕組みが続く。仕組みが続く限り、収入が来る。だからエドワードの延命が今の最善策だ。財務長官を消すのも、エドワードの延命のためだ。感情的な理由ではない。計算の結果だ。
マルバスは計算書を丸めて棚に入れた。
今夜は早く休む。明日以降、動きが出るのを待つ。




