第41話 崩れる構造
第2期計画書の提出から数週間が経った。
カイトは執務室で通貨研究の予備調査を始めていた。羊皮紙に数字を書いていく。聖王国の通貨・アルベリア金貨の流通量の推計、軍事費と税収の比率、教会への財政支援額の概算。全部ラーゴス経由の情報から拾い集めた数字だが、大きな方向性は読めた。
そこにゴルが書類を持って入ってきた。
「……長官、ラーゴスからの情報です」
「出してください」
ゴルが羊皮紙を机に置いた。カイトは手を止めて読んだ。
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書類には複数の変化が記録されていた。ゴルは情報を整理した上で持ってくる。この習慣は着任当初から続いている。最初の頃は整理の仕方が荒かったが、今は項目立てをして、変化の内容を簡潔にまとめてくれる。読む手間が減った分、考える時間が増えた。
一つ目。聖王国から出されていた魔物商品の禁止令に対して、ラーゴスの商人が従わなかった。根拠がないとして公式に無視した商人組合の声明が出ていた。
二つ目。聖王国が三割の増税を正式発令した。王城からの布告で「財政強化のため」と説明されていたが、騎士団の給与遅配を補填するためだという話がラーゴスの商人の間に広まっていた。
三つ目。聖王国国内でパンなどの生活物資の価格が上がり始めている。禁止令の反動で流通が詰まった部分と、増税による購買力低下が重なっているという分析だった。影響は首都周辺から先に出ているが、地方にも波及するのは時間の問題だとラーゴスの商人が判断していた。
三つの変化が同時に起きている。それぞれは別の出来事に見えるが、全部一本の糸でつながっている。
「ゴル、これが届いたのはいつですか」
「昨日の夜でございます。朝一番でお持ちしました」
「そうですか。ありがとうございます」
カイトは書類を読み返した。
計画よりも速い。第2期の施策を動かし始めてまだ数週間だ。それにもかかわらず、聖王国の動きが前倒しで壊れ始めている。
原因は分かった。禁止令という選択肢は、聖王国が取れる中で最も早く自壊する手だった。根拠のない禁止令を市場に出せば、商人は従わない。従わなければ取り締まりが必要になる。取り締まりのコストは税収から出る。税収が足りなければ増税する。増税すれば購買力が落ちる。購買力が落ちれば流通が止まる。禁止令から始まった連鎖が、禁止令よりも大きな問題を作っている。
三割増税が正式発令されたとすれば、民衆の反発は数字に出る。次の報告に何が乗ってくるか、今から見えていた。
「ゴル、次の調査項目を出します」
「はい」
「聖王国の騎士団の給与支払い状況を調べてください。遅配が出ているかどうか。出ているとすれば何ヶ月分か。ラーゴスの情報網で取れる範囲で構いません」
「承知しました。どのくらいの期間で」
「一週間で出してください。急ぎではありませんが、早い方がいい」
「了解でございます。……長官、もう一つよいですか」
「何ですか」
「……聖王国の三割増税が本当に正式発令されたとしたら、民衆の生活はかなり厳しくなるのではないでしょうか」
「なります。三割増税はかなり重い。現在の聖王国国内物価の上昇と合わせると、実質的な購買力はさらに落ちます」
「……そういう状況でも、エドワード様は増税を出したのでありますか」
「出したのでしょう。選択肢がなかったのか、判断を誤ったのかはわかりません。ただ、出した結果は数字として出てきます」
ゴルが少し黙った。
「……数字というのは、嘘をつかないのですね」
「そうです」
「了解でございます」
ゴルが出ていった。
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その同じ日の少し後、聖王国・王城の執務室でエドワードは書類を机に叩きつけた。
側近が二人、黙って立っていた。窓から外の光が入っている。いい天気だったが、執務室の中の空気は重かった。
「禁止令を出した。なのになぜ従わない」
「……ラーゴスは聖王国の直接統治ではございません。商人組合が公式に異議を申し立てました。法的に強制できる手段が現時点では」
「それを黙らせる手段を考えろ」
「……黙らせることに成功しても、商人が他の経路に移るだけかと。ラーゴス経由の取引を封鎖すれば、別の国境都市から」
「ならそこも封鎖しろ」
側近が少し間を置いた。
「……封鎖には騎士団の追加展開が必要です。現在、騎士団の給与遅配が2ヶ月目に入っており、士気の問題が出始めています。追加の動員に応じるかどうか」
「命令すれば動く。それが騎士団だ」
「……はい」
側近の表情は変わらなかった。ただ、どちらも何かを言いたそうにして、言わなかった。
「なぜ思い通りにならないのだ」
エドワードは書類の束を手に取ったが、内容を見る気にならなかった。側近が新しい書類を持ってきた。増税の布告に対する各地からの反応報告だ。どこも厳しい反応だった。
「下がれ。後で読む」
側近が下がった。執務室に一人になって、エドワードは窓の外を見た。
禁止令を出した。増税を出した。騎士団を動かそうとした。一つ一つは正しい手のはずだった。しかし全部が上手くいっていない。なぜかは分からなかった。
国内の物価が上がっているという報告は、三日前に届いていた。パンが値上がりしたという話だ。よくある話だ、とエドワードは思った。食料の価格は年によって変動する。問題ない。ただ、そう思っていたが、その根拠があるかと聞かれると、なかった。
増税の布告を出す前に、誰かが「民衆の生活が」と言っていた。聞き流した。王国の財政が安定すれば、民衆の生活も安定する。そういうものだと思っていた。
その順序が正しかったかどうかが、今は少しだけ気になった。しかし、今さら撤回するわけにはいかない。撤回すれば弱さを見せることになる。
エドワードは書類を手に取り、また置いた。
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北方砦の執務室に戻った。
カイトは計算書に向き合っていた。
構造が崩れ始めている。禁止令が反発を生み、増税が購買力を落とし、騎士団の給与遅配が士気を下げている。それぞれが独立した問題ではなく、全部が同じ根っこから出ている。財政の構造的欠陥だ。
計画よりも早く動いているということは、次のフェーズに入るタイミングが近いということだ。通貨研究の予備調査を急ぐ必要がある。
増税の影響は騎士の給与にも及ぶはずだ、とカイトは内心でメモした。三割増税を財政強化のためと言っているが、実際は騎士団の給与遅配の補填が目的だ。つまり増税の税収が騎士への給与に回れば騎士の不満は静まる。ただしそれは増税の反発を民衆が吸収することで成り立つ。民衆の購買力が落ちれば流通が詰まり、流通が詰まれば税収のベース自体が縮む。短期的な補填が長期的な税収を削る構造だ。
聖王国の騎士団員数は約800名と見積もっている。給与遅配が継続すれば、その不満は数字として出てくる。次の報告が届いたら確認する。
カイトは通貨研究の計算書に向き合った。聖王国のアルベリア金貨の信用の根拠は何か。軍事力だ。その軍事力を支えているのは税収だ。税収が落ちれば軍事力が落ちる。軍事力が落ちれば通貨の信用が落ちる。この連鎖がすでに動き始めている。
三割増税の発令は、短期的には税収を増やす手だ。ただし、増税が購買力を落とし流通を詰まらせると、長期的には税収が落ちる。禁止令による流通の詰まりがそれを加速させている。
カイトは計算書の続きを書いた。今夜中に聖王国通貨の信用構造の試算を一本出す。それが次の仕事だ。




