第35話 軍の変化
施策が軌道に乗り始めてから、数ヶ月が経った。
ゴルが朝の定例報告を持ってきた。毎週月曜の習慣だ。今日の書類は少し厚かった。月次と週次の両方をまとめて持ってきたということだ。月次の方は第一期決算に向けた中間報告になる。
「長官、今月の兵士稼働率です。84%です」
「前月比は」
「プラス6ポイントです。カイト長官が着任された当初は43%でしたので、ほぼ倍になりました。兵士数は変わっていないので、一人あたりの稼働時間と稼働密度が上がっているということです」
カイトは数字を確認した。84%。計画では第2年度末に80%を目標にしていた。前倒しで達成した。
「怪我による離脱者数は」
「先月比で半減しています。リナリア部門長が着任してから、治癒対応の速度が上がりました。軽傷で回復できる例が増えています。以前は治癒を受けられずに自然回復を待っていた兵士が、今は翌日から復帰できるようになっています」
「補給品の在庫状況は」
「適正在庫の範囲内で管理されています。フォルカ長の補給ルートが安定していることが大きいです。連続八週間、在庫切れゼロです」
「補給の回転速度は」
「着任前より1.4倍になっています。輸送ルートの集約効果が出ています」
数字が並んでいる。全部計画の範囲内か、それを上回っている。
カイトは書類をファイルに挟んだ。一つ一つの数字の背後に、変わった現場がある。数字は結果だが、数字が出たことで人間が動く。人間が動けば、また数字が変わる。その循環が回り始めている。
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「ゴル、兵士たちの様子はどうですか」
数字の話から、カイトは変えた。
「……変わったと思います」
「何が変わりましたか」
「……言葉にするのが難しいですが、自分から動くようになりました」
「具体的に」
「以前は、命令があればやる、という感じでした。最近は、困っていることを自分から報告に来るようになりました。補給が足りなくなりそうだと思ったら、なくなる前に言いに来ます。作業で迷ったことも、自分で判断して動いて、後から報告してきます。失敗した時も、隠さずに報告してくるようになりました。以前は失敗を隠す傾向がありましたので、これは大きな変化です」
カイトはそれを聞いた。
「残業禁止と週休制度の影響です。余裕ができれば人間は考えるようになる。考えるようになれば自分で判断できるようになる」
「……そんな仕組みで人間は変わるのですか」
「時間をかければ変わります。魔物でも同じです」
「……なるほどであります」
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午後、ヴェイルから鉱山の月次記録が届いた。
カイトはそれを開いた。数字を確認した。
月次回収量:計画比120%。
「ヴェイルの管理が正確だ」
ゴルが隣で書類を確認していた。
「……120%というのは、計画を20%上回っているということですか」
「そうです。採掘ルートの最適化と素材仕分けの効率化が効いています。ヴェイルが自分で改善を加えている」
「……以前のヴェイル殿からは、想像できないですね」
「横流しをしていた時の方が、管理の細かさは高かったはずです。それを正規の業務に向けたということです」
「……なるほど。横領のために磨いた能力が、今は正規の管理に使われているということですか」
「そうです。能力自体は最初からありました。向ける方向が変わっただけです」
「……すごい考え方ですね」
「事実を見ると、だいたいそういう話です」
「……なるほどであります」
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夕方の巡回の時間、カイトは砦の各部署を回った。
これも習慣になっていた。報告書だけでは見えないものがある。実際に場所を歩いて、人の顔を見て、変化を感じる。財務の数字を動かすのは最終的には人間だ。
製造施設を通ると、シルヴィアが部下に指示を出していた。以前と違うのは、部下が質問していることだ。以前のシルヴィアは一方的に指示をして、質問を受け付けなかった。今は部下からの質問に短く答えながら進めている。リナリアとの共同作業が始まってから、そうなった。数字が出ることを確認した人間は、数字を出すための行動を続ける。
兵舎の前を通ると、ダルゴが装備の手入れをしていた。
「ダルゴ」
「は! 長官!」
「装備の状態はどうですか」
「良好です! 先月リナリア殿に腕の怪我を治していただいてから、動きが戻りました。以前は庇いながら動いていたのが、今は全力が出ます!」
「それは良かった」
「……長官、一つ聞いていいですか」
「何ですか」
「魔王軍って、変わりましたよね」
カイトは少し考えた。
「どこが変わったと思いますか」
「……うーん。前は、毎日何となく疲れていました。今は、休める日があって、怪我してもすぐ治してもらえて、ポーションも売れてお金が入って……なんか、いい方向に向かっている気がします」
「気がするだけでなく、数字として出ています」
「数字! そうか、長官は全部数字で見るんですね。俺たちが感じていることも、数字になってるんですか」
「稼働率、回復速度、収益。全部数字で確認できます」
「……すごいですね。俺が全力で動けるとか、そんなことも数字になるんですか」
「ダルゴが全力で動けることも、その数字の一部です」
「……嬉しいです! なんか、ちゃんとカウントされてる感じがして、頑張ろうって気になります!」
「それが狙いです」
「……え、狙いだったんですか!?」
「頑張る動機ができれば稼働率が上がります。そういう仕組みです」
ダルゴがしばらく考えた。
「……難しいですが、なんとなくわかります!」
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廊下の端で、ガルガンが立っていた。
兵士たちの動きを見ていた。壁に寄りかかって腕を組み、砦の中を歩く部下たちを無言で見ていた。カイトが通りかかった時、ガルガンがちらりとこちらを見た。
何も言わなかった。カイトも何も言わなかった。
兵士の一人がガルガンの前を通り、明るい顔で敬礼して行った。ガルガンは無言で頷いた。その顔は険しくなかった。
廊下を一歩進んだところで、ガルガンが後ろから声をかけてきた。
「……数字は、正直だな」
カイトは振り返らずに答えた。
「そうだ」
それだけだった。ガルガンも何も言わなかった。カイトはそのまま廊下を進んだ。
ガルガンは「北方軍が好きだ」と言った男だ。好きだと言えるほど見てきた軍が変わっていく。それを否定する言葉はなかった。「数字は正直だ」というのは、その変化を受け入れた言葉だ。
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夜、執務室で今日の数字をまとめながら、カイトは計画書の進捗欄に書き込んだ。
兵士稼働率84%:計画84%を達成。回復速度:前期比170%。補給安定:連続八週間、在庫切れゼロ。鉱山収益:計画比120%。ポーション販売:第五ロット出荷完了、追加注文継続中。
ガルガンの「数字は正直だな」という言葉が残っていた。あれは認めた言葉だ。反発ではなく、観察して出てきた言葉だ。時間をかければ変わる、とカイトは思っていた。変わるまでの時間が、人によって違うだけだ。
四天王は全員留任している。誰一人として解雇しなかった。それは数字が動いた理由の一つだ。人を変えるより、動く仕組みを変えた方が速い。ただ、仕組みを変えることで人も変わる。それが今日の巡回で見えたことだ。
数字は積み重なっている。




