第32話 量産ライン稼働
試作から三週間後、量産ラインの初稼働が決まった。
製造施設の中が、いつもより忙しかった。試作の時とは違い、今日は本番の設定で動かす。浄化区画の魔法陣が壁に組み込まれている。リナリアが術式の最終確認をしながら立っている。ゴルが記録書類を持って横に立っている。シルヴィアが工程の確認を一つずつ進めている。
今日の出来次第で、ラーゴスへの初回出荷の日程が確定する。カイトは部屋の端で見ていた。
稼働前の数分間は静かだった。誰も余計なことを言わなかった。シルヴィアが書類を一枚一枚確認して、リナリアが魔法陣に手をかざして状態を確かめた。ゴルが時刻を記録した。
「稼働を開始します」
シルヴィアが声をかけた。製造台に並んだ原料素材が、浄化区画のゲートを通過する。魔法陣が光った。素材が出てきた。
リナリアが出てきた素材を一つ取り上げて確認した。
「……純度は出ています」
「次の工程に渡せ」
素材が調合台に移された。調合が始まった。通常なら安定化の調整に時間がかかる工程だ。
時間を測った。シルヴィアが試算で出した数字を確認しながら待った。
安定化完了。シルヴィアが出来上がったポーションを取り上げて品質を確認した。
「合格だ」
カイトはゴルに目を向けた。ゴルが所要時間を記録書類に書き込んでいた。
「時間は」
「従来比34%です、長官」
「35%の試算に対して34%。シルヴィアの設計精度が若干上回った」
「……そのようであります」
---
午後まで試験稼働を続けた。
品質の安定性を確認するために、同じ工程を十回繰り返した。一回ごとにゴルが時間を記録し、シルヴィアが品質を確認した。十回の結果がゴルの記録書類に並んでいる。品質のばらつきは許容範囲内で収まっている。所要時間も安定している。
十回目が終わった後、製造施設の中が少し静かになった。
全員が同じことを確認していた。計算をするまでもなく、数字はすでに出ている。カイトは計算した。
聖王国製の9分の1。利益率270%。
「シルヴィアさん」
シルヴィアが振り返った。
「原価計算の結果が出ました。計画通りです」
「数字は」
「聖王国製の9分の1。利益率270%」
シルヴィアが少し間を置いた。
「……270%か」
「270%です。安定化工程の短縮効果が原価差として出ました」
「……そうか」
「ラーゴスへの出荷日程を確定します」
「……いつだ」
「来週の月曜に初回ロットを出します。フォルカの物流ギルドルートで運びます」
「わかった」
「魔導部門長の協力がなければこの精度は出なかった」
シルヴィアが少し間を置いた。
「……そうか」
それだけ言った。表情はほとんど変わらなかった。ただ、何かが変わった、とカイトは感じた。声のトーンではない。言葉の量でもない。
杖の音がしなかった。
いつもシルヴィアが歩く時は、杖が床を打つ音がする。長い廊下でも、部屋の中でも、常にその音が先に来る。今日は動いているのに、その音がない。製造施設を一周して設備を確認していた時も、記録書類を取りに棚まで歩いた時も、音がなかった。
カイトはそれに気づいたが、何も言わなかった。
---
リナリアが後片付けをしながら声をかけてきた。
「……これが量産ライン、というわけですか」
「そうです。この規模で動かせば、月次の生産量は従来の十一倍になります」
「……十一倍」
「そのためのラインです」
「……聖王国と比べると」
「品質は同等で価格は半額以下です。需要は出てくるはずです」
「……魔物が作ったポーションを、人間が買いますか」
「最初は抵抗があるかもしれません。ただ、体に効けば次から買う。それが市場です」
「……そうですね」
リナリアが出来上がったポーションを一本手に取った。
「……これを、ラーゴスで売るのですか」
「はい。聖王国製の半額以下で出します」
「……それは、聖王国にとっては問題になりませんか」
「経済的には競合します。ただ、売買を禁じる理由はありません」
「……私が製造に関わっているということは、聖王国側から見ると複雑でしょうね」
「元聖女が魔王軍のポーション製造に関わっているという事実は、いずれ伝わります」
「……それは問題ありませんか」
「問題になるかどうかは相手次第です。こちらとしては業務として正当な行為です」
リナリアはポーションを棚に戻した。
「……わかりました。引き続きやります」
---
夕方、シルヴィアが執務室に来た。
「量産ラインの第二工程の設計図を出す。来週以降の稼働スケジュールも」
「ありがとうございます」
書類を受け取ろうとしたところで、シルヴィアが少し立ち止まった。
「……カイト」
「はい」
「幽霊部隊の予算を正規研究費に転用したのは、お前が提案したことだ」
「そうです」
「……あの時は、なぜそうした」
「使える人間が正当に働けていない状況だったから、構造を変えた。それだけです」
シルヴィアが少し考えた。窓の外を見ていた。
「……魔導部門が削られていたのは、費用対効果が数字で出ていなかったからだ」
「そうです」
「……今は出ている」
「270%の利益率が出ています。数字は残ります」
「……そうか」
「シルヴィアさんは今日の設計で、試算を上回る精度を出しました。それが答えです」
「……余計なことを言うな」
シルヴィアが書類を置いて出ていった。扉が閉まった後、また杖の音がしなかった。
ゴルが小声で声をかけてきた。
「……長官。シルヴィア殿は今日、ずっと杖の音がしませんでしたね」
「そうだな」
「何か変わりましたか」
「本人に聞いてください。私には答える立場にない」
「……なるほどであります」
カイトは受け取った設計図を開いた。来週以降の稼働スケジュールが月次で書いてある。第二工程の設計が加わることで、さらに生産量が増える。
計画通りだ。
ゴルが今日の記録書類を整理しながら声をかけてきた。
「……長官、一つよいですか」
「何だ」
「今日の稼働で、一番驚いたのは利益率270%ですが、個人的に印象に残ったのは別のことです」
「何ですか」
「……シルヴィア殿が今日一度もこちらに文句を言わなかったことです」
「……そうですね」
「以前は何かあるたびに一言あったので」
「業務として正しい方向に動けば、文句は出ない。そういうことだと思います」
「……なるほどであります」
カイトは設計図をファイルに入れた。
「ゴル、一つ聞く」
「はい」
「今日のリナリアの様子はどうだった」
「……途中で何度も術式の確認をされていましたね。魔法陣に乗せた術式が安定しているか確認していたようです」
「正確な仕事の仕方だ」
「……シルヴィア殿と仕事が合いそうでした。どちらもあまり話さずに動いていましたが、動きが合っていたように見えました」
「方向性が合えばやり方は違っても動ける」
「……リナリア殿が聖王国の聖女だったということは、今後問題にならないでしょうか」
「今のところはない。今後については状況次第です」
「……シグ殿が来たりしませんか」
「来るなら来る。業務中は業務を優先してもらいます」
「……なるほどであります」
量産ラインは動いた。次は出荷だ。
今夜のうちにフォルカへ出荷日程の連絡を入れる。初回ロットの量と価格設定、ラーゴスでの陳列場所についての指示も合わせて送る。計画の次の段階に移る。数字が証明されたなら、次はそれを市場に出すことだ。
270%の利益率は、計画書に書いた第2年度目標の180%を上回る数字だ。ライン化がここまで効いたのは、シルヴィアの設計精度とリナリアの術式の精密さが合わさったからだ。二人が動いたことで、計画が前倒しになった。




