第28話 転職の条件
三日目の昼過ぎ、ゴルが外から戻ってきた。
「長官。物流ギルドの今週分の件数まとまりました。フォルカの記録と照合して誤差なしです」
「合格だ。来週の目標件数を今日中に出しておけ」
「承知しました。……それと、聖女殿の件、返答は」
「まだ来ていないか」
「……はい。書類の使者も来ておりません」
「そうか」
カイトは書類に目を戻した。今日で三日だ。来るなら来る。来なければ断られたということだ。どちらにせよ、今日中に動きはある。
ゴルがしばらく待ってから声をかけてきた。
「……長官。断られた場合、次の候補は」
「今の段階では探していない。リナリアの技術が複数分野に対応できる点が条件の核心だ。同水準の使い手をすぐに見つけるのは難しい」
「……では、もし断られたら」
「その時に考える。今は待つ」
「断られた可能性は」
「ある。ただ、断るなら書類を返しに来る。来ないのは保留だ。どちらにせよ、今日中に何かある」
ゴルが「なるほどであります」と言って下がった。
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夕刻を過ぎた頃、外から声がした。
物流ギルドの入り口で、ゴルが誰かと話している。カイトは書類を置いて立ち上がった。扉を開けると、外に金髪の女が立っていた。白い法衣ではなく、旅装に近い格好だった。ラーゴスまで数時間、自分の足で来たということだ。
旅のほこりが足元についている。今日の朝に出発してここまで来た、ということはつまり、三日間の期限が終わる前に動いたということだ。
「……カイトさん、でしたか」
「はい。来てくれましたか」
「……確認したいことがあって。来てもよかったですか」
「もちろんです。どうぞ、中へ」
ゴルが椅子を用意した。リナリアが腰を下ろした。旅装のせいか、教会で会った時より少し疲れが出ている。それでも来た。
自分から動いた人間は、断るために来ることはほとんどない。カイトはそう判断した。確認しに来た、ということだ。つまり、前向きに考えている。
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「書類を読み直しました。月50万G、週休二日、医療部門長の職位」
「はい」
「この三つは確定ですか」
「確定です」
リナリアが一拍置いた。
「……医療部門長というのは、私が部門の体制を設計する権限があるということですか」
「そうです。現在、魔王軍の医療体制は整備されていません。部門長として立ち上げていただくことになります」
「……ゼロから、ということですか」
「ゼロからです。既存の体制がないので、設計の自由度が高いとも言えます」
リナリアはそれを聞いて少し考えた。カイトは待った。
「……週休二日は、誰が決めたのですか」
「私が条件として設定しました。労働環境の整備として、魔王軍全体で導入しています」
「魔王軍全体で」
「はい」
「……魔物も、週二日休んでいるのですか」
「はい」
リナリアの表情が少し変わった。驚いているような、それを整理しているような顔だった。
「……すみません、少し想定と違っていたので」
「何が想定と違いましたか」
「……休日がある組織だとは思っていませんでした」
「なぜですか」
「魔王軍だから、という理由しかないのですが」
カイトは少し間を置いた。
「魔物の方々と一緒に働くことになります。それは書類に書いてありましたが、実際のイメージはありますか」
「……一緒に、というのは、同じ場所で、という意味ですか」
「そうです。治癒の対象も、魔物が多くなります」
「……魔物の方々と一緒に働くのですか」
「そうです」
リナリアが少し沈黙した。
「……コストが合えば怖くないとは、どういう意味ですか」
カイトが眉を上げた。
「……それはどこで」
「シグさんがそう言っていました。カイトさんはそういう人だ、と。コストが合えば怖くない、と」
カイトはそれを聞いて少し考えた。
「そのままの意味です」
「そのままの、意味」
「怖いかどうかは感情の話です。コストが合うかどうかは判断の話です。感情と判断は別に処理します。魔物が怖いかどうかを感じることと、魔物と仕事をする判断を下すことは、別の問いです」
リナリアはしばらく黙っていた。
「……私も、魔物が怖いかどうかは、まだわかりません」
「会ってみないとわからないのは当然です」
「……その怖さは、コストが合えば乗り越えられるのですか」
「そう言っているわけではありません。怖さと判断を切り分けて考えることができるかどうか、という話です。切り分けができれば、怖さは怖さとして扱えます」
リナリアはその言葉をゆっくりと受け取るように聞いていた。
「……つまり、怖いまま仕事をすることも、あり得るということですか」
「あり得ます。慣れる場合もありますし、慣れない場合もあります。ただ、怖さを感じながら適切に業務を行う能力と、怖いから行かないという判断は、別の選択肢です。どちらが正しいかは状況によります」
「……シグさんが言っていた意味と、少し違いました」
「シグが何と言っていましたか」
「感情を無視する人だ、と」
「無視はしていません。ただ、感情だけで判断はしません」
「……その違いが、今少しわかりました」
リナリアは一度目を伏せた。考えているのか、整理しているのか、カイトには判断できなかった。
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しばらく経ってから、リナリアが口を開いた。
「もう一つだけ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「……教会を離れた場合、あそこへの対応が滞ります。それについては、どう考えていますか」
カイトは少し考えた。
「私が考えることではありません」
「……それは」
「あなたが離れた後の穴を誰が埋めるかは、教会の問題です。あなたが無償で働くことでその穴が見えなくなっているだけで、問題は最初からありました」
リナリアは何も言わなかった。
「ただ、引き継ぎの期間は設けます。一週間、あちらの業務を整理する時間をとってください。魔王軍側の着任はその後でいい」
「……引き継ぎの時間まで」
「業務移行には時間がかかります。それはこちらも同じです」
リナリアは書類を手の中で一度折りたたんだ。それからもう一度広げた。
「……もう一日、考えます」
「構いません」
「明日、また来てもいいですか」
「いつでも来てください」
リナリアが立ち上がった。ゴルが扉を開けた。外はもう暗くなっていた。
「……ラーゴスに宿はありますか」
「あります。ゴルが案内します」
「……ありがとうございます。今日はここに泊まってもいいですか」
「構いません」
「……明日、また来てもいいですか」
「明日もここにいます。いつ来ても構いません」
リナリアが立ち上がった。ゴルが扉を開けた。外はもう暗くなっていた。
「……さっきの話、少し考えます」
「はい」
「……感情と判断を切り分けるというのは、私にはまだ難しいですが」
「難しくていいです。切り分けようとすることが大事です」
女が出ていった。扉が閉まった後、ゴルが戻ってきた。
「……長官。あの方、今日泊まられる気でいらっしゃいましたね」
「そうだな」
「では最初から、今日中に決める気はなかったわけで」
「来た時点で転職する方向だろうとは思っていた。ただ、自分で確認して決めたいということだ。それはいいことだ」
「……なるほどであります」
「明日、返答を持ってくる。そういうことだ」
「……長官はどうしてそう思うのですか」
「今日の質問の内容が、断る前提ではなかった。条件の確認と、懸念点の整理だ。断るなら来る前に判断する。確認しに来た人間は、たいてい前向きだ」
ゴルが少し考えてから頷いた。
「……なるほどであります」
カイトは書類を片付けながら、明日の返答を待つことにした。




