第25話 聖王国の教会
ゴルが情報を持ってきたのは、物流ギルドを設立した翌日の朝だった。
「教会の件でありますが、補足情報が入りました」
「聞かせろ」
「ラーゴスの情報屋から確認を取りました。聖王国教会に所属する聖女が一名、国境付近の分院に単独で配属されています。浄化魔法の使い手で、治癒・除染・農地浄化の三分野を一人で担っているとのことです」
「報酬は」
「……志に基づく奉仕、ということで、正式な給与はないとのことです」
「無償か」
「はい。宿舎と食事が提供されているのみと」
カイトは少し考えた。
「三分野を一人で担って報酬なし。使い手の人数はその教会に何名いる」
「確認した限りでは、その方のみです」
「独占状態で無償か」
「はい」
「わかった。明日、現地に行く。お前はここで待機しておけ」
「承知しました。……ゴルも参りますか」
「今回は一人で行く。お前がいると目立つ。情報収集が目的だから、まず観察を優先する」
「……なるほどであります。何か必要なものがあれば」
「いい。帰りがけにラーゴスで調達する」
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翌朝、カイトはラーゴスを出て東の街道を歩いた。
国境に近づくにつれて、道行く人間が変わってきた。商人の荷馬車が減り、巡礼者の集団が増える。白い法衣の修道士が小さな集落を歩いているのも何度か見かけた。ラーゴスから離れるほど、聖王国の宗教的な色が濃くなる。街道の脇に立っている石の標識にも、聖王国の紋章が刻まれている。
昼前に、目的の集落に着いた。
集落は小さい。農家が十数軒ほど並んでいるだけだ。住民の多くが畑仕事をしていた。魔物の姿はない。この辺りはまだ聖王国の支配が及んでいる地域だ。
教会は集落の端、小高い丘の上にあった。石造りの建物で、白い外壁に紋章が刻まれている。正面の扉は開いていた。中から人の声が断続的に聞こえてくる。扉の前に、今日の受付時間を書いた木板が立てかけてあった。日の出から日没まで、とある。
カイトは入口から少し離れた木の陰に立った。
まず確認する。
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朝から夕刻まで、教会の入口には人が絶えなかった。
農作業帰りらしき老人が腰の痛みを訴えて入っていった。幼い子どもを抱えた母親が、子どもの発熱で来ていた。畑が病気にかかったという村人が書面を持って来た。浄化の依頼状らしい。
彼らを対応しているのが、金髪の若い女だった。
白い法衣を着ていた。動きに無駄がなく、声は穏やかで、対応の一件一件が丁寧だった。浄化の術を使う時は手を合わせて短く祈りの言葉を唱える。それだけで術が発動する。農地浄化の依頼状を持ってきた村人には、一度書面を読んでから「明日の朝に畑を見に行きます」と答えていた。当日対応できない案件を翌日に回すことで、ここで抱えているすべての案件を一人で管理しているということだ。
ただ、目の下に疲労の色がある。昼に休憩をとる様子はなかった。来訪者が途切れた短い間に、次の依頼状の整理をしていた。手が止まる時間がない。
浄化術を使うたびに魔力を消費する。一件ずつは小さくても、三十件を超えれば体への負荷は積み重なる。それを十二時間続けているということだ。
カイトは木の陰から観察を続けた。
午後に入ると来訪者の種類が変わった。今度は怪我をした若い農夫が連れられてきた。腕に包帯を巻いている。女が包帯を外して傷を確認し、浄化の術をかけた。包帯を外してから処置を終えるまで、二分もかからなかった。農夫が「ありがとうございます」と言った。女は「お大事に」と答えた。報酬のやり取りはなかった。
夕刻に、子どもの一団が来た。修道院の子どもたちらしく、法衣の小さいものを着ている。今日の業務が一段落したのを見計らって来たような時間だった。女が子どもたちを迎えて、何かを説明している。教育の時間らしかった。
子どもたちを送り出してから、女は一人で扉の内側に戻った。
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夕刻に人の流れが途切れたところで、カイトは入口から中に入った。
女が片付けをしていた。木の椅子を並べ直し、使った布を畳んでいる。カイトが入ってきたことに気づいて、振り返った。目の下に色があるのは、近くで見るとよりはっきりわかった。
「……何かお困りのことがございますか」
「少し確認したいことがあります。今日、一日こちらに来た方の数を把握していますか」
「……三十八名です」
即座に答えた。正確に把握しているということだ。
「朝から何時間ここで対応していましたか」
「……日の出から今まで、ですから十二時間ほどでしょうか」
「休憩は」
女が少し間を置いた。
「……昼に少し水を飲みました」
「食事は」
「夕食が宿舎に用意されています」
カイトは【資産鑑定】を使った。女の浄化魔法の潜在価値が数値として見えてくる。
出た数字を確認して、もう一度それを見た。
月換算で50万G。
三分野に対応できる浄化魔法の使い手が、この規模の稼働で無償で動いている。聖王国の騎士一人分の維持費にも届かない条件で、市場価値の上位に入る技術が毎日消費されている。
三分野への対応は通常では分業が前提だ。治癒専門、農地専門、素材浄化専門と、それぞれ別の術者を用意するのが一般的な体制だ。それを一人でこなせる使い手は、聖王国全土でも数名しかいないはずだった。その数名の一人が、この分院に一人で置かれている。
「……確認は以上ですか」
女が静かに言った。警戒しているわけではないが、この質問の意図がわからないという顔をしていた。
「もう一つだけ」
「はい」
「あなたの浄化魔法は、農地・治癒・素材浄化の三分野に使えますか」
「……はい。全て使えます」
「ここ以外でも使えますか」
女がはっきりと眉をひそめた。
「……それは、どういう意味でしょうか」
「転職の話です。ただ、今日はまだ話す予定ではなかった。確認だけです。失礼しました」
カイトは頭を下げて、扉の方へ向かった。女は何も言わなかった。
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外に出て、丘を下りながら数字を整理した。
月50万G。現状は無償。搾取率がほぼ100%だ。市場価値と実際の取引条件の乖離としては最大水準に近い。
かつて前の会社で、同じ構造を何度も見た。技術を持っている人間が、技術の価値を知らされないまま消耗していく。知らされないのは、知らせると交渉が始まるからだ。「使命」や「やりがい」という言葉でその交渉を封じている。感謝の言葉は安い。報酬の代わりには使えない。
今日確認したのはその構造だ。技術がある。価値がある。報われていない。それだけわかれば十分だった。
問題は交渉の順序だ。今日は外から観察し、最後に一言だけ接触した。向こうは警戒していない。ただ転職という言葉には反応した。それはそうだ。突然現れた人間に言われても、信用の根拠がない。
翌日、もう一度来る必要がある。今度は提示を持って来る。月50万Gで雇う。それだけだ。信用の根拠は数字が持つ。
彼女が断るかどうかは、この時点では読めなかった。ただ今日の一言に対して「罠ですか」とも「お断りします」とも言わなかった。戸惑いが先に出た。戸惑いは、考える余地があるということだ。
ラーゴスへの道を歩きながら、カイトは提示内容を頭の中で組み立て始めた。月50万Gの内訳、業務範囲の定義、週休の保証。数字と条件が揃えば、あとは相手が判断する。それだけだ。




