第23話 ラーゴスへ
砦を出たのは朝だった。
カイトは書類袋を一つ持ち、ゴルは行商人の格好をしていた。頭から布をかぶって顔の下半分を隠している。耳だけは隠しきれないが、遠目には何とか見えなくもない。
「歩けるか」
「はい。慣れております」
「ラーゴスまで二日かかる。泊まりは途中の集落だ」
「承知しました」
街道に出た。砦の北側は山が続くが、南に向かうと次第に平野になる。ラーゴスはその先にある。
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午後になって、最初の集落を過ぎた。
集落の手前で、行き交う人間の数が増え始めた。荷を積んだ馬車、商人風の旅人、農作業帰りらしい村人。彼らのほとんどがゴルを一度見て、視線を逸らした。立ち止まる者もいれば、距離を取る者もいる。声をかけてくる者はいなかった。
「気にするな」
「……はい、長官」
「気にしているのが顔に出ているぞ」
「……そうでありますか」
「目線を前に向けろ。堂々と歩け。怯えて歩く行商人は狙われる」
「……なるほどであります」
ゴルが視線を前に向けた。少しだけ背筋が伸びた。カイトはそのまま歩き続けた。
集落の外れに差し掛かったところで、道端の子どもたちがゴルを指差した。「魔物だ」と声が聞こえた。年長の子どもが「違う、行商人だ」と窘めた。ゴルはどちらにも反応しなかった。
「……子どもたちは、正直でありますね」
「大人も同じように思っている。声に出すかどうかの違いだ」
「……そうでありますか」
「そういうものだ。声に出さない分、大人の方が扱いやすい場合もある」
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日が落ちる前に、宿のある集落に着いた。
ゴルが入れる宿を確認した。三軒回って、最後の一軒が表に断り書きを出していなかった。主人は壮年の男で、ゴルを見ても顔色を変えなかった。
「魔物連れでも構いませんか」
「構いませんよ。部屋代は一晩二人で銅貨八枚です」
カイトは銅貨を出した。部屋は二つ取れた。食事は宿の食堂で出た。ゴルが持参した布で顔を隠したまま食べようとしているのを、カイトが止めた。
「外さなくていい。食いにくいだろう」
「……他の客が気にするかもしれません」
「気にする者はそもそも同じ食堂に来ない。この宿を選んだ主人がそういう人間だということだ」
ゴルは少し考えてから、布を外した。食堂の他の客が一瞬視線を向けて、また自分の食事に戻った。何も起きなかった。
「……なるほどであります」
「宿の主人を見れば、客層がわかる。それだけだ」
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翌日、ラーゴスに着いたのは昼前だった。
城壁に囲まれた商業都市だ。正門から入ると、すぐに市場の声が聞こえてきた。複数の通りに商店が並び、商人、職人、旅人が入り混じっている。荷馬車の往来も多い。
ゴルが辺りを見回した。
「……大きいでありますね」
「北方砦の五倍以上の人口がある。商取引量はそれ以上だ」
カイトは歩きながら通りの構造を確認した。東側が食品と日用品の区画、西側が武具と調達品の区画、南寄りに商人ギルドの本部が見える建物がある。事前に資料で確認してあった通りだ。
「まず東の市場から回る。何がどこで売られているか確認する」
「承知しました」
東の市場に入った。ゴルへの視線が増えた。立ち止まる者は少ないが、通り過ぎる商人の幾人かが明らかにゴルを避けて歩いた。荷物を抱えた行商人が「魔物お断り」と書かれた看板の前で立ち止まって、そちらに来ないことを確認してから先に進んだ。
「……お断りの店が、多うございますね」
「半分以上はそうだ。張り紙を出していないところを確認しておけ」
「……確認します」
カイトは市場の中を歩きながら、売られている商材と価格を確認した。魔石を使った照明器具、聖王国製のポーション、輸入の香辛料。どれも相場より高い。流通ルートが限られている証拠だ。
魔石の照明器具の前で立ち止まった。棚に並んでいる石の品質を【資産鑑定】で確認する。純度は62%。価格は銀貨四枚だ。
北方砦の鉱脈から出た上層部の純度は82%だった。それで同じ価格をつければ、品質差で競合できる。さらに流通コストを下げれば価格も下げられる。現時点でこの市場に差し込む余地がある。
「ゴル。この石の値段を覚えておけ」
「銀貨四枚でありますね。承知しました」
「品質も記録しておく。比較に使う」
次の通りに移った。聖王国製のポーションが並んでいる棚の前を通り過ぎながら、価格を確認した。一等級・銀貨三枚。回復速度と持続時間の表示が紙に書いて貼ってある。
この棚に自軍のポーションが並ぶのは第2フェーズ以降の話だ。今回の目的はまず物流の入口を作ることだ。
「差別は非効率だ」
「……長官?」
「この市場は、魔物側の商業活動を制限している。その分、市場に入れる商材が制限されている。品質の高い魔石も、魔物が生産した加工品も、この市場では正規に売れない構造だ。市場の半分以上を捨てていることになる」
「……なるほどであります」
「非効率な構造は、効率化した側が勝つ。それだけだ」
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午後に、商人ギルドの本部に入った。
受付に声をかけると、若い担当者が応対に出てきた。ゴルを見て一瞬固まった。それから視線をカイトに移した。
「……本日はどのようなご用件でしょうか」
「商業活動に関する登録の相談です。魔王領の採掘品を、この市場で扱いたい」
「……失礼ですが、魔物との取引は当ギルドの規約上、制限がございまして」
「制限の根拠は信用担保の欠如と理解しています。担保は用意できます」
担当者は少し表情を変えた。
「……担保とは、何を」
「鉱山採掘収益の月次証明書です。第三者が計測した純度証明書も添付できます。信用の根拠として提示します」
「……それは、正式な書類でしょうか」
「正式です。明日、資料を持参します」
担当者は何か言おうとして、一度口を閉じた。
「……上の者に確認が必要です。明日、改めてご来館いただけますか」
「わかりました」
カイトはギルドを出た。ゴルが小走りで後を追ってきた。
「……店舗は貸せないと言われませんでしたか」
「そこまで行かなかった。担保の話をしたら止まった」
「……明日、どうなりますか」
「上の者が出てくる。担保の話が通じるかどうかは、その人間次第だ」
「……通じなかったら」
「別の方法を使う。方法はまだある」
ゴルは少し歩いてから、また口を開いた。
「……長官は、最初から通じないと思っておられましたか」
「わからなかった。だから試した」
「……なるほどであります」
宿に戻った。
夕食を済ませてから、カイトは机に向かって翌日持参する担保資料の最終確認を始めた。資料は三種類ある。一つ目は初回採掘・輸送の実績記録。二つ目は鉱脈の純度証明書の写し。三つ目は月次収益の試算表だ。
担保として機能するかどうかは、担当者が誰かによる。今日会った若い担当者は「上の者に確認する」と言った。上の者が数字を読める人間なら話は早い。読めなければ別の切り口が必要だ。
「長官、何か必要なものがあれば」
ゴルが部屋の入口に立っていた。
「今はいい。明日の朝早く起こしてくれ」
「承知しました。……今日は、思っていたより普通でありましたね」
「何がだ」
「ラーゴスでありますが。怖い場所かと思っておりましたが、宿の主人も食堂の客も、特に何もなかったでありますし」
「全員が敵意を持っているわけではない。制度と人間の感情は別物だ。制度が魔物を制限していても、個人は普通に対応する場合がある」
「……なるほどであります」
「ただし、制度は個人の感情に関係なく動く。だから制度の方を変える方が早い」
「……制度を変えるのでありますか」
「変えるというより、制度の内側に入る。それだけだ」
ゴルが頷いて引き下がった。カイトは資料に戻った。翌日の交渉に必要な数字を、もう一度頭の中で整理した。




